持続可能な鶴岡ブログ

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おのずから然りなり 「無事」な川とは。 内山節 先生


遊佐で「川のめぐみと共に生きる」環鳥海山のフォーラムといった興味深げなシンポジウムがあり、哲学者の内山 節 先生がいらっしゃるということで足を運んだ。

国土交通省 県河川などが勢ぞろいした顔ぶれの中で、内山先生は、はっきりとこれまでのダムや堰にたよりきった川の河川改修のやり方を否定し、大熊先生と同じように新たな「技術の自治」の視点をもって、川との生き方を模索しなくてはいけないという、新たな指針をいただいた。とても貴重な、山形県にとっては歴史的な講演だったのではないか。 以下、聞きながらパソコンで打った速記メモです。意味不明のところもあるとは思いますが、ご勘弁。

私が生まれたのは東京都世田谷区です。世田谷でも清水が至る所で流れていた。5歳ぐらいから魚を釣っていた。
多摩川 99%は下水の処理水からなる川
多摩川の魚
魚釣り 村の生活 150坪の畑   ふろは薪ではいっている。

上野村   人間の営みと自然との調和点のような完成された景色

利根川 江戸時代 大変な自然破壊
利根川の洪水対策 流れそのものを変える
にもかかわらず、自然が豊かな川
大改修しながらも。 

昔から河川改修はおこなわれてきた。
そのころは、川は川らしかった。
戦後の工事っでは川は川らしくなくなった。

川釣りしていると 日本の川は燦々たる状況。30年前から比べると、魚のつれ方は10分の1、今は9割方、放流魚。
最近はうぐいまで放流。まったくなさけない。

1600人の山 それくらい魚が減っている。

この原因ははっきりしていて、、、 最近は稚魚をめっきり見なくなった。
釣りをしていても、 今はてんからしかしないんで比較的大きいのしか釣らないが、えさ釣りだと小さいのもかかる
10センチぐらいとか、小さい魚はいない。
川が、再生産能力を失っている。
川に産卵場所がない。 

なぜかといえば、川底が埋まっているから。 いっぺん川の水が流れ込んで、石の下からあがっていく。そうした川そこが必要。でも、今はべたっと、川底が埋まってしまっている。 
この原因は、川にダム、堰堤がありすぎるということ。

● 林道の工事によって川がうまっていく。
田んぼをもっていない。

●川とはなんだろうか。ということを考え直さなくてはいけない。

釣り 農業用水の集水 水量の多い川 物資の運搬手段
川舟があって、物資を運んでいる。
輸送にも使うし、川岸の植物も採取する。鴨猟もする。
大根を洗う、農業用水を使う。多様な利用があった。

その多様な利用から、現在は限られた利用になっている。
農業用水 集水堰 ダムなどに変わった。

水田  昔の水田 稲作だけではない。 水田漁業。 どじょう たにしをとる。水田 漁場として機能していた。

どじょうがはいっていた。
 
田んぼの中の水辺の世界 はかなりの漁獲高をもっていた。
食文化の中では稲にやってくる いなご。 タガメ、ゲンゴロウを食料として田んぼの世界からとっていた。

今の水田から、その漁業的な機能が消えてしまった。
牛馬にはあぜの草の方がよかった。
新潟平野では、あぜ道には桐の木を植える。 あぜ道林業 

かつての農村の世界  主たる目的は、米、水産業 桐をうえて林業 上手に利用体系をつくってきた。

川 川は多目的に利用する。 
千曲川 信濃川の源流域 江戸時代 長野県 上田 上田市で、サケを5万匹とっていた。 松本市でも5万匹。 上田、松本で10万匹。
今は一匹もあがってこない。 JRのダムによってあがることができない。

