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カテゴリー: 平和

須田郡司・鎌田東二 写真展とライブ!


スサノヲの雄叫び

11月12日(日)【荒魂ースサノヲの雄叫び】大成功!

公演アーカイブ映像 4K

別角度から  HD

 


舞踏:森繁哉
脚本・歌・石笛・横笛・法螺貝:鎌田東二
テナーサックス 尺八 :松本健一
ジャンベ:佐藤暁子
ブルースハープ・ディジュリドゥ:草島進一


 伝説の野外フェス「月山炎のまつり」(1999−2007)以来の歌声が、久々に鶴岡に響きました!ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!


 月山炎のまつり1999

 月山炎のまつり2002 (参加者 800名!)


鎌田東二先生 絶体絶命・遺言ライブ 2023年7月8日 大阪・中津@Vi code

 


月山賛歌2023 11/5のトークのエンディングより。


須田郡司、鎌田東二 写真展は5日から12日までの6日間、200人以上の方々にご覧いただきました。ありがとうございました。

鎌田×須田鶴岡アートフォーラムチラシS


鎌田先生プロフィールS


須田郡司さんの巨岩の写真は、週刊現代 2023.11.4号「奇岩伝説」としてカラー8P 大特集されました。GOOD タイミング!IMG_7762 2

 

須田さんによる解説映像

 

 


須田・鎌田 写真展 オープニングトーク11/5 ゲスト草島進一 

「災害多発時代の備えと対策」2023.11.7 @鶴岡アートフォーラム 鎌田東二×須田郡司×草島進一

1998年より20年来、ご指導を頂いている 鎌田先生との出会いと、私、草島進一の原点をお話させていただきました。


お詫び 草島プレゼン中 「T・K・B」は、トイレ・キッチン・ベッド(テント)の誤りです。訂正します。


須田・鎌田 写真展 トーク 11/12 ゲスト 森繁哉

災害と芸能「荒ぶる災害の時代に備えて」


 トークはこの映像の33分から。

 


鎌田東二 京大名誉教授 松尾芭蕉の奥の細道 の「奧」は、湯殿山である。


須田・鎌田 東北フィールドワーク 11月6日ー11日

草島進一 撮影映像


東北フィールドワーク 11月6日〜11日

鎌田東二先生 撮影映像

 1日目 庄内


 2日目 秋田


 3日目 秋田ー青森


 4日目 青森 三内丸山遺跡 恐山 大石神社


第5日 戸来村キリストの墓、大湯環状列石 2023年11月10日


第6日(最終日)田沢湖御座石神社、鏡石、十六羅漢、丸池、ライブリハ 11月11日


10月12日 演目

「荒魂~スサノヲの雄叫び」
2023年11月12日 鶴岡アートフォーラム公演

出演者:
舞踏:森繁哉
脚本・歌・石笛・横笛・法螺貝:鎌田東二
テナーサックス 尺八 :松本健一
ジャンベ:佐藤暁子
ブルースハープ・ディジュリドゥ:草島進一

第一章 悲と旅 約10分 詩の朗詠:「悲の岬」1・2 +歌12 サウンド

「悲の岬1」

月光は黄泉路を越えてきた。満月を串刺しにしたまま血を舐めている処刑台の山猫は何に向かって吼え ているのか。月夜に還ってゆく何処の島がある。故郷への道は塞がれたまま魂の難民は国境線で不安と 恐怖の夜に怯える。全世界を覆う電脳もこの怖れの暗渠をほぐすことはできない。絶対零度の深海闇夜。 癒しなどどこにもないのだ。救いがあるとすれば無力に震える独りの夜を無為に過ごすのを見届ける自己 があることのみ。深遠を呼び覚ますモノが存在するとしたら黄泉路を越えて自己を突き通す無限遠点の まなざしと意思を植えつけたこと。超越の波動が悲の受精卵を苦の岬から突き落とす。満月に向かって 悲しく聳え立つ母之理主よ応答せよ応答せよ応答せよ!

歌1:「探すために生きてきた」

探すために生きてきた 道を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた

12345678910 果てしない 12345678910 切りがない 12345678910 とめどない 12345678910 道がない

探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 時を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた

12345678910 果てしない 12345678910 切りがない 12345678910 とめどない 12345678910 終わらない

探すために生きてきた 探し求めて生きてきた

 

路を求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた

12345678910 果てしない 12345678910 ときがない 12345678910 あてがない 12345678910 みちがない

探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた 探すために生きてきた 探し求めて生きてきた 夢を求めて生きてきた 闇を潜って生きてきた

 

歌2:「泥の鳥ブルース」

身を切るような鋭さを自分に向ける 身を断つような悲しさに我を失う 俺にかまうな 捨て置け あめつちよ

遠さにあこがれる自分にあきれる 近くにいる君を傷つける自分を恥じる 俺は荒ぶる泥の神 ちちははよ

生れてきてから愛されたことがない 死のうとしても死ねない自分を哄う 俺は飛べない泥の鳥 しらとりよ

恋をしても飛べない自分を呪う 怒りの火山に身をゆだねて死にたい 俺は廃墟のガラクタだ 富士やまよ

生れてきてから自分を壊したことがない 一度たりと自分を超えたことがない 俺は飛びたい泥の鳥 始祖鳥よ

生れてきてから自分を壊したことがない 生れてきてから愛されたことがない Ahu Ahu

詩の朗詠:「悲の岬2」

愛を求めて生きてきた 愛を求めて生きてきた

 

深い夜の瞳の底でアンテナは疼いた。音信絶対不能の音源を逆探知したが事切れてしまった悲劇的な 預言者を弔う。耳孔の奥でトマトが潰れマグネシウムの閃光が散らばった。神父は手旗信号を使って必 死の面持ちで十字を切ったが誰も気にせず通り過ぎた。夜空を染める無関心と迸る涙のような流星。帰 って来い。暗号解読が遅れたため避雷針が裂けて粉々に砕けた。もう一歩も先に進めない。三歩退いて 倒立したまま巫女は緋袴を翻して昏睡した。懐かしさこそ誘惑の手口なのに。忘れるな。未来を覗く窓が 指揮棒で激しく割られていた。空に向かって牛乳を撒き散らした。ハレルヤを叫びながら白色驟雨に撃た れ南十字星に内臓を鷲摑みされたまま遠くの遠くまで嘆きの河を渡って往く。その日始祖鳥は翔ぶ空を 切なく探した。

第二章 スサノヲの雄叫び (詩の朗読を中心に + サウンドインプロビゼーション) 約20分

すべては妣の死から始まった
いのちの女神 イザナミの妣の死から
ゆくりなくも 天上の神々は使命した
このくらげなすただよへるくにを修理固成せよ と

ゆえに イザナギ イザナミは めおととなって みとのまぐはひにより 国生みをした

ひるこ

水蛭子

あはしま

淡島

あはじのほのさわけのしま

淡道穂狭 別 島を皮切りに

い よ ふたなのしま

伊予の二名島

あ め の お し こ ろ わけ みつごのしま

天之忍許呂別てふ隠岐の三子島

つくしのしま

筑紫島を産んだ
伊予と筑紫は 身一つにして面四つの島 だった

おほやまととよあきつしま

そのあとに 天御虚空豊秋津根別てふ大倭豊秋津島を 産んだ

これら 最初に生まれた八つの島々を合わせて 大八島国 と名付けた

あ め ひ と つばしら い き のしま

つづいて 天比登都柱てふ伊伎島

あ め の さ で よ り ひ め つ しま

天之狭手依比売てふ津島

さどのしま

佐度島を 産み

あまつ み そ ら とよあき つ ね わけ

おも

 

そして大妣イザナミは
この大八島という大きな八つの島々のまわりに
さらにまたたくさんの小さな島々を産んだのだった
そして 石の神 風の神 海の神 木の神 山の神 野の神 など
ありとあらゆる 山川草木 海 山 風 土の
天地の間にある神々を産み
最後に 火之迦具土神を 産んだ
そのため みほとが焼かれ 病み衰えて 黄泉の国に神去った

大妣イザナミは最初にヒルコ 最後にカグツチを産み その病み衰えたからだから 鉱物や土や水の神々をこの世にもたらして 黄泉の国に去っていったのだった

いのちの大妣イザナミは 産みに産んだそのはてに 死に至ったのだ すべてはここから始まった

水に始まり火に終わる大妣イザナミのはたらきのおおいさに涙する

大妣の悲
それは 夫イザナミの無理解と非道な仕打ち
見ないでと頼んだ わがからだを見られてしまった
その辱と 穢れたものを見るかのような夫のまなざし
いのちの行く末をおおらかに見とどけることができたなら
死もまた穢れなどではなく
いのちの変容のかたちなのだと
やさしく受け止めるまなざしが生まれていたら
吾が悲しみと痛みはこれほどのものではなかった
大妣はそう感じていたはずだ
そのことに 父イザナギは気づかなかった
彼は わが身が穢れに触れたと思い
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で

ひ の かぐつちのかみ

 

禊祓をしたのだった

そして その禊祓の最後の最後に生れたのが
吾だった
父イザナギは 最後に左目を洗って 姉アマテラスを
右目を洗って 兄ツクヨミを
そして 最後に鼻を洗って 吾 スサノヲ
を生み成したのだった

父イザナギは

この禊祓から生まれた子神たちの最後の三柱を

みはしらのうづのみこ

とくに 三 貴子と名付けて 尊んだ

だが それゆえに
だが そのために
吾は 父を許せなかった
母の思いと愛を踏み躙って 独り善がりな清らかさの中に浸りきっていた父を

父よ
あなたは あさはかだ
父よ
あなたは ひとりよがりだ
いつも そうだった
おとこたちの 手前勝手はもうたくさんだ
俺は泣くしかなかった
ただただ 泣き喚くしかなかった
啼きいさちるしかなかったのだ
おかあさ~ん
おかあさ~ん
おかあさ~ん と
母の痛みと悲しみを感じれば感じるほど
それに気づかぬ父の無神経に腹が立った
何なんだ その自分勝手は
そして その自分勝手を俺たちに押しつける

姉 アマテラスには 高天原

 

 

兄 ツクヨミには 夜の食国
吾 スサノヲには 海原を知らせ

だと?

