持続可能な鶴岡ブログ

持続可能な鶴岡ブログ
トップページ > 持続可能な鶴岡ブログ > カテゴリー: 日記
カテゴリー: 日記

近況報告ー介護福祉の現場にて


この5月末から7月末までおこなわれていた介護職員初任者研修(以前はホームヘルパー2級)を受け、修了証を7月31日に受け取りました。7月半ばから更に修行してみたいということと、当面の生業として、鶴岡市内の小規模のデイサービスに働きはじめました。週月から金曜日まで、8時から午後6時までの仕事です。送迎の車の運転から施設でのケア、食事介助、排泄介助、などなど日々利用者の方々が如何に幸せの実感を得れるかを念頭に打ち込んでいます。少子高齢化が更に進むとされる中、課題が多いといわれる介護福祉の現場。当面身を投じて課題を研究したいと思います。どうぞよろしくお願い申しあげます。

 


田中正造、南方熊楠とナチュラルステップ、そして出羽庄内。


私達はどこに向かうべきなのか。
2013年、年頭。改めて、これからは、刹那的な景気浮揚などの成り行きに任せたフォアキャスト的な発想では立ちゆかず、確実に何を目指すか。そのポイントからバックキャストして今からの一歩一歩を行動して、そのポイントに向かう事でなければならない。

深夜。NHKで田中正造と南方熊楠をとりあげた特集の再放送をやっていた。
明治時代に自然との共生思想を説き、時代に闘った二人の思想や行動は今、ポスト311を生きる私達に重要な示唆を与えてくれる。

田中正造は、足尾銅山の鉱害を国会で訴え続け、後に国会に失望し議員を辞職し、その後、谷中村に入り、渡瀬川を歩き、水害調査途中、71才 倒れている。


水は自由に高きより低くに行かんのみ
水は法律理屈の下に屈服せぬ
水は人類に左右されるものでない。
水は誠に神の如きもので
人類 誠にへぼな人類なぞの
きめた事に服従はしない

真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず
村を破らず
人を殺さざるべし

そして南方熊楠は神社合祀令による村の神社の解体、神木の伐採の動きに反対した。

そもそも日本にエコロジーを「エコロギー」と伝えた方だ。

自然と人の心。自然と神との関係性を説いている。

二人とも、あくまで民の側に付き、敢然と政府の自然破壊に立ちむかっている。

二人の意思や目指す日本型エコロジー思想を受け止めつつ、現実として最上小国川ダムについて絶対建設反対、ダムに依らない治水を叶えることことそ、赤倉温泉や流域地域の真の発展の方策だと改めて訴えたい。
ポスト311を乗り切る僕らは、大いにこの思想、行動を受け止め、今を生きる人、次世代に継承せねばらないと改めて感じた。

では一体 どんな社会を目指すべきなのか。


そして、冒頭のバックキャスティング型で考える目標は「持続可能な社会」だろう。改めてこれも示しておきたいが、これには4つの判断基準がある。

1)地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない
2)人間が創り出した物質の濃度が増え続けない。
3)自然が物理的に劣化しない
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げない。

である。この判断基準を満たすのが持続可能な社会だ。その方向を考えていったら、原発やダムは明かに論外ということになる。私は、2008年、鶴岡に訪れ、講演をしていただいたたスウェーデンナチュラルステップ ESAM のグンナルブルーンディーンさんらに、実際にこの4つのシステム条件をまちづくりの基本指針に掲げて、その社会を目指している自治体があり、5月にその国際会議があるということを伺った。そして、その会議に鎌仲監督と一緒に訪れたのだった。実際77のスウェーデンの自治体がその羅針盤を持ち、運営している。そしてカナダのウィスラー市など国際的にその動きが広がっていた。
 僕はそのとき一つの確信を得たのだった。我々が進むべき道はこれだ。と。

2011年3月11日の震災と原発事故を受けて、今、改めてそのサスティナブルな社会への道へ、いよいよ持続不可能な社会を持続可能な社会へと転換する。それを今こそやるべきだと。改めて思っている。

環境の3要素、化石燃料からの脱却、化学物質依存からの脱却 生物多様性の尊重は、実は経済を持続可能なものにするために重要な要素だ。ナチュラルキャピタル(自然資本)は改めてカウントされなければならない。