川が川らしかったときの生産力はべらぼうなものだったのではないか。
今では0になった。
工業生産力 自然が本来もっていた生産力とはどれくらいのものなのか。、

当時の日本。千葉のところで大熊さん 当時の東京湾の生産力で餓死することがなかった。あさりの話。国やぶれて山河ありということが、都市の近郊でもあったんだな。

今はどうか、当時はできたことが、今はできない。今は困窮した人を救える豊かさはないのではないか。

昔は、山にはいれば、1年ぐらい生きれる人がいた。

「川のめぐみと共に生きる」
川にはいればヤマメが無尽蔵ではないし、守りにはいっても

日本社会は発展をしたけれど、自然の豊かさを激しくそこなってしまった。

川とは何か。源流からはじまって、海まで流れていく。
源流の沢といわなの物語 下流には、農村と川の物語
流れとともに、川の物語を紡いでいく。 その中で多様な川

明治以降 川の物語が消えていく 歴史だった。

川の問題になると 水の問題だけになってしまう。
これだけの過密人口を支えるにはやらざるをえない

川の流れとともにつくられてきた人の営みの物語の世界をどこかに置いてきてしまった。
大変な禍根を残しているという気がします。

川は流域の人たちのものだった。 利根川という川自体には利根川の流域の人たちの技術がつかわれてきた。 農業技術だとか、農民の知恵が使われて、その積み上げの上に江戸幕府が大金をつんでおこなっている。
工事をになった技術は流域の人たちの技術。

和歌山県の農家の人たちには 専門の土木技術をもった村があった。

軸になっていたのは、地域の人たちの発想。 それこそが河川を改修する原動力だった。
明治になってから、国の指導下により河川改修されていった。

川と地域の人との距離が遠くなっていく歴史。
これが、日本の川を変えてしまった基礎になってしまった。

現象としては、ここにダム

川は、地域の人のものだ。流域の人のものだ。ということ。
自分たちの発想で、逆に公の力を使うという発想でないと、本当に川を知らない人の管理になってしまう。

川というのは一本一本違う。 雪解けがはいる川 3日間で2000mを越える川もある。一本一本性格の違う川を  川は絶対によくならない。

大熊孝先生の書物に、  小学校の校歌の飲用 川はときどきあふれてきて浸水させるが、洪水をおこして地域で暮らすわたしたちを鍛えてくれる。
もともとの地域の人たちは、洪水への気持ちというものをもっていたのでしょうl。
そういう意味合いを昔の人はもっていたのでしょう。

● 最近、川 というと 自然、そして、保護という言葉をよく使う。

しか

三川町議会合併反対を議決。


10月6日、委員会で、合併案件の審議をおこなう。
「いいがかり」とした根拠として、市としては、合併して16年後、どうみているのか、更に尋ねる。「ある財政学の先生は、『合併の財政措置が終れば地方財政は地獄』と指摘し、合併して10年の間によほどのリストラを進めないと破綻する。」と指摘しているがが、実際問題としてそうした財政危機についての捕らえ方はあるか」と聞く。すると総務部長「そんなどこの先生かしらないが、そうした論をこうした議会で発言されるのは  無責任ではないか」と発言した。「そうした指摘による不安を解消したいから質問をしている。それに根拠を示しながら答えられないあなた方こそ無責任だ」 それで、他の市町村では20年先のシミュレーションが出せているのになんでここでは出せないんだ? と再び尋ねると、「10年先までの建設計画を立てているからです」と答える。全然おかしい。あきれて、質問を終える。
 
 以下、特に行政側の説明責任と、住民意思の確認の必要性を求めて、合併案に反対の立場で討論をする。大体の要旨を示しておきたい。

● 基本的には、この市町村合併は、はじめから、地域住民の要望からくるものではなく国の政治のこれまでのモラルハザードといえる公共投資から発生した700兆を越える借金をなんとかしたいというところからくる強制合併であると感じる。
しかしながら今後、少子高齢化で人口減少、右肩下がりの時代をむかえる中、在る程度、町村が合併をし、自治権をもって、自律的に財政力と責任をもって自治体を運営をすることについては一定の理解をしつつ、合併問題を議論してきた。
 この市町村合併のプロセスの中で、数多くの行政情報が住民に共有され、現状のままではなかなかできないでいた、生活者の起点の自治運営のための意識改革や変革ができ、この地域では月山を起点に展開する自然資源の生態生命圏をいかしながら、新市をかたちづくることができるならば、合併も選択肢のひとつではないかと思いつつ、議論し、叉、協議手法などについても行政評価システムの考え方の導入や、住民参加の手法など、提案をつづけてきたものである。

 改革をともなった合併としては、中長期的な財政計画など、展望を具体的に把握しながら、合併という手段を通じて、この地域のなんの問題を解決し、何を将来生み出すのか、住民全体で共有すべき目標が明確であることが大事だ。叉、行政スタイルを統治型から市民と行政が生活の場で協働する参加型の行政スタイルへ変える行政側の意識改革姿勢が必要で在ると考える。