大妣の悲しみにも気づかずに
おもいをかけずに
いたわりとやさしさをそそがずに
あなたの愛は独善的である いつも
あなたの愛は独行的である つねに
妣は 耐えた
妣は 忍んだ
そして
妣は 恨んだ
そんなうらみを あなたは世界にもたらしたのだ
その責を取ってもらう
吾は啼きながら そのことを言い募っていたのだ
責め立てていたのだ
だが あなたは いっかな そのことに気づきもしなかった
そして 吾を追放した
根の堅州国 妣の国に行ってしまえ! と
もちろん 吾は 根の堅州国 妣の国に行こうとした

だが その前に 姉にだけはわかってもらいたいと 別れを告げに行ったのだった それが 次なる出来事を生んだのだった

姉は吾を疑った
自分の国を奪いにきたのではないかと
まるで 何もわかっていなかったのだ 姉は
父と同じで
吾をただのわがままで粗暴なやつとしか見ていなかったのだ
父に見捨てられた母が深く傷ついたように
姉に見限られた吾も深く傷ついた

 

けれども そのことは 表沙汰にはしないで

うけひ

身の潔白を証明するために 宇気比をおこなった

ものざね とつかのつるぎ

姉は 吾が物実の十拳剣を取って 天の真名井の水で洗い 口中に入れ さがみに噛んで 息とともに吐き出し

三柱の女神を生み成した

た き り び め のみこと おくつしまひめのみこと

多紀理毘賣命 またの名 奥津島比売命

いちきしまひめのみこと さよりびめのみこと

やさかに まがたま みすまる たま

吾は 姉の物実の八尺の勾瓊の御統の珠を受け取って
天の真名井の水で洗い 口中に入れて
さがみに噛んで わが息とともに吐き出し

五柱の男神を生み成した

市寸島比売命 またの名 狭依毘売命

た き つ ひ め のみこと

多岐都比賣 命

まさかつあかつかちはや ひ あ め の おし ほ みみのかみ

正勝吾勝勝速日天之忍穂 耳 神

あ め の ほ ひ の かみ

天之菩卑能神

あ ま つ ひ こ ねのみこと

天津日子根 命

い く つ ひ こ ねのみこと

活津日子根 命

く ま の く す び の かみ

熊野久須毘神

こうして ウケヒによって 吾は心の清らかさを あかしした

だが おれの怒りは収まらなかった
アマテラスよ なぜ おれを疑うのだ
イザナギよ なぜ 母の悲しみを分からぬのか
おれはおまえの 三貴子の一人などではない
おれは 母の子だ
おれは 俺だ
おまえの子ではない
おれの怒りは怒濤となり噴火となり爆発散乱した
すべてのものを破壊する
すべての神を破砕する

 

すべてのいのち破爆する

おさまらぬ
おれの こころは おさまらぬ
おれの からだも おさまらぬ
なぜだ なぜだ なぜだ
なぜ なにも わからんのか
おれは 暴れに暴れた
田んぼを破壊した
畑を毀した
畔も 土手も 何もかも

反吐を吐いた

大嘗殿に糞をした

忌服殿に血だらけの馬を投げ込んだ
天の班駒を逆剥ぎに剥いで
皆殺しにしたかった
破砕し尽くしたかった
誰もかも
何もかも
どこもかしこも
アマテラスは おれを怖れた
そして 逃げた
逃げ隠れた
天の岩戸に
おれは それをも破壊し尽くしたかったが
天上の神々は おれを閉じ込めた

そして 神集いして 祭りをおこなった アメノフトダマは神籬を捧げ
アメノコヤネは祝詞を奏上し アメノウズメは手に笹葉を持って踊りに踊り神楽を奏して神憑りした

胸乳が露わになった
ホトが露わになった

あめ ふちこま さか

 

それを見て 神々が笑った
花が咲き誇るように笑った
そのとき ひかりがさした
光が戻った
光が甦った
アマテラスが顔を出した
あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ!

天晴れて 光が射して 面に当たって 白光りして
おのずと手が伸びて みなともにゆれにえゆれ おどりにおどり なびきになびいて おけ となる
おけ おけ おけ となる

世界に光が戻り
いのちが息を吹き返した
いのちは甦ったが
俺は追放された
髪の毛を切られ
髭を切られ
手足の爪を剥がされ
あらゆる罪穢れを背負わされて
身も心も魂も剥き出しにされて
追放された
地の果て
この世の涯
涯の果てまで

だからおれは ながれ 流れて 流浪する
漂流する
かつて 海原を治めよ と命じられたおれが

 

七つの海を 流され 漂流し
地の涯 この世の果てまで 経巡った
どこにも おれの居場所はない
休む場所はない
憩いの地はない
どこからも 拒絶されて
宿無しの 独り旅
還るところのない 漂泊
流浪
ただ 荒れ果てて すさみきって ながれゆくまま
そして その流れゆくままに 行き当たったのが
出雲の地だった

いづも いつも いづるも

いつ 思い出しても 愛惜の思いに揺れる
出雲の斐河に至った時 上流から箸が流れてきた
そこに 誰かが住んでいる

おれは 駆け上った 上流に

ほどなくして 粗末な小屋を見かけた
泣き声が漏れていた
どうしたのだ おまえたち
何を泣いているのだ
毎年この時期になるとやってくる ヤマタノオロチが
最後に残った八番目のこの娘を食い殺しにやってくるのです
それが つらくて 泣いているのです。
泣いているのは 三人
あしなづち てなづち くしいなだひめ

 

じつは おれは これまで そのヤマタノオロチとやらと同じであった 食い殺し 斬り殺し 叩き殺し ありとあらゆるものを 破壊尽してきた それが おれだった

だが そのおれが おれのかつてのおのれのようなヤマタノオロチを退治して見せよう そやつは おれにしか倒せぬからな
ヤマタノオロチを殺すことができるのは ヤツの分身でもあったおれだけだ

おれは策略を施した
八頭八尾の八岐大蛇に 八つの甕に なみなみと酒をそそぎ
酒精をプーンと匂わせて ヤツをおびき寄せ
ぐでんぐでんに 酔っぱらわせて のびてしまったところを 叩き切る
おれの策略は奏功した
まんまとおれの仕掛けた罠にはまった
かわいそうだが 姫たちを救わねばならぬ
そのためには アヤツを殺さねばならぬ
両立は 無い
殺すか 殺されるか
喰うか 喰われるか
どちらかしか ない
さいわい おれは 生き残った
いのちながらえた
人救いを果たして
クシナダのヒメよ 美しいクシナダヒメよ
おれとともに 生きてくれ
おれとともに 生きてゆこう
この ヤマタノオロチを倒した 八雲立つ 出雲の地で
こうしておれは 勝鬨を上げ
心の底から晴れ晴れとした思いに満たされ
思いのたけを歌にした

 

  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
    八重垣作る その八重垣を
たくさんの雲が立ち上ってくる
その八雲立つ出雲の地で
愛するおまえとともに住む愛の御殿を造り
その愛の住処で 常永遠に 愛するおまえと過ごしていこうぞ
おれは 吾が心清々しと大声を挙げて 歌をうたった
おれの歌は 八雲の歌 出雲の歌 八重垣の歌だ
そしてそれは 八岐大蛇の鎮魂歌であり 母の鎮魂の歌である
母の痛みと悲しみを背負い切れずに 暴れに暴れ
壊しに壊し
わめきにわめいてきたおれが
初めて 正調の調べを持った晴れの歌をうたったのだ
  八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
    八重垣作る その八重垣を

やー やー やー やー

それは いやさか のうたである
やさか のうたである
やーさか のうたである
うたでしか おれの心の晴れ間を言い表せぬ
心の晴れ真
心が晴れた
心は晴れた

ようやっと

妣よ 大妣よ

こうして 吾は いましみことのかなしみをほぐし
母の痛みと恨みを 解き放った
この天上にまで千木高知りて聳え立つ愛の御殿の歌で

 

母の恨みを 歌で溶かした

すべては妣の死から始まった
そして 最後に 歌が残った
死が 詩となった
死が 歌によって 史となった
おれの語りは 歌となる
それこそが 海原を治める おれの道

海原は 歌原である

くらげなす漂へる大八島の国
葦原の中つ国
豊葦原の瑞穂の国よ

第三章 和魂・幸魂(約15分)

歌:1「僕の観世音菩薩」

ぼくの観世音菩薩

朝 扉を開くと 鳥の声が聴こえる 風のそよぎ 水のせせらぎ 光に満ちて しあわせをかみしめる ああ ぼくの観世音菩薩

ああ わたしの観世音菩薩

夕べ 扉を閉めて 闇の中に憩う
ろうそくを燈し 静かに語らう
やさしさにあふれ しあわせをかみしめる D―A-Dm-G D-A―G-D

ああ ぼくの観世音菩薩 ああ わたしの観世音菩薩

夜 魂を重ねて 夢の中に溶ける
いのちの声に 耳を澄ます
からだを寄せ合って しあわせをかみしめる

ああ ぼくの観世音菩薩 
ああ わたしの観世音菩薩 

ああ 南無 観世音菩薩 ああ ああ 観世音菩薩

 

2「神」

この苦しみの中に神が在る この悲しみの中に神が居る 神は森に住んでいるけれど 人の心の森にも住んでいる

この激しさの中に神が在る この慎みの中に神が居る 神は海に住んでいるけれど 人の心の海にも住んでいる

開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河

この痛みの中に神が在る この静けさの中に神が居る 神は天に住んでいるけれど 人の心の天にも住んでいる

この喜びの中に神が在る この祭りの中に神が居る 神は祭りに現われるけれど 祈る心の中にも現われる

開け天地 吹けよ山河 つながれ天地 結ばれよ山河

歌3:弁才天讃歌 オンソラソバテイエイソワカ(8 回)

天の川清く流れ 地上に光の帯となって 緑の大地を育み 世界に夢の帯となって 心の絆を結ぶ
弁才天 輝け
弁才天 宇宙へ

弁才天 響かせ

 

 

弁才天 天翔ける オンソラソバテイエイソワカ(8 回)

天の星遠く流れ 地上に光の帯となって 魂の道を照らし 世界に虹の橋となって 国の境を超える
弁才天 あふれ出せ
弁才天 世界へ

弁才天 響かせ 弁才天 魂翔ける

オンソラソバテイエイソワカ(8 回) オーム

第四章:奇魂 (約10分)

歌1「銀河鉄道の夜」

この地球から見ると銀河は白い乳の流れに見えて夜空を彩る その夜 ケンタウルスの祭りでぼくは不思議な夢を見た 銀河の夜汽車に乗って星の世界を旅する夢だった

あの空の果てまで ぼくたち二人で まことのさいわいを探しに行こう

カンパネルラの星までぼくは旅をする カンパネルラの星からぼくは飛んでゆく

この宇宙の中で地球はいのちと苦悩に満ちた星として輝く その夜 銀河の渦の中でぼくは孤独な星となる いっしょに行こうと誓ったきみはどこにいるのか教えて 教えて

あの空の果てまで ぼくたち二人で まことのさいわいを探しにゆこう

カンパネルラの星までぼくは旅をする カンパネルラの星から独りで飛んでゆく

あの空の果てまで ぼくたちみんなで

 

まことのさいわいを探しにゆこう 探しにゆこう 探しにゆこう 歌2「神ながらたまちはへませ」

神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら

岩陰より滲み出して来る 水を探して 夢を探して 向こう岸にる 向こう岸に渡る
夢を開いて 夢よ開けと
あはれあはれ はへ あはれあはれ はへ

神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら

なけなしの夢が壊れて 行く当てもなく流離う 尽十方未来際 尽十方未来際
夢を開いて 夢よ開けと
天晴れ天晴れ はへ 天晴れ天晴れ はへ

神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら 神ながらたまちはへませ神ながら

祈りの言葉は死に絶えても 朝日の中で甦り咲く 尽十方未来際 尽十方未来際
夢を開いて 夢よ開けと
天晴れ天晴れ はへ 天晴れ天晴れ はへ

神ながらたまちはへませ神ながら

詩の朗読:「火伏の山」(=月山讃歌)

火伏せの山として知られる霊山 そは 火を隠し持つ聖山

人を寄せつけぬ険しさと激しさ けれど 人を魅了してやまぬ神秘

そこに どのような火が燃えているのか?