そして社会のあり方として、多くの方々が平等にチャレンジができる社会にするように、人々の基本的なニーズとは 生命維持の他に保護、愛情、理解、自由、参加、創造、休養、アイデンティティ、と全部で9つのニーズがあり、それを満たすことを妨げないことと、ナチュラルステップでは定義づけしている。この9つのfundamental needs はチリ在住の経済学者、マンフレッドマックスニーフによるものだ。

今、ひたすらに、持続可能な社会への転換を訴えたい。

草島進一 2013.1.3




北朝鮮によるミサイル発射についての情報


今この13時39分に、県庁からリリース文のファックスをいただきました。

政府の発表によると、午前7時40分ごろ、北朝鮮西岸から何らかの飛翔体が発射され、数個に分かれて洋上に落下したとのことです。
県としては、官邸危機管理センターからの情報を直ちに市町村や関係機関に伝達したところです。
政府の発表によれば、我が国への影響はないとのことですが、年のため、本県関係船舶の安否を確認したところ、加茂水産高校実習船「鳥海丸」、漁業試験調査船「最上丸」及び漁業監視調査船「月峯」の安全を確認したほか、山形県漁業共同組合等を通じて本県漁船の安全も確認しました

とのこと。お知らせします。草島

山形県議会2月定例会日程と6147億2300万円予算内示


2月14日、2月議会の日程と24年度の予算の内示会がありました。
午前10時の議運(傍聴)、その後、4F無所属議員への予算内示会の説明がありました。

議運 大雪での被害。人的被害が死者12名 重傷141名、軽傷96人。庄内は死者0、重傷9、軽傷5と庄内は人的被害は少ないものの、村山地域は結構大変な状況にあるといえます、農作物の被害としては13日現在で約2億5千万円にのぼっている。
(新聞報道でこれは16日に書き換えられて3億5千万円となった。)

続いて15日は、午前10時より庄内支庁で庄内分の予算の内示説明会がありました。

2月20日より県議会がはじまり、3月16日までおこなわれます。

今回の内示で示された予算議案の概要
6147億2300万円
http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020004/h24tousyoyosantou.html

議会日程はこちら。

http://www.pref.yamagata.jp/ou/gikai/600006/publicfolder200908280358324576/H24.2teirei.pdf

現在予算概要など読み込み中。20日には知事説明21日に予算議案の詳細説明があるとの事。




みどりの政治


11,12日と「みどりの未来」の総会に参加した。総勢90名の全国から集まった、無所属市民、環境派の地方議員そして「緑の党」など、みどりの政治をつくりたいと切望する市民会員、で今後について諸々議論した。単に議論というより熟議した。総会議案の他に、脱原発の方策、参加型民主主義、脱成長、選挙、など、テーマに分かれてこれも真剣に熟議した。

結局1日目は午後1時からはじめて午後10時まで会議がおこなわれ、修正案を午後11時まで提出、その後運営会議が午前1時までおこなわれ、2日目9時から修正議案を論議し、午後2時まで。意見、質問が相次ぎ結局予定時間を大幅に超えた会議だった。結果として参議院選挙への挑戦と行動指針の骨子が決まった。
 
私は、行動指針として1)「地域、国、世界の問題解決の為に尽力する市民運動、NGOと思いを同じく行動するのが我が緑の政治である」の一文を提起した。

1)は多数の賛同を経て承認された。

この会合は、以下、朝日新聞の12日朝刊に紹介された。

「緑の党」、地方議員ら結党へ 参院選に擁立めざす

60人を超す地方議員らでつくる政治団体「みどりの未来」(共同代表・須黒奈緒杉並区議ら)は11日、東京都内で開いた総会で、「緑の党」を7月に立ち上げる方針を明らかにした。国政進出に向け、2013年の参院選で比例区に5~8人、首都圏や福島などの選挙区に3~5人の候補者擁立をめざす。
 政策の柱は「脱原発と再生可能エネルギーへの全面転換」で、環太平洋経済連携協定(TPP)反対や、税の所得再分配機能の再強化なども訴える。参院選の候補者は党内の予備選挙をへて決める方針。
 みどりの未来は、脱原発を訴えて支持を伸ばすドイツの「緑の党」とも、連邦議会議員を招いて集会を開くなどして交流する。宮部彰・副運営委員長は「福島原発の事故以降、私たちが新しい政治の選択を提起する必要がある(と考えた)」と述べた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「緑の政治」とはなにか。
2月10日に「緑の政治ガイドブック」デレクウオール 白井和宏 訳がちくま新書で発刊された。
タスマニアのボブブラウンのダム反対運動からはじまった緑の党。
脱原発を明確に掲げ、グリーンニューディールをすすめてきたEU諸国のみどりの党。
期限や現状、そして思想的な背景など、網羅的に紹介されているなかなかの名著だ。