しかし、残念ながら、協議会では、致命的な欠陥として、合併後の財政計画が、10年までしか示されず、現在多くの市町村で20年後までの財政計画が示されながら議論されている合併後の財政危機という状況については不安要素を解決するに至らなかった。
 また、当市としても最も重要な改革として、新市ビジョンでうたわれている「協働」社会を実現するため、住民参加を充実させることをや行政情報の共有がおこなわれてきたか、住民自治を尊重しつつ、ありとあらゆる工夫をこらして、市民参画をはかり、徹底した議論の上で、新しい市の構想が、きずきあげられてきたか。みんながみんな納得できなくても、可能な限り議論をつくす姿勢やしくみは果たしてあったのだろうか。と疑問をもつ。
 
今、鶴岡市内の住民の多くは、漠然とした不安を感じている。こうした状況で、今後いずれにしても厳しくなると予想される時代の「協働型」の施策に、共に取り組むことができるのか、大いに不安になるものである。

これはこれまでの当局の説明の手法のまずさ、叉、究極の住民参加の手法である住民投票や、意識づけをしっかりとおこなった上でのアンケートなどをおこなわないできた事。まず、合併ありきで、一方的な情報しか与えなかったこと。叉、肝心の公共サービスについて、変化をともなうものの大半が先送りにされてきた事。などが原因である。

 ハガキによる意識調査がおこなわれたが、項目も設けず、目的の意識づけもおこなわなかったため、回収率も悪く、アリバイ型の住民参加の手法であったと感じる。

 また、新市構想の中での地域ビジョンは、合併する前の市町村の総合計画を最大限「尊重」するなどとたかたちで終始しており、地域全体として一体感のある地域像がなかなか見えてこないことと、その地域像づくりに、十分な住民の参加がはかられていないため、結局は役所起点でつくりあげられたものになっている。また、それを基にしたといわれる新市での主要事業であるが、これも地域の一体感のあるものがないため、それぞれの旧市町村ばらばらの発想で、地域全体の戦略が見えない形になっている。
 
 また、新市の主要事業としては「多くは新市の市長や議会で」といっている中、鶴岡市のサイエンスパーク構想だけが特に先行されているようだが、バイオ企業の集積という内容自体がなかなか住民に理解されにくい状況で、これを十分な見通しも説明責任もなく進んでいることもあり、合併後の姿を更に分かりにくくしているのではないか。この事業自体には、厳しい財政運営上、公的投資について疑問があり、より正確な見極めを求める。

以上、
要するに、現段階での市町村合併は、肝心の事が住民に示されず、進められており、そのプロセスにおいて、住民の参加は不十分であり、また明確な意思確認することなく、進められた合併論議である
 このままでは、今日的な自治体改革をともなった、志高い合併のあり方と判断することはできないし、叉、右肩下がりの時代の厳しい財政事情の中でも本質的に自律した、持続可能な、活き活きとした住民の姿や住民の側を向いて創意工夫をおこなう自治体像は描くことができない。

住民の参画をともなった本質的な改革を強く求め、もしも合併をするとしたら、
本来的な住民起点の合併を求めて、反対をする。

以上。である。

8日は、これを参考に、みどり21の討論として石川一郎議員が反対の立場で討論。



 
 

10月8日。7市町村の合併の議決がおこなわれた。
議会で

総括質問 「16年後にがくりと減る財政予測はいいがかり!?


うーむ。なぜ、鶴岡市は、財政計画を示さないのだ?
本日、合併についての総括質問をおこなう。
ニセコ町の周辺では20年後までの財政見通しをたてている。他、新潟などもろもろのところでも財政計画は20年後まで出して合併するとき、しないときを比較している。市長は、今日、16年後にがくりと減る財政予測は「いいがかり」などと称しながら、長期財政計画なんてムダといわんばかりに、「16年後には、標準値に戻るんです」と言った。
 合併特例債は、結局は今想定しているものが使えるかわからない。との事だ。
サイエンスパークのことについては、「別におおげさなことではない」あいかわらずしっかりとした見通しは示さなかった。
改革、自律 キーワードは並んでいるのだが、「住民起点」「協働」という視点は欠けていると感じた。

他議員の質問に、「サイレントマジョリティ」は合併にご理解いただいている。とも答えた。

明日は委員会。よっしゃ。

さあ、合併論議の総括質疑!