 

火を吐く恐竜のような荒ぶる山の烈火 赤い蛇体のように流れ落ちる溶岩 樹木を焼き尽くす山火事の火 悩める心を激しく焼き焦がす火 人と人との間にあたたかに灯る火

いろんな火があるのだ 多様な火の多様な顕われがあるのだ」

母は言った 災難が起こるから火打ち石を持て!

父は言った 災難を乗り越えるために火打ち石を打て!

吾は言う 災難を受け止めるために火打ち石を配れ!

汝は言う 災難の後を生きるために火打ち石を隠せ!

さまざまな火の処方がある中で 火伏せの山はそのどれにも生成変化する

そは 火を秘め持ちながらも 火を抑えることもできる山 火を鎮めるための天地の清水を満々と湛える山

そんな 火伏の山に わたしはなりたい

歌3「月山讃歌」フィナーレ

北の大地から天に向かって 月の山が聳え立つ 万年雪を頂いた峰が緑の田畑を潤す この天地に永遠なるもののしるしを刻んで この世界のいのちの絆を結ばしめる山

Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン

人は死ねば皆魂になって 月の山に帰ってゆく この世の浄土に安らかな顔で月の山に還って往く 

 

この天地に永遠なるもののあかしを結んで この世界のいのちに平和を約束する山 Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン Holy Mountain Forever 我らが月の山 Holy Mountain Forever いのちのオリジン

 

 

 


 

 

 

 


9.27 国葬反対! 閣議決定の撤回を求める請願への討論 他


9月27日に強行された国葬。
鶴岡市議会で9月21日「国葬の閣議決定の撤回を求める意見書の提出の請願 討論がおこなわれました。

9/21 本会議での討論の模様です。
1)長谷川 共産党 2)本間 新政クラブ 3)草島 市民の声・鶴岡 4)黒井 公明 5) 田中 SDGs鶴岡 6)小野 国民民主

結果 賛成 少数 で意見書提出ならず。 

草島20:00 ぐらいからです。


草島進一 討論

市民の声・鶴岡を代表し、請願3号に対し、賛成の立場で討論をおこないます。

国葬は、国家の意思として「国の責任と負担で執りおこなう葬儀であり、最も格式の高い追悼式で、まさに歴史的行事であります。

そもそも、「国葬」は、1926年、明治憲法下において、天皇の勅令として「国葬令」か公布されたことにより行われたものですが、その中身は、 天皇、皇太后らの大喪儀(たいそうぎ)などのほかに、国家に偉勲ある者の死に際して、天皇の特旨によって、「国葬」が定められ、国民に、喪に服することを命じていました。天皇の名の下に、国家に尽くした偉大な人物を哀悼し、如何に功績があったのかを共有し、原則的に国民統合のための装置として機能していたのであります。

例えば、第二次世界大戦中の山本五十六 連合艦隊司令長官の「国葬」は、戦局が本格的に悪化していく時期に、山本の遺志を 国民皆で継承して戦争を完遂するのだと訴えられ、国民全体に戦争協力を促していく役割を担った、ということであります。

しかし戦後、現憲法が施行された1947年の 12月31日をもって「国葬令」は失効しており、その後、国葬に関する法律の制定はありません。

1967年10月吉田茂元首相の「国葬」が実施され、その費用が予備費から支出されたことに関する質疑が、翌年5月9日の衆議院決算委員会においてなされた際、水田三喜男大蔵大臣は、「国葬について法令の根拠はない。何らかの基準を作っておく必要がある。」旨 答弁しましたが、その後も国葬についての法令は制定されず、国葬に関する基準も作成されませんでした。

1975年に佐藤栄作元首相が死去した際、「国葬」実施が検討されましたが、内閣法制局から「明確な法的根拠が存在しない」との見解が示され、「国葬」ではなく、自民党と政府、国民有志負担の「国民葬」がおこなわれました。その後、首相経験者が死去した際には、内閣・自民党合同葬が、通例として行われてきました。  このような経緯により、現在、「国葬」を実施する為の基準・要件を定める根拠規範たる法律は存在しておりません。

岸田首相は、「国葬」を行う法的根拠として、内閣府の所掌事務について定めている「内閣府設置法」第4条第3項第33号、「国の儀式 並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」の規定に基づいて、閣議決定を行えば「国葬」を国の儀式として実施することができる と説明しておりました。

しかし、内閣府の所掌事務である「国の儀式」 に「国葬」は想定されておらず、内閣設置法第4条は、憲法7条と皇室典範第25条に規定されている「大喪の礼」など、天皇の国葬などの儀式を執行する、いわば手続き法として、内閣府が執行するための規定であって、内閣が元首相の葬儀を「国葬」という新しい「儀式類型をつくりだしてよい」という規定ではありません。

 「国葬」に明確な法的根拠がない以上、元首相の「国葬」 を行うのであれば、国会で議論を尽くし、一般法として国葬の条件を定めた「公葬法」または、特別法としての「元首相国葬法」を制定する必要があります。

それを省略して、閣議決定だけで安倍国葬を執りおこなうなら、それは法律に基づいた権力行使と財政民主主義に違反する。ということであります。

それはさらに、憲法の優位性、法の支配を無視するものであり、

憲法尊重擁護義務を負った内閣が、最高法規である憲法の上 にあることになり背理と、いうことになります。

以上が、法治主義に反するということの根拠であります。

 

●さきほどの反対論者は、「国葬儀」は規定されているなどと、岸田首相と同様の主張をされていましたが、内閣府設置法は「国の儀式」を所掌事務だとしているだけで、国葬、国葬儀の実施を担保できる根拠法ではありません。

●また、市民団体がおこなった閣議決定の取り消し、国費の支出の差し止め、仮処分を大阪地裁が却下した事を根拠に、国葬儀が法的根拠に基づいたものだ。とする見解がありましたが、大阪地裁は閣議決定が既になされていたことから「申し立ての利益はなく、不適法」と判断したもので、それをもって国葬、国葬儀が法的に正当とするのは、全くお門違いというものであります。

●安倍元総理の国葬のもう一つの問題は政治的な問題であります。

岸田首相は、「歴代最長の期間、総理大臣の重責を担い、内政・外交で大きな実績を残した」ものと評価して「国葬」の実施を決めたと説明しています。
 しかし、安倍元首相が国葬に値するとの「国民的合意」は形成されているのでしょうか。その業績の評価は、国民の中で2分しております。 安倍元総理在任中、憲法上問題のある閣議決定や法律の制定が多数行われました。特に、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定と平和安全法制、いわば、戦争法の制定については、圧倒的多数の憲法学者、最高裁の判事経験者、内閣法制局 長官経験者が明白に憲法違反であると反対し、現在でもその廃止を求めています。他にも特定秘密保護法や「共謀罪」法の制定等の問題があります。

又、森友、加計、桜を観る会など、政治の私物化。国会での虚偽答弁、忖度官僚の登用による 国家保有情報の隠蔽、改ざん問題などの疑惑は解明されないままであります。更に今般の銃撃事件をきっかけに、旧統一教会の広告塔だった ということも発覚しました。

 

岸田首相は、「敬意と弔意を国全体として表す儀式」として国葬を説明しています。国葬の恐ろしさは、国民一人一人に弔意を強制するまでもなく、すべての国民が安倍元総理を全面的に肯定し、敬意と弔意を表した、と見なされてしまうことにあります。

国家権力が国民個人の自由な意思を抑圧し、一つの思想にまとめ上げ、国民を一つの政治方針に絡め取る装置であるという、国葬の本質は今も何ら変わりません。

国葬の強行は、国家をあげて安倍元総理を賛美することになり、数々の違憲、違法行為 又、旧統一教会までもが正当化される事になりかねません。 先ほど長谷川議員が申されたように、国民主権の憲法下で、憲法14条「法の下の平等」 や、19条「思想・良心の自由」に違反するものであります。

更に国葬によって、安倍元総理の宿願としていた、改憲にはずみをつける政治利用も懸念されます。自民党の憲法草案、緊急事態条項、家族条項は、旧統一教会の改正案とかなり類似していることが明らかになっていますが、それを正当化し推し進める、歴史的な布石となりかねないと考えます。

 

直近の9月18日毎日新聞の世論調査では、国葬反対62% 対 賛成27%と言う状況であります。9月19日には代々木公園で13000人による反対デモがおこなわれました。「国民的合意」どころか、もはや多くの国民が国葬反対を主張しています。

国葬招待者も、国会議員をはじめ、欠席を表明する方が相次いでいます。

野党議員のみならず、昨日、自民党の村上 誠一郎 衆議院議員も欠席を表明されました。

このような、国民多数が同意しない状況で、現段階で16億6千万円もの、国費を拠出する国葬」はありえません。憲政史上の恥となる行為そのものであります。

直ちに、憲法違反、民主主義破壊の国葬は、撤回し、通例の内閣・自民党合同葬に切り換えるべきであります。

さきほど、地方議会になじまないという見解もありましたが、

東京都、小金井市議会 東京都国立市議会 神奈川県 鎌倉市議会、葉山町議会  鳥取県南部町議会等、地方議会からも国葬反対の意見書が続々とあがっていることを付け加えます。

●以上を主な論点として

国葬の閣議決定撤回を求める請願に、賛同するものであります。


9月27日、国葬が強行されました。

私は9月25日 パル前、八文字屋前
9月26日(月)9月27日当日の朝7時40分ぐらいから八文字屋前で

街頭演説で道行く車に呼びかけました。

国葬の強行反対。百条委員会の理不尽を訴えました。パル前、八文字屋前

法的根拠なし。予算の国会審議なし。安倍氏評価は二分。
14条 法の下の平等 19条 思想信条の自由 の憲法違反。
改憲の弾み、旧統一教会を正当化の危険。民主主義の破壊。
カナダのトルドー首相も欠席で、先進7カ国首脳は誰も来ない。
オバマもトランプも来ません。
世論の賛成は27% 反対62%(毎日新聞社)
これでもやるんですか?
うちの百条委員会、パワハラ認定を議員の多数決て、おかしくないですか?