巻末には中沢新一さんと鎌仲ひとみさんの対談が掲載され、日本のみどりの政治への思いを解きほぐしている。ぜひ、読まれたし。

「右でも左でもなく、前進む政治を!」のみどりの帯で本屋さんに並んでいる。

ーーーーーーーー
僕自身、脱原発、脱ダムが当たり前の持続可能な社会形成を目指す一人だ。中村敦夫元参議院議員の「みどりの会議」「虹と緑」に参画をし、これまでオーストラリア グローバルグリーン世界大会、に参加し、2008年スウェーデン緑の党の設立に関わったグンナルブルーンディーン氏を招いて講演会をおこなったりしてきた。
 
これまでの政治で無視し続けられてきた、政治的理不尽の問題解決のために、市民運動と密着して問題解決にあたる。最も政党らしくない、政治グループ。これが緑の政治なのではないかと考えている。

本日は中沢新一さん、マエキタミヤコさんらのグリーンアクティブの記者会見がある。






鶴岡市文化会館 パブコメ、本日締め切りです。


鶴岡市の新文化会館について、

鶴岡市文化会館整備基本計画案についてのパブリックコメントが本日2月6日締め切りです。
45億円の税を使って、どんな文化会館にするか。次世代にどんなものを残すべきか。
どしどし意見しましょう。

http://www.city.tsuruoka.lg.jp/070300/page5264.html

17年目の1.17に寄せてー新しい市民社会の文化を。


17年目の1.17に。

あれから17年もたってしまいました。ボランティア元年という言葉を生み出した1995年。私はその渦中の中で新たな人生を得た一人です。はじめの150日間は、テントで暮らしながらの被災地支援活動。3日のつもりが、1週間会社を休んでということになり、そして1ヶ月休職。そして更に。結局やっと入れた会社を2月の終わりに退職することに。そして4月から正式に神戸元気村の副代表を職業に歩み始めたのでした。確か8月までは無給で自分の銀行口座から持ち出し。でも炊き出しを食べたりみんなで自炊していたし、公園のテント生活で家賃もなく、24時間体制で被災者支援の活動に明け暮れていました。
 仮設住宅の独居のお年寄りをターゲットに、孤独死防止用のプロジェクト「ベルボックス」と被災地支援のコンサート(当時6千人の高校生を招待してワールド記念館でおこないました。ハービーハンコックら超一流アーティスト、JAZZ )のコーディネートなどに奔走していました。バウさん(山田和尚)の繰り出すアイデアを実行に移すのが僕の役目。当時感じていたのは「今が太い」日々をようやく手にいれた。という実感だったと思います。今という時しかない。そこには過去という時間も未来と言う時間もない。とにかく今を集中して生きるということ。
 やれたこと、やれなかったこと。様々有りますが、29歳までの自分が全く踏み出せなかった一歩を僕は踏み出せていた。そんな自分がありました。2月22日、被災地で多くの同士に祝福されながらの30歳を迎えていました。
 当時日々200人ぐらいのボランティアの中で次を生み出すことをバウさんとやっていたように思えます。次のニーズを読み解くこと。そのためにバウさんは昼夜を問わずメディアを問わず、場所を問わずリサーチをし、「次はこれなんやわ」と一瞬、奇想天外にも思えるが、よく考えると納得できる、ようなアイデアを僕に話し、僕はなんとかそれに応えようとしました。応え、動いて自分なりにいくつかの壁を越えることもできました。その時の一つ一つが自分の自信になっていきました。
 ボランティアの場に一歩踏み出すと、自分の世界が変わります。一つの笑顔をつくるために、あれをやったらどうか。いやまてよ、あれも必要かもしれないな。お、それならあの人に声をかけてみようか。などなど、実にクリエイティブな喜びがあります。そして、今まであったこともない人に会えたりします。僕は神戸以来特に、ずっとそんな出会いの連続に恵まれていたように思えます。