10月4日、市町村合併の調印式がおこなわれた。
本日より臨時議会 総括質問で議場に立つ。
3日の日に、ニセコ町で田中知事の講演会があったそうだ。ニセコ町のまちづくりと今後の市町村合併への対応策は、今注目すべきところがある。
http://www.town.niseko.hokkaido.jp/main/index.cfm

今後の合併是非判断のための参考資料としてご活用ください。として、財政危機突破計画を策定し、合併する場合と合併しない場合を比較するということを真摯に行い、住民に示している。

鶴岡周辺はどうか? うーむ。

10.1


2004.10.1

●鶴岡市を含む七市町村で、今、10月8日、最終の議決がおこなわれる。三川町議会が離脱決議をおこない、ちょっとわさわさとし始めている。

●真の民主主義がつらぬかれていたのか?

僕は、今、なんだか釈然としない思いで、この合併論議に臨んでいる。住民はどれだけこの議論に参加したのか、説明はつくされたのか、議論はつくされたのか、合併後の姿は見えているのか、住民は合併後の希望の光に満ちているのか。某コミュニティ紙で、三川の離脱決議を「失礼だ」などと公言している方もいるようだが、その姿勢に果たして真の民主主義はあるか、否である。
 僕は、100年の計といいながら、都合の悪いことにフタをしたまま、ほとんど市民と心からの対話をせずに粛々と、今の国と役所の都合で進んでいた合併の議論が、これで少し本質的に議論らしくなるかもしれないといった事を思いながら見守っている。枠組みを組み直すなどの行政側からみたら「余計な」「予想外の」プロセスを踏みながら、議論がすこしでも深いものになり、当事者意識をもつ人が一人でも多くなることこそ、明るい未来につながるのではないかと思うからだ。

 結局、協議会は25回開かれたけれども、本質的な地域の問題解決のための議論になっていただろうか。傍聴席にいても、心躍るような本質をついた議論があったろうか、行政効率論のみで、団体自治の立場で役所が取り決めした事項をほとんど鵜呑みしていただけではないか。いたって表面的な指摘のみでしか話し合われてこなかったのではないか。当初より指摘してきたが、協議会のメンバーは、自民党か保守基盤の議員と「有識者」といっても市長派、町長派の人々であり、各議会で、当局と口を合わせている人々による在る意味で多様性を排除した協議の場だったといえる。


合併論議を通じて、サービスの変化などを感じ取る中で、市政に対する姿勢や興味が高まるかと思えば「大方の影響のある市民サービス」は調整が先送りにされている。

 これまで、僕は、合併問題検討委員会の中で、協議会の進め方にはパブリックコメント制度をとりいれたり、市民アンケートや満足度調査、行政評価システムの導入、その考え方の導入、住民投票などについて提案をおこなってきた。しかし「やらない」の一言で片づけられた。「そんな新しいことを取り入れる余裕はないし、そんなことはフツーやっていない」ような語り口で閉ざされ続けてきた。

合併して特例期間がきれる16年後の財政シミュレーションの提示を求めても、有利な10年間しか示さず、市長自ら「だしても意味がない」の一点張りである。

そして、議会や、住民の説明会では、当局の姿勢に対し異論を唱える者がいれば、「見解の相違」の一言で片づけられる。あまりに議論にならないから、反論者は困惑したまま、「何を言ってもムダなのか」と市政から遠ざかる。

「合併しなければ破綻する」といいながら、その根拠となる肝心のデータも示さず、将来ビジョンや建設計画は、「右肩あがり」時代につくってそこから足を洗えていないままの時代の各自治体の総合計画の寄せ集めで、「特例債を使えばほぼ従来通りの行政が営める」といった市政がありありと見える。でも、合併しない時よりも厳しくなると容易に予測される、十六年後の責任をどう考えているのだろうか。

もっと言いたいことがある。

地下水協議や環境審議会に、長年その調査にあたっていた元山大教授である研究者がかたくなに排除されたままである。昨年は地下水汚染が県より指摘されながらもその状況だ。今、SOTOKOTO紙などで水門学者として重要なコメントを発している先生を、異質なものとして排除したまま、市政は営まれ続けている。

議会はどうか。時間制限一杯までの答弁書の棒読みを許していまいか。

こうした本当の民主主義を阻んでいるひとつひとつを、解決してこそ、本当の鶴岡の未来をつくることになると私は考える。

情報開示によって、異質な意見をテーブルの上に上げ、摩擦を生じながら議論をする。結果、会議の緊張度は増し結局そこで生み出される政策は精度を増すことになる。今、その姿勢はどれだけこの市政にどれだけあるか。