9月25日 八文字屋 前

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9.26八文字屋前

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9.27 8:00AM

IMG_3764 2この後10時に議会運営委員会


9,27 12;15〜12;40
100名の市民の方々と市役所前、
市民の方々が次々とスピーチ。
憲法違反のアベ政治を継承する国葬強行。
アベ政治は今日限りで終わらせましょう!

シュプレヒコール↓
国葬反対
法的根拠は、ありません
安倍元総理の国葬反対 
憲法違反の国葬反対
弔意の強制、許さない
国葬で、税金つかうな
16億の国葬反対
民主主義破壊の国葬反対
政治利用の国葬反対
統一教会 広告塔 
安倍元総理の国葬反対
国葬反対

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TUY報道

山形県選出の参議院議員 舟山やすえ議員 芳賀道也議員が国葬欠席を表明し欠席。 賢明な判断とFBにメッセージを送りました。


安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 国葬の歴史に詳しい宮間純一教授の論考。どうぞご一読下さい。「私は、安倍氏に限らず国葬そのものが不要だという意見です。一方で、国葬が必要、安倍氏の国葬に賛成という意見もあります。重要なのは、賛成派も反対派も内心の自由が守られなければいけないことです。弔意を示さないことも、示すことも強制されてはいけない」

 そして、こう続けた。

「岸田首相は、かつて戦争に動員するために用いられたことのある儀式を、何の検証もなしに何のルールもないまま今日に蘇らせました。その事実を、国民一人一人が考えてほしい。民主主義を守るためにも、大事なことだと思います」

https://news.yahoo.co.jp/…/d1c30d010e1805d8259d878f19e0…  

国会正門前行動9.27  小室等さんの歌が泣けます。

TBS報道1930 保坂正康さんと後藤健二さんのコメントに注目。「アベ政治をそのまま踏襲の一日」「アベ政治が戦後の政治に問うたもの」


以下、9.28各社 朝刊社説

朝日新聞 社説 安倍氏「国葬」 分断深めた首相の独断


 本来なら、選挙中に凶弾に倒れた元首相を静かに追悼する場とすべきところを、最後まで賛否両論が渦巻く中で挙行した。社会の分断を深め、この国の民主主義に禍根を残したというほかない。異例の「国葬」を決断した岸田首相の責任は、厳しく問われ続けねばならない。

 国内外から4千人以上が参列して、安倍元首相の国葬が営まれた。一般向けの献花台には、早朝から多くの人が列をつくった。一方、反対する集会やデモ行進も各地で行われた。

 首相経験者の葬儀は、内閣と自民党の合同葬が定着しており、約5年の長期政権を担った中曽根元首相もそうだった。同じ形式だったら、世論の反発はここまで強くなかったかもしれないが、首相は法的根拠があいまいで、戦後は吉田茂の1例しかない国葬を選んだ。

 戦前の「国葬令」では、「国家に偉勲ある者」が、天皇の思(おぼ)し召(め)しである「特旨」によって国葬の対象となった。天皇主権から国民主権に代わった戦後の民主主義の下で、国葬を行おうというのに、国民の代表である国会の理解を得る努力なしに、首相は国葬を独断した。

 安倍氏が憲政史上最長の8年8カ月、首相の座にあったのは事実だが、その業績への賛否は分かれ、評価は定まっていない。強引な国会運営や説明責任の軽視、森友・加計・桜を見る会などの「負の遺産」もある。

 政権基盤の強化に向け、安倍氏を支持してきた党内外の保守派へのアピールを狙い、国葬に違和感を持つ世論の存在に思いが至らなかったとすれば、首相による国葬の「私物化」と評されても仕方あるまい。

 首相は追悼の辞で、安保・外交分野を中心に安倍政権の業績をたたえ、集団的自衛権の一部行使に道を開いた安保法制や特定秘密保護法の制定などを挙げた。しかし、これらは、強い反対論があるなか、数の力で押し切って成立させたものだ。国葬が安倍政権に対する評価を定め、自由な論評を封じることがあってはならないことを、改めて確認したい。

 国葬への反対は時がたつほど強まった。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党政治家との関係が次々と明らかになり、その要として安倍氏の役割に焦点があたったことが影響したに違いない。

 数々の疑問や懸念を抱えた国民を置き去りにしたまま、国葬は行われ、社会の分断にとどまらず、国民と政治との溝を広げることになった。その距離を縮め、信頼回復の先頭に立つのは、国葬を決めた首相以外にない。週明けに始まる臨時国会への対応が試金石となる。


毎日新聞 社説 安倍元首相の「国葬」 合意なき追悼の重い教訓

毎日新聞 2022/9/28 東京朝刊 

参院選の遊説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」が、厳戒下で営まれた。

 首相経験者としては戦後2例目となり、1967年の吉田茂元首相以来55年ぶりである。

 三権の長や海外の要人ら4000人以上が参列し、会場外の献花台には長い列ができた。岸田文雄首相は弔辞で、「開かれた国際秩序の維持増進に、世界の誰より力を尽くした」と功績をたたえた。

 凶弾に倒れた故人を悼む機会を設けること自体には、異論は少ないだろう。

 しかし、国葬反対の声は日を追うごとに高まり、毎日新聞の直近の世論調査では約6割に上った。一部の野党幹部が参列せず、反対集会も開かれた。

分断招いた強引な手法

 岸田首相は当初「国全体で弔意を示す」と説明したが、幅広い国民の合意は得られず、かえって分断を招いた。

 その責任は、国葬という形式にこだわり、強引に進めた首相自身にある。

 そもそも政治家の国葬には、明確な基準や法的根拠がない。そうであれば、主権者である国民を代表する国会が、決定手続きに関与することが不可欠だったはずだ。

 だが、首相は「暴力に屈せず、民主主義を守る」と言いながら、国会に諮らず、閣議決定だけで実施を決めた。議会制民主主義のルールを軽視し、行政権を乱用したと言われても仕方がない。

 国葬には約16億6000万円の国費がかかり、国会の議決を経ない予備費からも支出される。

 「安倍氏をなぜ国葬とするのか」という根本的な疑問は、最後まで解消されなかった。

 歴代最長の通算8年8カ月間、首相を務めた安倍氏だが、退陣してまだ2年で、歴史的な評価は定まっていない。森友・加計学園や「桜を見る会」などの問題も未解明のままだ。

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関わりが発覚したことが、反対論に拍車をかけた。自民党議員と教団の重要な接点となっていた疑いが浮上している。

 ところが岸田首相は、安倍氏が死去したことを理由に調査を拒んでいる。閣僚や自民党議員に対する調査も不十分だ。疑念にふたをしようとする姿勢に、国民の不信が深まった。

 無理を通そうとした結果、国葬色は薄れて、名ばかりのものとなった。

 実施決定から約1カ月半後に、ようやく開かれた衆参両院の閉会中審査は、わずか計3時間にとどまった。首相の答弁は説得力に欠けた。

 国葬を強行した手法は、首相が掲げる「聞く力」や「丁寧な説明」とは程遠い。かつて安倍・菅両内閣が独断で物事を決め、異論に耳を傾けなかったことに対する反省はうかがえない。

前例にしてはならない

 一連の経緯から浮かび上がったのは、政治家の国葬は、価値観が多様化する現代になじまないということだ。

 戦前・戦中には、皇族だけでなく、軍功があった人物も国葬とされ、国威発揚の手段に使われた。その反省から、旧国葬令は敗戦直後に廃止された。

 吉田元首相の国葬の際にも、基準の曖昧さや法的根拠の欠如が問題となった。

 このため75年の佐藤栄作元首相の葬儀は、内閣・自民党・国民有志の「国民葬」として行われた。80年の大平正芳元首相以降、内閣と自民党による「合同葬」が主流となってきた。

 国民の理解を得て、静かに故人を送る環境をどう整えるのか。半世紀以上にわたり、首相経験者の国葬が行われなかったのは、対立や混乱を避けるための政治的な知恵だった。

 にもかかわらず岸田首相は、国葬の実施について「時の政府が総合的に判断するのが、あるべき姿だ」と強弁した。それでは、恣意(しい)的に運用される恐れがあり、特定の政治家への弔意を国民に強いることにもつながりかねない。

 そうした事情への配慮を欠いたことが、追悼の環境を損ない、分断を深めてしまった。前例とすることがあってはならない。

 今回の国葬の重い教訓である。

読売新聞 安倍元首相国葬 功績たたえ多くの人が悼んだ
産経新聞 9.27 国葬の朝に 礼節ある日本の姿を示したい

東京新聞 社説

故安倍晋三元首相の国葬がきのう東京・日本武道館で行われた、代表撮影。故人への敬意と弔意を表す国の公式行事として国葬が行われたとしても、国葬実施により国民は分断され、安倍氏の歴史的評価も定まったわけではない。「安倍政治」の検証作業は私たち自身が続ける必要がある。

 安倍氏は二〇一二年十二月の衆院選で首相に復帰し、二〇年九月に体調不良を理由に内閣総辞職した。第一次内閣の一年間と合わせると通算八年八カ月、首相の座にあったことになる。この間、私たちの暮らしや、社会や政治はよくなったのだろうか。

 まず検証すべきは大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」からなる安倍氏の経済政策「アベノミクス」の功罪だ。

 第二次内閣発足間もない一三年に始まったアベノミクスが当初、国内経済に強い刺激を与えたことは事実だろう。金融緩和と財政出動で金融市場に大量の投資資金が流れ込み、株価は回復。多くの企業が財務環境を好転させた。

 しかし、利益を内部留保にため込んだ企業は人件費に回さず、給与は今に至るまで伸びていない。経済格差も広がっている。

 アベノミクスが描いた「投資活性化による利益が賃上げを促し、消費が伸びる」という好循環は結果として実現しなかった。

 最大の理由は、外国人観光客の増加以外に、効果的な成長戦略を見いだせなかったことだろう。

◆政策縛るアベノミクス

 岸田文雄首相はアベノミクスを事実上継承し、野放図で場当たり的な財政出動と緩和一辺倒の金融政策を続ける。それは結果として政策の手足を縛り、日本経済の懸念材料となっている円安・物価高に対する政府・日銀による政策の選択肢を狭めている。