 僕が当時会社を辞めてまで神戸元気村を職業にやっていこうと思ったのは、実は長良川河口堰の反対運動の際に出会った NGOという世にも珍しい職業をやっていた人々に会ったからでもありました。デビッドブラウアーやオーウェンラマーズ、フィリップウイリアムス、などなど。学者の肩書きもある人もいましたが、ダムファイターとかアクティビスと(市民活動家)としてNGOを運営しているという人々でした。「ダム反対運動をやってそれを職業としてできるなんて、すごいな」僕も川を守る活動が職業にできたらとも考えていましたが、もしかするとこの震災復興だったらNGOというものが成り立つのかもしれない。と考えてもいました。

 結局3年、神戸にいて、後半はベルボックスと同時に仮設住宅から恒久住宅への引っ越し支援、お米で被災地と全国を結び直す3ライス神戸プロジェクトを展開していました。
 この3年は僕の今の政治の原点でもあります。市民が思いをもって動けば、物事や仕組みが変わるのだということ。私達の活動はボランティア元年という言葉を生み出し日本にNPO法を生み出しました。
その後、日本海重油災害では、はじめて社協とNPOと青年会議所が協働してボランティアセンターをつくるという文化を生み出しましたし、インターネットでのボランティアコーディネートの先駆けをおこなわせていただきました。

04年の新潟水害と中越大震災。中山間地への支援策などを展開しました。
そして昨年の東日本大震災。

神戸からの経験を活かしてやれたかなと思えるのは、3月19日にはいった石巻で、20日に当時現地入りしていたNPO、NGOと社会福祉協議会、行政との情報共有の場をつくることができたことです。
その2回目(3.21)の模様は、http://www.ustream.tv/recorded/13546578 で録画中継されています。
このNPOの連絡調整会議は、石巻災害復興支援協議会となり、奇跡のボランティアという集団として行政の最新情報を共有する中で複数団体の連携で町の泥だし作業や漁業支援など様々な新しい活動を展開してくれました。

今、東北の被災地では仮設住宅への支援が課題となっています。神戸での活動を踏襲するかたちで、当時の仲間達と絆ベースと協働して3ライス元気村プロジェクトをはじめました。私も年末の12月23日に現地にお米を持って行き、メッセージカードを添えて仮設住宅の65歳以上の一人暮らしの方々にお配りしました。「いつもは家にひきこもったままだ」「米を買うにも遠くてどうすればいいか」との声を伺いました。段々と報道も薄れ、どんどん寂しくなるのが被災地だということであり、山形のボランティアはむしろこれからだ。と考えているところです。

 「ボランティア元年」の17年後、2万名もの犠牲者に向けて僕らは何ができるか、問われていると考えます。
この1月9日は郡山を再度訪れました。手持ちのガイガーカウンターは0.6、0.8μシーベルトを記録。線量が高いままです。子ども達の室内遊び場を視察してきました。3連休は整理券待ちの大盛況。確かに園遊び場は豪華で実によくできていて、みんな楽しそうだったのだけれど、外に一歩でればかなり高い放射線を浴びることになる。正直子ども達は大丈夫なのか。本当に心配になりました。
 強制集団疎開でも考えていかねばならないのではないか。とも考えました。

1.14,15は脱原発世界会議が横浜で行われました。1日のみでしたが参加しました。
2日間で1万人の人が集まる大盛況ぶり。そして主体的に問題を解決しようとする一人一人の熱い行動に出会えました。
 
17年目の 1.17、今日はテレビで希望の灯をみてから上京、昼すぎから脱ダムのアクションと緊急フォーラムを国会近辺でおこないます。

僕にとって阪神淡路以来の被災地支援のボランティアも脱ダムや脱原発の行動も全く同じ思いでの行動です。県議会議員としての提言も追求も質問も全く同じ思いで行動しています。

一つでも人々の笑顔をつくるため。子ども達に恥ずかしくない未来を手渡すため。

311以

成人式に 恒例の街頭演説。



羽黒山伏山形勧進に同行ー知事へ


6日午後2時半。県庁の知事室に法螺貝が響き渡りました。

ということで。

安全 運転のために、昼間のライトアップを。


昨日、本日から仕事始めの方々がたくさんいらっしゃるかと思います。


写真は八文字屋前にて。