 水道事業を例にとろう。右肩あがりの時代に「まずダムありき」でつくられた「広域水道」というシステムは右肩下がりの時代には破綻するしかない。「計画経済」の成長主義が続いてきた国も地方自治体も、右肩下がり時代に対応するシステムをつくらずにきた。だから原則論でそのままを貫こうとする。しかし、現実が矛盾を突きつける。使用水量は九年間減少を続けている。自分のところの水を捨てて、膨大な水量のダム水を県から買わなくてはいけない。人口が減り、節水が進めばその分値上げをしなくてはいけない。量より質の時代にダム水の水質はついていけない。結局、政策の失敗のツケが市民負担となる。これは「昔決めたことだから従わなければならない」等といっている場合ではない。このダム事業費を含む水道料金をおさめているのは今の市民、そして未来の市民だからである。

「昔決めたことだから、、」といっていれば次々と「右肩下がり」に全く対応しない「裸の王様」自治体として市民から見放されるだけだ。

 ではどうするか。まずは末端の自治体政府を変革しなければいけない。市民はまず、「おかしい」と思ったら「おかしい」と言い始める事ではないか。「行動すること」ではないか。国から県、県から市町村という役所のシステムを維持するためにつくりあげてきた自治体の政府を市民のために作り替えなくてはいけない。自治体は時には国や県に補助金の枠をはめられながらつくりあげられてきたマニュアルから勇気をもってはみ出さなくてはいけない。地域で知恵と力をふりしぼって、0から1をつくりあげないといけない。それが地方分権であり、自治であり、民主主義ということなのではないだろうか。ダムや公共事業の問題の解決策の糸口は新潟大学 大熊孝教授がいう「技術の自治」ではないか。未来世代の事を考え県や国に対して、一地方自治体が時には責任を問うたり、時には、一市民であっても立ち向かうことも必要なのではないか。

こうした市民の行動がなければ、新しい「市民社会を築くシステム」はできないし、今、長野県田中知事やニセコ町逢坂町長をはじめ、「改革型」といわれる首長自らがそうした「本来の民主政治」をとりもどすための行動をおこない、少なからず日本の閉塞感を切り拓いている。

2000年12月の鶴岡市民の大事な水をめぐる住民

9月議会討論して終了。と六小のゆりのき協育セミナー


昨日、九月議会終了。十五年度決算については、総務費として、行政評価の考え方の導入、説明責任の足りなさ、という視点で、切り捨てだけになっている現状の行革のあり方への疑問を述べ、叉、地下水政策への市民の排除と本質的議論を避けているような点、先端生命科学研究所関連の、説明責任の圧倒的な不足。HPの活用の甘さ、そして合併協議については、結局三川町が離脱決議をあげる結果になっている進め方、また、市民参画の手法について。また、水道事業については、政策の失敗からくる住民負担であることを述べ、契約水量の見直しという本質に踏み込まず、小手先の料金改定に踏みとどまっている点について、また水源切り替え後に水質の悪化、水温の変化についての把握のあり方の不十分さを述べ、決算審査は反対。

●十六年度補正予算については、先端生命科学研究所予算にのみ、反対の立場で討論。知財集積の考え方や研究の成果については評価をするが、市の住民にむけた説明責任が全く果たされていないことや、今回の審議の中で、千人の雇用を生み出すとしながらも、なんの具体的な方策や見通しも示さないこと。ばく大な資金を必要とするバイオベンチャー企業について、インキュベーション施設の他の資金繰りなど、具体的な方策を何も示さず拙速に施設の増設をすることに反対。まずは、しっかりと、現在の研究の内容、また、将来の見通しなどをしっかりと責任をもって示すべき。
右肩さがりで行政評価の時代にふさわしい説明責任をもとめて反対。

●「市民の意志確認を求める。請願審査について。賛成の立場で討論。
この右肩下がりの時代、合併してもしなくても厳しいという認識が必要であり、それを乗り越えるためには、統治といったスタイルから、官、民の協働といったシステムに変換することが必要。そのためには、いかに、市政に当事者意識をもって参画する市民を育むかということが大事。で、今後のまちづくりの鍵はそこにある。住民投票などによって、意志確認をすることは、合併の議論を住民一人ひとりに、議論を深めていただく上でとても有効な方策。是が非でも実現すべきである。
 この請願には八千名を越える皆さんからご署名をいただきました。本当に感謝申しあげます。