 私たちの暮らしにとって、アベノミクスは「功」よりも「罪」の方がはるかに大きい。

 安倍氏の後継政権である菅義偉前首相、岸田首相は国葬での追悼の辞で、いずれもアベノミクスに言及しなかったが、これまでの経済政策を検証し、改めるべきは改めることが、政策の選択肢を広げる第一歩ではないか。

 「安倍一強」の定着とともに発覚した森友・加計両学園や「桜を見る会」を巡る問題ではいずれも安倍氏ら政権中枢に近い人物や団体の優遇が疑われ、公平・公正であるべき行政は大きく傷ついた。

 側近議員や官僚による安倍氏らへの「忖度(そんたく)」が横行し、森友問題では財務省は公文書改ざんに手を染め、改ざんを指示された担当者が自死する事態にもなった。

 桜を見る会前夜の夕食会を巡っては、安倍氏は国会で百回以上の虚偽答弁を繰り返した。日本の議会制民主主義の汚点でもある。

 しかも、これらの問題はいずれも真相解明に至っていない。安倍氏が亡くなっても不問に付さず、解明に努めるのは国会の責任だ。

 安倍氏を中心として、自民党議員と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との密接な関係も明らかになった。反社会的な活動をしていた団体が政権与党の政策決定に影響を与えていたのではないか、と有権者は疑念を抱いている。

 この際、安倍氏や前派閥会長の細田博之衆院議長を含め、教団との関係やその影響を徹底調査することが、政治への信頼回復につながるのではないか。

◆憲法や国会を軽んじて

 安倍内閣は、歴代政権が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」を閣議決定で容認し、安全保障関連法の成立を強行した。時々の政権が国会での議論の積み重ねを軽視し、憲法を都合よく解釈する姿勢は、立憲主義を揺るがす。

 岸田首相も歴代政権が否定してきた敵基地攻撃能力の保有に踏み切ろうとしている。憲法に基づく臨時国会の召集要求に応じない姿勢も、安倍氏と変わらない。

 安倍氏は、街頭演説で抗議の声を上げた有権者に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ったことがある。

 世論が二分される中で行われた国葬は、国民を分断することで、賛否の分かれる政策を進めてきた安倍政治の象徴でもあろう。

 ただ、こうした安倍政治は、国政選挙での度重なる自民党勝利の結果である。有権者の政治への諦めや無関心が低投票率となり、政権に驕(おご)りや緩みを許してきたとは言えないだろうか。安倍政治の検証は同時に、私たち主権者の振る舞いを自問することでもある。

 


11月3日。日本国憲法発布70年の日に。


「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」『復刻新装版 憲法と君たち』=佐藤功・著

報道ステーションでもとりあげられていた。読むべし。


今日は仕事の後、「高江ー森が泣いている」という映画を観た。ヤンバルクイナや貴重な野生動物が生息する楽園のような沖縄の自然や住民の暮らしを奪い、軍事演習場、オスプレイが飛来するヘリパッドの工事が強行されている。民意を無視し、住民の非暴力の抗議行動に対して、機動隊で制圧して米国のために工事を強行するその暴力に言葉を失った。

人権や自由を奪う憲法違反そのものではないか。国民を欺き、権力をふりかざし、堂々と憲法違反を犯し、その上で壊憲を成し遂げようとする。これぞアベ政治である。憲法制定70年。来週から憲法審査会が再びはじまるそうだ。


もはや「押しつけ憲法論」は論外。先の戦争の戦犯たちが創りだした虚構であり、全く事実に反している。

「憲法は国民の自由や人権を守るために、権力者達を縛る命令書」たる立憲主義を逸脱する改憲も論外。政府によって都合よく、国民に憲法尊重義務を課し、国民の義務を10項目も増やすような自民党の憲法草案はまさに「改憲ならず壊憲」であり、言語道断だ。


70年前に、二度と戦争を引き起こさないように、狂った社会を日本にもたらさないように、そして二度と個人の自由や人権を奪う事のないように、当時の日本人が情熱と希望とをもって憲法をつくった。そして70年前の今日、多くの日本国民が憲法制定を喜び祝福した。「これで、国民を欺き、多くの国民を徴兵し、そしてその兵士の多くを餓死させ、特攻させ、更に広島長崎への原爆や日本各地への空襲で310万人もの犠牲を強いた戦争の社会から完全に解放され、これからは監視や弾圧がなく、自由に書物を読み、個人の幸せの追求のために暮らし、発言や運動を行うことができる」と。


そうした先輩方を裏切らないようにしなければ。昨年強行採決された「戦争法」は無論、米軍の為に強行される高江ヘリパッドや辺野古の基地も、米国をはじめとする多国籍企業に国家や自治体の主権を奪われかねないTPPも、憲法違反そのものではないか。


憲法に反した、こうした間違った政治を正したい。「憲法が私たちを守る。私達が憲法を守る。」

社会的にも、環境的にも持続可能な社会にするために。


言論の府を暴力の場に変えたのがアベ自民党。言論の府を取り戻す7.10へ。


絶対僕らは忘れない。自民党議員が「人間かまくら」をつくって言論の府たる参議院を暴力の場にした事。

2015.9.18 アベ政治が破壊した言論の府を、主権者である私たちが取りもどす闘いが7.10参議院選挙。
この写真を投票の日まで覚えていましょう。皆様。

 
草島 進一さんの写真imgres-2imgres-1

立憲主義が解らないアベ政治ムラ


立憲主義とは?

安保法制、集団的自衛権の問題でさかんに問われているのだけれど、一体なんなのか、

今や総理大臣自らが妙な解釈をしてどんどんこの立憲主義から逸脱をしているし、更に

憲法改正をとにかくやるのだと、主張し続けている。国会審議では「弱々しいだの自分たちは強いだのという言葉を使って、野党を牽制しながら、正論ぶって奇妙な主張を貫いているのだ。

先週の民主党の大串議員の追求でアベ総理の危険な憲法感が明らかになった。

安倍総理はこれまで現行憲法について「GHQに押し付けられた」
「日本人の精神に悪い影響を及ぼしている」
「憲法前文はアメリカへの詫び証文」
(立憲主義に対しては、古色蒼然」などと発言をしている。以下、大串議員のパネルにひとまとめてしてあった。

この中で、憲法について総理は、

左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが短期間で書き上げ、それを日本に押しつけたものである

と言及していた事を示し、今も同様の考えかを大串議員は尋ねた。

​総理は

安倍総理「これは、日本が占領下にある中において、まさに当時は連合国のGHQ、司令部がある中において、日本国といえども、いわば当時の政府といえどもこの意向には逆らえないわけでございます。その中においてこの憲法がつくられたのは事実であろう、こう思うわけでございます。

 そして、極めて短い期間につくられたのも事実でございます。その事実を事実として申し上げた。こういう事実を事実として申し上げることができないという言論空間をつくること自体が私は間違っているのではないか、このように思います」

安倍総理「端的にお答えをいたします。いわば、これは幣原喜重郎内閣でございましたが、ここで憲法をつくるということになった。そこで、松本烝治氏が担当の大臣になって、いわゆる甲案、乙案というものをつくったんです。それを、先ほど新聞名が挙がりましたが、毎日新聞がスクープしたんですね。西山柳造という記者がこれをスクープしたわけでございます。

 そして、それを見て、GHQは、これは絶対に受け入れられないという中において、ホイットニー当時の准将がケーディス氏に、民政局の次長に指示をして、約8日間で25人の委員でつくったのは事実だろうと思います。そして、それが草案になったところでございます。

 そこで、私が大切にしているところは、やはり私たちの憲法なんだから、この中において、もちろん、平和主義、国民主権などなどありますよ、基本的人権、そうしたものは守っていかなければいけませんし、これは貫いていく必要があるんだろうと思います。

 そして、それは私も今まで評価もしてきているわけでございます。ただ、形成過程がそうであったという事実は私たちはしっかりと直視をしなければいけない。歴史を直視しろというのはそういうことなんですよ。

などと答えている。

安倍総理の主張はあたかも毎日のスクープがけしからん。そしてGHQがつくったのがけしからん。といっているようだけれど、ゴマかされてはならない。ここでけしからんのは、戦争で人権を奪い、多くの犠牲を強いられながらも、新たな憲法案として、主権在民もはいっていない、明治憲法とほぼ同様のものしかまとめられなかった、当時の政府の憲法のとりまとめ役、松本烝治氏らのほうだろう。むしろ、鈴木安蔵先生ら、7名の憲法の民間研究者からなる憲法研究会が1945年12月26日に「憲法草案要綱」をつくっており、当時のGHQはそれを大いに評価し、戦争放棄、国民主権、人権を踏まえてその理想を掲げて草案をつくりあげている。その後、国会で森戸辰男氏が「生存権」を提言しそれが追加されてできたのが日本国憲法。

だから何も「短い間にGHQにつくられた」からって、駄目な憲法ではない。ある意味、普遍的な人権や自由や平和について定められているものなのだ。軍事下治安維持法で圧力をかけられていた日本国民は本当の事を言う事が怖くてできないといった社会だった。そうした社会を払拭し、国民全員に自由と人権をもたらす重要性からみてば、実に優れた文章であることがわかるはずだし、松本案でなくて良かったと心から思えるはずなのだ。

あたらしい憲法の下、戦争を絶対に二度と引き起こさない、人権が守られた真っ当な国づくりを国民主権で立ち上げる。ここに立憲民主義の歴史がはじまっているのだ。

この動きを左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが短期間で書き上げ、それを日本に押しつけたものである 

とはどんな解釈なのか。これは一国の総理大臣として恥ずかしい。

それと、

立憲主義についての解釈があまりにおかしすぎる。

国の権力を憲法によって縛るという立憲主義について、「専制主義的な王政があった時代のもの」などとしている。それで「古色蒼然」との決めつけが行われている。ここが根本的な間違いである事がなぜ解らないのだろう。民主主義で議会も存在したドイツで、ナチスヒトラーが犯したユダヤ人大量虐殺の実態はどうか。そして世界大戦に突入した日本の戦前、あの時も国会があり王政の時代などではなかった。しかしドイツでも日本でも権力者達は平気で国民の基本的な人権や自由を奪い、大量虐殺や、特攻などで国民の命さえも奪うことを平気でおこなっていた。

民主主義で多数決で物事を決める時代にあっても、国民の基本的人権や、平和、自由を乱す法律はつくれないし行使できないという縛りをかけているのが近代、現代立憲民主主義国家の当たり前の姿なのだ。

真に、国民や市民を理解しない総理大臣だから、立憲主義がわからないのだろう。

立憲主義は、国民が憲法によって権力者たちを縛るもの ということは普遍的な原理原則だ。

自民党草案は、その縛りを権力者たち側から解いて、逆に国民に義務を多く課して権力者たちが国民を縛るというアベこべのものになっている。

立憲主義も全く理解せず、むしろ曲解している輩が暴走しているにすぎないのだ。

主権者たる国民である私達は、私たちの自由や権利を守るためにつくられた憲法を乗り越えて政治を行おうとしている権力者たちを厳しく糾弾し、それを阻止しなくてはならない。

70年前の第二次世界大戦では、310万人もの国民が犠牲になった。それを教訓に憲法を定め 世界に二度と戦争を引き起こさないことを誓い、自由と人権を国民全員に行き渡らせようとした。その根本精神を絶対に忘れてはならないのだと思う。

 

 

 

 

 


憲法違反のクーデター安倍政府を許さない。戦争法廃止!