■これら3つの討論をおこなって、九月議会は終了。その後、議員全員協議会が開かれ、十月五日よりおこなわれる合併の是非を決定する臨時議会のための議案説明がおこなわれた。四日に調印予定の協定書などを説明さる。
若干質疑がおこわれ、合併期日の延期の理由、また、協議の進め方などについて若干質疑があった。 二年間にわたる合併協議、しかし、今、どれだけの市民が次のまちづくりといえるこの合併方策の議論に参画しているだろうか。

議会終了後、産業振興センター主催の「フラットディスプレイパネルの現状と今後」とう勉強会に参加。
■9.25 私が居る学校区である第六小学校で、恒例のゆりのき協育フォーラムにいってみた。
地域の市民講師による公開事業と、PTA主催の講演会をセットにしたものだったが、なかなかいい催しだった。クラゲで水族館を盛り上げている加茂水族館飼育員のクラゲ講座には子供たちがどんどん活発に質問をおこなって、実に生き生きした授業が展開されていた。

叉、「心」をテーマに山形病院の小児精神科、古関光一先生の講演があった。
あまりに素晴らしい内容だったのでちょっと中身をお伝えしたい。

今、しつけの本が出回りすぎていはしまいか。いやしの場であるはずの「家」がしつけの場になっているから、家で癒せず明日のエネルギーがでてこないのだ。

キレル子供たちや心の教育のためにに何をすべきかというと、中教審などではしつけだ。などといっているが、そうした儒教精神「しつけ論」では解決できない。
万引きや問題行動の子供たちに「しつけ」や「怒って」も解決にはならない。特に怒っても直そうという気持ちは働かない。

現代は、母親の愛情が欠ける「母欠病」といった時代なのではないか。
こどもたちにとっても、何にでも、いつでも効く安定剤は、母親の愛情。我が子供に対しては、無条件で認める、許す、守る。そうしたことが大事。

そして5つの事を実践することをお勧めいただいた。
まず、
1,怒るな ということ。お母さんががみがみ怒るのが絶対よくない。早くおきなさいとか、片づけなさいとか、言わずに。
2,明るく お母さんがゆとりを持って、明るく振る舞うことが大事。お母さんがストレスをためないようにお父さんが司令塔となって、家族全員でサポートすることが大事。一言、「ごくろうさん」と言ってあげるべし
3,子供を信用するということ。
4,「どうもな」と、感謝する。 親に感謝されたことは忘れない。
近所の子供に接するときも、あいさつをかわして、おまけに「どうもな」とつけると
子供の顔が輝く。
5,「えらいっけな」当たり前の事を褒める。評価する。

とにかく。育つ力、育てる力は学校の集団教育の場で習う。家庭は「癒す」場。まず、怒らないでほめることが大事。思いやられた子供だけが思いやりを持つ子供になる。やさしい家庭の子供はやさしい心の子供に育つ。認められ育った子供だけが人を認める大人になる。

意外な一言、言葉の一言が、小さなしぐさが他者のとんでもないストレスとなってしまうことがある。キャパシティが小さい子供にとってはそれが蓄積されて意外な行動をひきおこす要因となってしまう。

会場は熱心にメモをとるお父さん、お母さんの姿が見れた。実にいろんなきづきを得ることができる内容だった。今、年間自殺者数3万人を超える日本で、精神医療の充実は急務だ。この先生の話で救われている人はとても多いのではないか。今年で古関さんのお話は二度目ということであったが、とにかくこの講演を企画されている六小PTAの皆さんの本気の努力に感謝を申しあげたい。僕もがんばろう。






合併の期日が来年十月一日に。


合併論議が大詰めだ。

 市町村合併については昨日の9月22日の協議会で二十五回の協議がおこなわれてきた。昨日の協議では、来年の4月として協議してきた合併の期日を十月一日にするということがほぼ決定になった。そして、合併の是非について判断する臨時議会を十月八日、構成市町村の議会が同日に開催し、決定するということになった。
 この臨時議会については、9月21日に代表者会議が開かれ、日程が示されたものだが、何かとても急いでいるような気がした。合併の期日延長の話も、8月24日におこなわれた24回の協議で突如会長から示され、次の協議会で話あうことを確認して、それから、鶴岡市議会合併問題検討委員会で、九月十五日に十月一日に延長する旨の資料が渡され、そして21日の委員会の協議で、延期には同意。そして半年案と一年案が提示されて、二十二日の合併協議会をむかえたのだった。この時、はじめて、合併協議会よりも先に、市議会合併問題検討委員会で、「期日の延長」の資料が手渡された。これは異例の事だった。いずれにしても、早期に調印、そして議決をしたいという意志が感じられる。

九月議会は、明日、二十四日の本会議で終了する。草島 本日はお彼岸参りと討論を煮詰める一日です。


中之島ボランティアセンターより


18日 ボランティアセンター立ち上げ日、ボランティア数1198名。
昨日19日、ボランティアの数1648名。昨日は、連休最終日ということもあり、県外からも多数のボランティアが参加。午前九時オープン予定のセンターを30分くりあげて受付をする。受付レーンに一挙に受付。現地のニーズは、泥上げ が大半。昨日にひきつづき、電話を受けてのニーズの他に、町内単位の班長さんがボランティアを「何名ほしい」と迎えにきてくれた。七番町は250名ほどのボランティアをひきつれて、現地でふりわけて作業にはいった。決壊現場に近い場所は、家にはいった泥を書き出す作業でほとんど終始している。
ここでひとつ困った状況が生じている。 

土のう袋が足りない! 

 土のう袋が、今、現場でのトップニーズだ。単に土砂をいれる丈夫な袋だが、それがないと自衛隊も業者も土砂を外にだせない。役所では、「一件につき五枚」と言って住民にわたしている。平等優先の役所でよくやりがちなことだが、現場が見えていないのだ。「役所じゃ五枚しかくんねえからよう、買うしかねえんだ」と被災地の住民はこぼしているが、それはナンセンスだ。ボランティアの現地での活動にも何がなくても、この泥かきだし作業にこの土のうはいくらあっても足りない状況。今現在の支援物資の最筆頭として「土のう袋」といいたいのだ。
昨日18は、長岡JCの方が十回ぐらい車で往復して、僕も二度ほど、一輪車を使って、土のう袋約1万袋を作業現場に運んだ。家の敷地全体に五十センチもの泥が堆積している現場がたくさんあるわけだから、これは当面相当数必要なのだ。
(20日になってこれは県、国マターだとして国交省信濃川河川事務所と交渉。案の定国の機関にはたくさんあるとのこと。それもそうだ。水防の必須アイテムがこの土のうだから、いろんな水防の事務所や倉庫に振り分けて相当数備蓄しているはずだからだ。とりあえず3万袋を発注した。水害時の泥かきだし作業をともなう時の国の’復興支援物資としてきちんと位置づけ、とにかく現場救援のために大量投入することを求めたい。)

午後三時すぎ、小泉首相が被災地視察のために中之島にやってきた。警察が、(なんでここに神奈川県警がいるのか不思議だった)相当数増員され、上空にはヘリコプター2機が警戒こんなボロい「ボラセン」になんかこないだろうな とみんな思っていたが、災害対策本部(となり)に着くとそのままとなりまで歩き、ボランティアセンターの中にぞろぞろと現れた。マスコミはあまりとりあげなかったようだし、いろいろ思惑もあったのかもしれないが、ボランティアセンターに足を運んでくれたことだけは評価しておこう。

二十日 朝。 晴れ。
被災現場は、粉塵がまっている。匂いも結構きつくなっている。朝から、粉塵マスクを現場にむかうボランティアにもたせる。
ボランティアセンターは、朝七時半からフル稼働している。午前九時にはボランティアの受付開始。平日の今日からがもうひとつの勝負。午前11時現在。現在366名。さすがに連休時とは違う。ぱらぱらといった感じの状況。現場は、泥だしや、家具だしをおこなったり、家屋に水をかけて洗ったり。作業はいくらでもある。