 

 

 

強行採決写真

戦争法 強行採決 2015.9.17〜9.19
 憲法破壊のクーデターを忘れない。

現在、憲法違反の政府与党が暴走中

戦争法を廃し、立憲主義、平和主義、民主主義をとりもどしましょう。

2015年9月17日。言論の府、良識の府と称されていた「国会、参議院」。「戦争法案」安保法制を議論する参議院の委員会の場で、自公与党による「人間かまくら」がつくられ、暴力的に「戦争法」(平和安全保障法制)が強行採決された。私はこの夏、「戦争法」に対して絶対反対を路上で唱え続けてきた。私が反対している論拠を述べたいと思う。この戦争法は、歴然とした憲法違反であることはいうまでもない。そしてアベ政治の暴走については新聞、テレビ、週刊誌やインターネットなどで周知の事と思うのだが、改めて下に記すことにする。

1)そもそもこの法律が一体なんのための法律なのか。立法事実がない「戦争法」

必要性や正当性を裏付ける客観的な事実、根拠である「立法事実」が国会審議の中で失われてしまっている。ホルムズ海峡での機雷掃海は安倍首相自らが「現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と認めた。また、紛争国から避難する日本人のお年寄りや、母親と乳児を輸送する米艦船防護については、「邦人が乗っているかどうかは絶対的なものではない」と中谷防衛相は述べ首相も同調した。

2)集団的自衛権 行使が合憲であるとする根拠は全くない。

安倍首相や政府が主張する砂川判決、47年政府見解は、集団的自衛権のなんら論拠にならないことが判明している。(http://blogos.com/article/112973/また、端的に集団的自衛権とは、「他国(同盟国)の戦争に加担すること」である。それ以上でもそれ以下でもない。又政府は「限定的」集団的自衛権」などと主張するが、実際の戦争の実状からすれば非常識な話。後方支援とか兵站は、敵国から見れば全くの軍事的武力行使と同様にとらえられ、格好の標的になる。国際法上でも「限定的」集団的自衛権などありえないとの事である。

3)安倍総理が言う「積極的平和主義」は本来の意味と真逆  

米国との軍事同盟を強固にすることによって抑止力が高まり、北朝鮮や中国からの脅威に備えることができると安倍政府は主張する。しかしながら、軍事の抑止力でテロは防げるのか? 米国と一体とみなされれば、テロの脅威は日本国内にも広がる。つまり国民へのリスクが高くなると考える方が自然だ。それを政府は誤魔化し国民のリスクは高まらないと主張し続けている。「積極的平和」の概念を創出したノルウェーの平和学の祖 ヨハンガルトゥング博士は、本来の「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではないと説き安倍総理の「積極的平和主義」は盗用と評している。

4)「憲法守って国を守らないのか?」の矛盾

北朝鮮、中国の脅威について、安倍政府、自公与党、その支持者達は煽る。そしてその脅威から国民の生命と財産を守る為に「集団的自衛権」が必要と説く。しかしそれはまるでショックドクトリン(脅威を煽って評判の悪い政策を実現する)のようではないか。北朝鮮が本当にミサイルを飛ばしたら、米国や国連により壊滅ということになるだろう。そして中国については、米国とも日本とも経済的な関係性が密な関係にあり、一部尖閣などの問題から紛争に陥るなどということは米国も望んでないということが知られている。憲法を守り、日本が専守防衛に徹する限り、むやみに攻められることはないというのが今の現状であると言う見方を私は支持する。「他の国のために武力行使するのが集団的自衛権であり、そこに「限定的」などと言いのけることは詭弁でしかない。米国がおこなう戦争に後方支援や武器弾薬の補充や兵站で加担する、集団的自衛権を認めれば、現場へ赴く自衛隊の命のリスクは確実に高まる。そして敵国となる国からみれば米国と同等に見なされ、テロなどからの脅威は国民全体に及ぶことになる。

5)立憲主義の破壊は、法治国家が破壊され独裁政治に向かこと。

平和憲法があり、憲法による政治権力の縛りがあったからこそ、私たちの日本は戦後70年間によって文字通りの平和が守られ続けてきた。この縛りを破る憲法違反の法律は絶対に認められない。そもそも憲法は、国民の自由と人権を守るために、国家権力を縛るルールであり最高法規である。そして310万人もの先の戦争の犠牲の上に成り立ち二度とあの惨禍を繰り返さぬように国民が成立させた最高法規である。我が国は歴代、これまでこの憲法の下に政治が行われてきた立憲民主主義国家だ。安倍政府の政治は、内閣法制局長官までも自分の意のままに操り憲法の解釈を変更した。まさに昨年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして今般の「戦争法」の重要点は、集団的自衛権を認めるものであり、憲法を越える。9月17日から19日までの国会は、これまでの立憲主義や民主主義、平和主義が破壊されたクーデターだ。日本は今、法の下での政治である法治国家ではなく、「私が言うんだから間違いはない」などとおごった態度の総理大臣、いわば人の下での政治、人治国家にしようとする政府により国民がコントロールされようとしている。まさに独裁主義政治に成り下がっている。自民党の憲法草案は「憲法によって国を縛るのではなく、憲法によって国民を縛るトンデモナイ代物だ。今後、アベ政治は改憲に向かって突き進むのかもしれないが、改めて、現憲法の正しさを租借し伝えること、そしてあくまで近代民主主義国家の立憲主義の常識を伝えていかなければならない。

 

いずれにしても、このナチスのような暴走政治に歯止めをかける事が必要です。立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻し、戦争法を廃止にし、アベ総理を退陣に追いこんでいきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


集団的自衛権の行使容認が憲法違反であることは明白!「合憲」根拠はどこにもありません。


 

民主党 小西議員が調査、指摘し続けてきた集団的自衛権の憲法違反。

政府がいう「砂川裁判判決」は「合憲」論拠に全くならず。朝日の天声人語にも掲載されていた。

これが正論。もはや集団的自衛権が合憲とする論拠はどこにもありません。

これを国民の常識にしましょう。

 

朝日新聞 天声人語より 

牛丼を頼んだのに、天丼を出されたようなもの。民主党の小西洋之(ひろゆき)参院議員は、安保関連法案をめぐる中谷防衛相とのやりとりをそう評した。確かに、法案が違憲か合憲かをめぐる論戦は、いまだかみ合っていない▼集団的自衛権の行使容認は憲法9条の枠内だと、安倍政権は繰り返す。根拠の一つが1972年の政府見解だ。しかし、72年見解の結論は「行使は憲法上許されない」である。どこをどう読んだら、正反対の結論が導かれるのか▼見解は「外国の武力攻撃」に対する自衛を認めている。この攻撃が、日本への攻撃だとはっきり限定して書いていないことに着目し、密接な関係にある他国が攻撃された場合も反撃できるという理屈を編み出したらしい。曲芸のような解釈だ▼小西氏は最近、72年見解と同じ日に国会に出された「防衛庁見解」の案文を入手した。ともに当時の内閣法制局が作成に関与した。この見解には「わが国に対する」急迫不正な侵害とあり、明確な限定がある。それ以外の自衛はできないという趣旨だ▼ならば72年見解も日本への攻撃しか想定していないに違いない。安倍政権による72年見解の解釈と、防衛庁見解は矛盾する。小西氏は先日、防衛相に詰め寄った。中谷氏は「矛盾していない」の一点張りだった▼72年見解が根拠にならないことは元法制局長官や憲法学者も指摘している。政権の強弁に説得力はない。牛丼でも天丼でも、客の注文を無視する店は、早晩経営に行き詰まると知るべきだ。


私は戦争法案に断固反対し、アベ政治を糾弾します。私の安保法制、国防の考え方について


 

現在、安保法案が衆議院で強行採決の後、参議院での審議入り、マスコミ各紙成立予定の日程を示し始めたような感があります。この間、8月30日国会を取り囲む12万人のデモ、昨日は新宿で2万人ものデモ、他各地で国民が声を挙げ続けています。私も8月30日パルの角での300名の方々とスタンディングの他、連日辻立ち演説を続けています。9月9日には午後6時半から鶴岡市役所前の広場で市民集会がおこなわれ参加します。

演説で何を伝えているのか。また防衛のスタンスにFBで質問も頂きましたのでここでまとめてお伝えしたいと思います。

 

憲法によって最も縛られるべき総理大臣が、昨年の7月1日から憲法違反を堂々と犯し、国会では質問に対して詭弁につぐ詭弁。さらに憲法違反を憲法学者、歴代内閣法制局長官、そして今般政府が「番人」と称していた元最高裁長官が表明した「違憲」発言に、「一私人の発言にコメントしない」などとして誤魔化す政府の姿勢。また国会で質問に答えることなく、テレビ出演しプロパガンダを選ぶ総理の姿勢にとてつもない憤りを感じています。

 憲法は、国家権力を縛り、個人の人権や自由を守るために主権をもつ国民が定めた最高法規です。

 戦後70年我が国は、立憲民主主義国家を歩んできました。それを一総理大臣によって破壊する行為は絶対に許されませんし、憲法違反の法律を認めることになればこの国は立憲主義国家や法治国家ではなくなります。専制主義国家、独裁政治国家に成り下がってしまう。権力者が法的安定性を破壊し国家秩序を乱すことをクーデターというそうですが、安倍政権がやっていることはまさにこの国を破壊するクーデターそのものではないでしょうか。憲法違反の安倍総理は国民から糾弾されて当然だと思います。

 また、この間の国会答弁の総理らの詭弁説明の酷さは常軌を逸しています。憲法違反でそれこそ国家の存亡に関わり、また、国民の命にかかわる問題なのに、国会であんな詭弁を繰り返すだけでいいのか。国民は愚弄されているとしか思えないと議会人の端くれとして思います。

 もはや「違憲」は歴然としており、「合憲」の論拠はどこにもありません。にもかかわらず、戦争法案に突き進み憲法をなきがごとしにしようとしている、まるで、70年前ワイマール憲法を無力化したナチスのような姿勢の総理大臣を私は許せないのです。民主主義を求める国民として、また、そして憲法の下で、法の下で政治を行う一人として、国家や権力による国民の理不尽に立ち向かう一人として糾弾します。憲法を空語にしてはいけない。「安倍総理退陣!」と。

 

 それから国防についてですが、専守防衛と平和外交に徹するということ。個別的自衛権による防衛で対処するが答えです。9条に戦争の放棄、と特に2項に戦力の不保持、交戦権の否認が掲げられている中で自衛隊はその「戦力」にはあたらない組織として定めてきました。

改めて9条を紐解けば

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

集団的自衛権は、他国のために武力行使することですから、この憲法9条の下で認められる事はない。これが歴代総理、憲法学者の9割以上、歴代内閣法制局長官、そして元最高裁長官、そして安保法案に反対する学者13000人以上、そして国会を取り囲んだ12万人をはじめ数多くの戦争法案に反対する国民有志の見解であります。「集団的自衛権の行使は憲法違反」これに対する反論に根拠はありません。日本の集団的自衛権について何も論じていない砂川事件判決は全く根拠にならないことは明らかです。そして「集団的自衛権の限定行使」は国際政治や軍事の常識を無視した空論であることが明らかになっています。

そして、私は、軍事同盟による抑止力が答えであるとは思いません。アベ自民党は「米国艦隊を守る→強固な同盟を示す→抑止力が高まる→戦争にならない」と説明を続けています。米国の後方支援、いわゆる兵站をおこなえば、敵からは一体と見なされて当然です。「米国艦隊を守る→日本が敵対国になる→攻撃を誘発→戦争になる」という考え方のほうが自然ではないでしょうか。

集団的自衛権の行使を可能にする安全保障政策の変更は、東アジアにおける緊張をいっそう高める結果をもたらしかねないし、米国と一体と見なされたら、米国へのテロ等の脅威が日本国内にも及ぶようになる。要するに国民のリスクが高まるということです。

これまで日本は平和憲法の下、70年間戦争に参加していないという事実があります。平和主義を貫き、外交交渉や「人間の安全保障」によって紛争の原因を除去し、戦争を極力回避する努力を行うこと。緊張緩和を率先して進めることこそ道だと考えます。紛争地で活動するNGOペシャワール会の中村哲さんらが、憲法9条、平和主義を掲げる日本だからこそ紛争地でもテロにまきこまれることなく人道支援ができるとおっしゃっておられました。自衛隊もこれまで平和憲法の下で活動してきたからこそ戦闘することなく人道支援ができた。このことこそ重要視すべきです。

安倍総理は、米国との軍事同盟による抑止力をもって「積極的平和主義」を主張します。しかし、平和学の父「積極的平和」(positive peace)を提唱されたヨハン・ガルトゥング博士が先般来日し、安倍総理の「積極的平和主義」は本来の意味とは真逆であると断じました。本来の「積極的平和」は貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」のない状態をつくることです。まさに9条の精神こそ積極的平和、それを博士は強調しておられました。ガルトゥング博士は実際の紛争の現場で解決にあたってきた方であり単なる理想主義者ではありません。彼の言葉を私は重く受け止めます。真の平和を望む私は、真の「積極的平和」に立ちます。

先の大戦での310万人もの犠牲、当時国内でも個人の人権や自由が侵害され、不平等や理不尽がまかり通り、命が奪われていた教訓を基に、私たちは憲法を定めたのです。立憲民主主義国家の日本の70年の歩みの中で、人権や自由を守る憲法の下、社会的理不尽がなかったわけではないし私もそうした理不尽と戦ってきた一人です。多数派ではない少数派の弱い立場の人や主張に立つ時、最終的なよりどころは憲法でした。これまで政府の暴走により、これほど憲法が踏みにじられるような事はありませんでした。これは戦後70年最大最悪の暴挙。それも戦争リスクという国民全体に及ぶ命に関わる問題であります。

また、参議院の山本太郎議員の質疑により、この法案が3年前に発表されたアーミテージ・ナイレポートに書いてある要件とほぼ同様であることが明らかになりました。リバランス=アメリカの(削減された国防費の)肩代わり」と指摘し、アメリカの情報誌や新聞が「最新のアメリカの防衛予算は日本が安保法案を可決する前提で組まれている」と報じている事実を指摘しました。

米国の米国による米国のための戦争法案であることが明白になっているのです。

私は絶対にこれらのことを看過することはできないし、議会人だった一人として、持続可能な日本、山形、鶴岡をつくる政治を志す一人として、この憲法違反の法案を廃案にするまで、そして憲法を空語にしない社会づくりのために、これからも声を挙げ続けます。

憲法違反の戦争法案は絶対に廃案!

憲法違反の安倍総理は退陣せよ! 


法的安定性が関係ない!?何て?


 

安倍総理の磯崎補佐官の発言

なんだろう。この発言は!? そしてこの自信ありげの態度は。

首相補佐官の演説。この姿勢こそ安倍政治。

「憲法で書かれていないから大丈夫」という、外見的立憲主義。

そして「法的安定性は関係なし」とは?

完全に法治国家の政府の発言ではなくなっている。

参議院28日の質疑で民主党の福山参議院議員が「更迭すべき」と追求。行政府の人間として法的安定性は関係ないなどという発言は、閣議決定違反ではないか。とも伝えている。当然だ。憲法の法的安定性を行政府が保てないとしたら大問題。憲法違反の磯崎補佐官はただちに更迭すべきだ。

 

 

 

 

 

 


安保法案は違憲。立憲主義の視座ーわかりやすい長谷部教授の論。


 

 

以下、安保法案について、6月4日の衆院憲法審査会で「集団的自衛権の行使は違憲だ」と発言した自民党参考人の長谷部恭男・早稲田大学教授に高知新聞がインタビューした記事です。

実にわかりやすいし、これこそ立憲主義の視座であると感じました。

 

ぜひご一読を。

 

 

集団的自衛権丸ごと違憲 高知新聞が長谷部・早大教授にインタビュー

2015年06月10日07時58分

解釈変更の拡大懸念 

 国会で審議中の安全保障関連法案について、6月4日の衆院憲法審査会で「集団的自衛権の行使は違憲だ」と発言した自民党参考人の長谷部恭男・早稲田大学教授(58)が高知新聞のインタビューに応じ、「憲法9条があるのに集団的自衛権の行使を認めることはあり得ない」と述べた。行使には憲法改正が必要と強調し、解釈変更によって進める安倍政権の動きを「末期的だ」と厳しく批判した。 

 長谷部教授は集団的自衛権の行使に従前から反対している。 

 インタビューの中で長谷部教授は、安全保障関連法案の成立を目指す自民党の推薦ながら国会で「違憲」と述べた理由について「聞かれたから、自分が思う通りに話した。集団的自衛権に関しては丸ごと違憲だ」と語った。 

 現行憲法では集団的自衛権が行使できないのは「歴代の政府が言ってきたこと。(今回の安保法制は)次元が全く違う。まっとうな手段じゃない」と反対の立場を強調し、「安全保障環境が以前より危険だというなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂だ」と指摘した。 

 解釈変更で事実上の憲法改正を進める現政権の動きを「異常だ。変な国になる」と強く反発。仮に集団的自衛権が行使可能になったとしても、「イスラム国の掃討作戦には参加しない」とした首相発言に対し、「今の首相がそう言っただけ、という話になる」とし、時の権力者によって解釈変更が拡大する懸念を示した。

 ホルムズ海峡にイランが機雷を敷設するという想定も「考えられない。全くのファンタジーだ」と述べた。 

 長谷部教授はさらに「憲法が再び根本的に変われば大戦争が起きる可能性は常にある」「憲法のことを日々考えずに済む国民は大変ハッピーだが、今回は根幹を変える話。いずれ日々考えるようになるかもしれない」と述べた。 

 また、審査会後に与党から「人選ミス」との声が出たことについては「99%の憲法学者が違憲との立場。(人選ミスと言うなら)合憲だという学者を探してください、という話。立憲主義について語る素養があって、かつ、合憲だと言える人がどこにいるのか」と強く反論した。 

 取材は8日、東京の早稲田大学で行われた。 

  はせべ・やすお 憲法学者。憲法学の権威と言われた故芦部信喜・東大名誉教授の門下生。1979年東大法学部卒。学習院大教授、東大大学院教授などを経て、2014年から早稲田大学法務研究科教授。議論を呼んだ特定秘密保護法には賛成し、特定秘密保護法案の国会審議では自民党推薦の参考人として意見を述べた。著書に「憲法と平和を問いなおす」「憲法とは何か」など。広島市出身。58歳。 

異常な解釈改憲 

 「集団的自衛権の行使は違憲です」。憲法学者の長谷部恭男・早稲田大学教授(58)は高知新聞のインタビューの中で、4日の衆院憲法審査会と同様、集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案を「違憲」と断じた。一内閣の解釈変更によって憲法を事実上変えていく動きを「異常」とも言う。衆院審査会での発言の真意や安全保障関連法案の問題点、立憲主義とは何かなどについて、じっくり語ってもらった。  

▼集団的自衛権 9条で認められず 

 ―4日の衆院憲法審査会に自民党の参考人として出席し、安全保障関連法案については「集団的自衛権の行使が許されるとした点は憲法違反だ」と述べました。自民党側から(発言内容に関して)何か事前に要請はありましたか。 

 「あまり知られていませんが、参考人が何党の推薦を受けているのかは、実ははっきりと分からないことが多いのです。(衆院の)事務サイドから連絡が来るので。特定秘密保護法のときも参考人として(国会審議に)出席しましたが、自民党の推薦だと言われたのはその場です。今回も『自民党かもしれない』ぐらいのことは、ぼんやりとうかがっていましたが」 

 ―長谷部さんは以前から、著書などで集団的自衛権の行使に反対していました。 

 「その点は変わっていません。今回の安保法制も、集団的自衛権に関しては丸ごと違憲です。条文の形になっているのは法案の一部ですが、核心的部分ですからね」 

 ―具体的には。 

 「自衛隊法改正案がそうです。『存立危機事態』でも防衛出動を命じることができる、というのは、明らかに集団的自衛権の行使を想定しています」 

 ―「後方支援」についても、戦闘地域と非戦闘地域の線引きがなくなる、と言われています。 

 「従来の政府見解として、いわゆる『大森4要素』があります。現場指揮官がその場その場で判断するのは困難なので、『戦闘地域』と『非戦闘地域』に明確な線を引き、後者の範囲内で活動すると。そうすれば武力行使との一体化の恐れはないとされてきました」 