 20日は、結局 男性353名  女性76名  の429名。

ニーズ133件に手をつけられない状況だった。これは徹底的なボランティア呼びかけが必要だ。

送迎バスがでます。見附⇒中之島ボランティアセンター

いけなかった件数 133件 だれもいけない。
ほしいボランティア537名必要。
 
三条市災害ボランティアセンターHPは、
http://npo-aichi.or.jp/ssvc/


新潟水害の現場ー2中之島町より



中の島町。
今朝より、町民文化センターのとなりにある木造の体育館に、本格的に中之島町の水害ボランティアセンターがたちあがり、朝からニーズ調査として被災地を歩いた。
決壊し、泥流が町をのみこみ、車や家を押し流した現場。
決壊個所から周囲約百メートル。約30件は泥に押し流され、ほとんど家々は崩壊に近い状況。そして昨日も雨のため午後5時には避難勧告がでて現場にいることを許されなかった住民の人たちにとってもひさびさに天候が回復した今朝から本格的な復旧作業といったところだ。
 中之島町は、町役場自体が水没したため、災害対策本部は、町民文化センター内に設けられている。そのセンターから、1キロもいかないところに最もひどい現場があるため、ボランティアは徒歩で現場へ行く。幹線道路沿いの被害のひどい場所には自衛隊が200人ぐらい、重機などを使いながら復旧作業をおこなっていた。そして路地に入ると、まだ水が完全に引かない中。また泥が厚さ約50センチも堆積している中、泥の中で、全身どろだらけになりながら、住民の格闘がおこなわれていた。親戚縁者、知人友人総結集で作業していたところはあったが、人手はいくらあっても足りない。「ボランティアさんかい、何人でもいい、早く送ってくれ」と家々で呼び止められる。バケツリレーで泥を家からかきだす。水没し、泥まみれになったたたみや家財道具を家からだす。土のう袋にいれて使い物にならなくなった財産をどんどん外につみあげていく。場所によってその様子もかなり異なるけれど、ほとんどの家々で、いつ終るともしれない途方もないように思える作業に挑んでいた。
 
 今日は、ボランティアの人数が千人を越えた。みんな戻ってくることには全身泥だらけになりながら、奮闘。高校生から、60代、と思しき老若男女、志で集まった皆さんの大健闘。
「いやあ、とにかく現場はひどかったですね。精いっぱいやったけど、いつまでかかることやら」
これは現場からもどってくるボランティアのホンネだ。とにかく現場に立つと、その深刻さがずしりとくる。でも、着実に、みんなの力が現状をいい方向に変えている。

 神戸のときもそうだったけれど、被災者の方には、これから、いろんなものがふりかかっていく。自分の家に住めるようになるのか。住めたとしても、家財道具は全部ゴミと化してしまった。それをどうするのか。水没した車はどうするのか、家族はこのまま作業が続いても大丈夫なのか、火曜日から会社だけれど、仕事ができる状態なのか。商店は再会できるのか、被災地の現場の住民だけの特別の時間が流れ始めている。土手の川の向こうには、全く別のフツー時が流れていることを思うと孤独感や、絶望感がつよくなっていくのではないだろうか。

 中部水害の3倍ともいえるこの水害は、かなりの長期戦といえる。まずは全国からの愛をゆっくりと、この近くて遠い被災地に、送り続けることが必要だ。

私のホームページに現場の画像をアップデートしています。
どうぞご覧下さい。

http://homepage.mac.com/stern8/PhotoAlbum2.html

http://www.kusajima.org

現地の情報


草島です。朝取材をした後、
行革関連のPMフォーラムを終えて三条に戻りました。
今21時をまわったところ。燕三条の駅の車中からです。
三条のボラセンは完全にたちあがり、中の島のボラセンのたちあげに、今、力が注がれているところ。しかしながら、三条も中の島も今日の雨のため、避難勧告がだされたため、撤退、明日朝からの作業になるとのこと。特に中の島周辺は、水没している道路も多いため、三条周辺に待機するようにアドバイスをうけました。

庄内地方も立川三ケ沢あたりで浸水の被害がでているということで、今晩の雨の具合によっては、一度地元に戻ることも検討中です。

現在のところの有益情報リンク集です。

災害現場の簡易地図
http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/16niigata/index.html

新潟県HP
http://www.pref.niigata.jp/

信濃川河川事務所(防災情報(気象、災害、交通)リンク集多数)
http://210.131.8.12/~shinano/0to24/bousai/index.html

三条市情報(画像、即時的な掲示板)
http://www.kenoh.com/index.html

NHK新潟(携帯からも→ http://k.nhk.jp/ )
http://www3.nhk.or.jp/saigai/index.html

新潟日報(地元新聞)
http://www.niigata-nippo.co.jp/index.html