 「今は国会で『弾薬も提供する』とか、『発進中の航空機の給油もする』とか言われますが、常識的に考えれば一体化してますよね。『戦闘現場でのみ自衛隊は後方支援活動をしない』と言うだけでは、一体化を避けるのは無理です。戦争とは生き物。どんどん動きますから」 

 ―これまでも憲法解釈を通じて自衛隊活動は広がってきました。過去の問題と今回の安全保障関連法案は、どう違うのでしょうか。 

 「全く次元が違いますね。憲法9条によって(日本の)武力行使は原則ゼロになっています。しかし国民の生命、財産も守れない、というわけにはいかない。それはどこの政府も最低限やる活動だろうということで、『9条の範囲でどこまで許されるのか』で個別に法律を作ってきました。その際も9条があるから、認められるのは個別的自衛権。わが国が外国から攻撃されて、ほかに手段がないときは最低限の実力行使は認められるという話でした。これは憲法の原則が広がったことを意味しません」 

 「しかし、集団的自衛権は早い話、他国の防衛のために武力行使をすること。9条があるのに、これを認めることはあり得ない。いや、これは私だけが言ってるんじゃなくて、歴代の政府がずっとそう言ってきたのです。集団的自衛権を行使するなら憲法を改正しないと駄目だ、と繰り返し確認されてきた話です。解釈を変えるのは、まっとうな手段とは言えません」 

 ―長谷部さんは「現行憲法に改正すべき点は見当たらない」と著書で述べています。 

 「今のところはそう。与党の皆さんは『安保法制が通れば日本はより安全になる』とおっしゃるけど、そんな保証は全くない。仮に安全保障環境が以前より危険だと言うなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂。サッカーで自陣のゴールが危ないのに選手を敵サイドに分散させるチームがありますか?」 

 「米国に軍事協力をすれば、日本の安全保障にも参加してくれると希望的観測を抱く人もいるようだけど、それは甘い。米国は自分の国のためにしか軍隊を動かしません。どこの国もそうです。さらに米国は本格的な軍事行動に連邦議会の承認が必要で、大統領制下では議会が政府の言うことを聞くとは限らない。日本の国会承認とは全く違うものです」 

 ―安全保障関連法案が成立すれば、軍拡競争につながるという懸念の声もあります。 

 「与党の方々は『抑止力を高める』とおっしゃるが、こちらが高めると、向こうはさらに軍備を増強するかもしれない。第1次世界大戦も第2次世界大戦も、抑止力競争の結果として始まりました。『抑止力を高めれば平和になる』というのも希望的観測です」 

 ―歴史を振り返っても抑止力競争の行き着く先は、戦争ということでしょうか。 

 「抑止力を高めても安全になる可能性はない、とは申しません。より危険になる可能性も少なくとも同じ程度あるということです。日本周辺の安全保障環境はそんなに変わっていないはずですがね」 

  【大森4要素】 自衛隊の海外派遣に際しては、他国軍の武力行使と一体化するのではないか、との懸念がある。その一体化に関する政府の判断基準を示したもので、1997年に大森政輔・内閣法制局長官が国会で答弁した。「大森4要件」とも呼び、①自衛隊と他国軍の地理的関係②自衛隊の活動の具体的内容③他国の武力行使に当たる者との密接性④協力相手の活動の現況―の四つを総合勘案し、個別に判断するとの内容。憲法9条の下で、海外へ自衛隊を派遣する場合に用いる、とした。 

▼平和主義 憲法の根幹変わる 

 ―憲法改正をめぐっては、いかに適正な手続きを踏んでも、改正できないものがある、との考えがあります。例えば、人類が積み上げてきた基本的人権の尊重などです。 

 「それはそうだと思います。(どんな改正があるにせよ)平和主義の原則は入るべきでしょうね」 

 ―集団的自衛権の行使を可能にする憲法改正は。 

 「それはできます。集団的自衛権はアメリカもイギリスもフランスも行使していますしね。極めて限定的なものなら、集団的自衛権も平和主義の大原則と両立する、と言う人もいるかもしれません。国民投票で承認を得ようとするなら、過去の戦争の歴史も含めて一生懸命説明し、それで集団的自衛権を行使しようとなれば、憲法学者がどうこう言う話ではありません」 

 ―現状はその過程を飛ばし、解釈で事実上の改正をしようとしています。 

 「憲法とは、そのときたまたま首相になった人の考えで、やたら動かしてはいけない。そのための憲法です。だから、なかなか変えにくくしているのです。安倍首相は今のサミット(先進7カ国首脳会議、ドイツ)で『人権、民主主義、法の支配を守る』とおっしゃったけど、法の支配を守るなら、今の憲法を守るべきです。自分で破っておいて『守る』とは。言ってることと、やってることが違います」 

 ―長谷部さんは「戦争とは憲法と憲法の戦い」だと述べています。 

 「憲法が違うと、最悪の場合、戦争が起きるのでね。どの国と仲良くするかを決めているのは憲法なのです。かつて、憲法の違いから(日本は)アメリカと戦争をして、ポツダム宣言で『戦争を終結したいなら憲法を根本的に変えろ』と言われたわけです。憲法が再び根本的に変われば、大戦争が起きる可能性は常にあります」 

 ―一方、私たちは日常生活で、そこまで憲法を深く意識していません。 

 「日々の生活との関係は薄いし、もっと大事なことだってあるでしょう。『夕飯の献立の方が大事だ』と。私もそう思います。実は、憲法のことを日々考えなくて済むのは大変ハッピーな国民なんですよ。ただ、安保法制は憲法の根幹を変えるという話。いずれ、憲法のことを日々考えることになるかもしれない。今は夕食の献立が大事だけど、5年後はそんなこと考えていられない、となるかもしれません」 

 ―選挙で政治家を選ぶ際の基準も、憲法は上位ではありません。 

 「まず経済。どこの国もそうです」 

 ―経済に引っ張られて最終的に憲法が変わり、国が変わったという例はありますか。 

 「まさにヒトラーがそう。政権を取って景気が良くなりました。大規模な公共工事をやって、失業率はどんどん下がった。でも、日本では国民1人当たりの所得はここまで上がっているので、再び独裁制になるとは思いません」 

 ―それでも、ふと気付くと、深刻な変化に気付くことはあり得るのでしょうか。 

 「ああ、あのときだったか、とね。今回は一つのポイントだと思います」 

 ―憲法の事実上の改正を解釈変更によって行うことが、なぜ駄目なのか。あらためて聞かせてください。 

 「要するに『変な国』になっちゃう、ということ。憲法は他国と交渉する際の、最後のよりどころです。『憲法にこうあるから無理だ』と言えてきたのを『いや、それは自己都合で変えられる』って天下に示したわけですから。今後は『じゃあ解釈を変えればいい』と言われますよ」 

 ―憲法のありようは私たちの内面と関わっているのでしょうか。 

 「人の生き方、考え方はそれぞれだから、それを公平に認めようというのが今の日本国憲法です。しかし残念ながら、与党にはその考え方自体が気に入らないという方々がいらっしゃるようです。だから憲法を変えて、人々に同じ考えをしてもらおうとするのは困ります。また戦争をしないといけなくなるので」 

 ―人の心を縛るような改正もあり得るということですか。 

 「人の内面を縛るのは一種の革命信仰です。制度を変えれば人民の精神を革新できる、皆が『正しい人』になるという信仰は、実はどの時代にもどの国にもあります。マルクス主義もフランス革命時のジャコバン独裁も、ナチズムもファシズムもそうでした。そんなに珍しくなくて、特にエリートの中に結構いるんですよ」

 ―憲法審査会で参考人が全員「違憲だ」と主張し、自民党委員が党幹部に「人選ミスだ」と怒られたとか。 

 「かわいそうに。『だったら、あなたが探してきてくださいよ』という話でしょう? そう簡単には見つからないはずです。立憲主義について語る素養があって、かつ合憲と言える人って、どこにいるのか、という感じですから」 

 ―そんな法案が国会で審議され、与党側はなお「合憲」と主張しています。 

 「末期的ですね。何の末期かは分かりませんが」 

▼審査会参考人 学者の99%「違憲」 

 ―衆院憲法審査会の後、政府・与党側から参考人の「人選ミス」との声が出てきました。安全保障関連法案を合憲という憲法学者もたくさんいる、と。実際、いるんでしょうか。 

 「圧倒的多数、99%の学者は違憲の立場ですよ。少なくとも集団的自衛権はそう。残る1%はどんな人かと? 私の口からは申し上げられない。あまり付き合いもないし、学会でも会わない…。かなり偏った立場です」 

 ―国会議員や閣僚には憲法99条で憲法の尊重擁護義務があります。その人たちが自らその枠をはみ出そうとしています。 

 「異常です。憲法の枠を外そうとして、それがどこまで広がるかも分からない。枠自体をなくす法案の審議は今までにないことです。例えば、集団的自衛権が認められれば、自衛隊はホルムズ海峡で機雷掃海ができると言う。しかし、それ以上のことはできないかというと、その保証は全くない。安倍首相は『イスラム国の掃討作戦には参加しない』とおっしゃったけど、今の首相が今そう言っただけ、という話になります」 

 ―ホルムズ海峡の機雷掃海は個別的自衛権で対処できる、という主張もあります。 

 「あり得ます。(4日の衆院憲法)審査会でそう発言した小林節先生(慶応大名誉教授)に対し、北側一雄さん(公明党副代表)が『国際法はそういう使い方はしない』とおっしゃっていたけど、これは日本国憲法の問題です。日本の憲法で個別的自衛権だと考えられているものだけが認められる、という話。日本を防衛している米国艦船が外国から襲撃を受け、日本が反撃するのは当然ありですが、それを『集団的自衛権だ』と言う人が『だから使えるように』という議論は全く説得力がありません」 

 ―ホルムズ海峡の一部はイランなどの領海です。他国内に置かれた機雷を、自国の個別的自衛権によって除去する行為は無理ではないのですか。 

 「両論あり得ると思います。ただ、イランが機雷を敷設する可能性はない。イラクで『イスラム国』掃討の力になっているのはイランの革命防衛隊です。今後、アメリカはイランと協力することはあってもけんかは考えられない。『日本に原油が来なくなったら?』なんて、全く非現実的なファンタジーです」

  「合憲という学者、どこにいるのか」と強調する長谷部恭男・早稲田大学教授(東京都新宿区の早稲田大学)