持続可能な鶴岡ブログ

持続可能な鶴岡ブログ
トップページ > 持続可能な鶴岡ブログ

京都とみどりのネットワーク


今日は、ノーベル平和賞を環境のとりくみではじめて受賞した、ワンガリマータイさんを囲むNPOサミットに出席した。マータイさんは、今、日本に「もったいない」旋風をまきおこしている。マータイさんとは、3年前にオーストラリアでおこなわれたグローバルグリーン集会でご一緒した覚えがある。人権問題、環境問題に真正面に取り組み、迫害をうけようが何をされようが、屈せず、元気に前に進む。彼女の強烈なスピーチに全員総立ちで拍手したことが記憶に新しい。
 武器に金をつかうのではなく、緑の保全に金をつかう。要はお金の流れ方をかえること。平和、環境、人権問題、そして被災地支援にいたっても、要はみんなで行動してひとつひとついい方向にかえていくことだ。マータイさんの受賞はNGOのみんなの誇りでもある。
 彼女の前に、環境問題へのとりくみでノーベル賞受賞候補にあがっていたのは僕が、最後の来日の際に、故 山下弘文さんとともに「地球のヒーロートーク」にでていただいた、デビッドブラウアー氏だ。

彼も天国から、彼女の受賞をすごく喜んでいるに違いない。

会場でひさびさに、長良川で一緒にカヌーデモをやったデザイナーZ 氏に再会。また、薬害エイズ問題の川田龍平君に再会した。羽二カンタ、小島あずさ氏も健在でなによりだった。

中越元気村、今、雪堀がトレンド。これからもどって打ち合わせだ。

中越震災 災害ボランティアの次の姿を考える。


読売新聞 23日朝刊に、私の投稿した「論点」が掲載されました。みなさんのご意見をお待ちしております。

災害ボランティア 「調整役の専門家が必要」

 新潟県中越地震の発生から二か月がたつ。現地で活動する災害救援ボランティアの数は、これまでにのべ約五万人に上ると聞いた。私もその一人だ。阪神大
震災の時、被災地で山田和尚(現 成雲)氏、木村とーる氏ら、数人の仲間とらと「神戸元気村」を結成、会社員を辞めて、救援活動に三年間没頭した。その経験を生かして、当時の仲間と、地震発生翌日には小千谷市に入り、避難所そばに活動拠点、「中越元気村」をつくった。
 
 刻一刻状況が変わって、命が失われる危険が迫ってくるのが被災地だ。犠牲者を一人でも減らすため、行政とはまた違ったやり方で、柔軟に対応し俊敏に行動するというのが、「元気村」の信条。車内泊でエコノミー症候群の犠牲者が出始めたころ、全国からキャンプ用テントを七百張りほど集めて、ペットも一緒に暮らせる「テント・プロジェクト」を展開した。避難勧告が出ている地域の住民に一時帰宅が認められた時は、ボランティアが同行して、冬支度の手伝いをする「村おこし」隊を組織した。
 
 いま「元気村」は、こうした様々なプロジェクトごとに自発的に集まった人々によって運営されている。地域住民に信頼される人間関係を築きながら、スタッフはテント暮らしを続けつつ、二十四時間体制で取り組んでいる。
 
「ボランティア元年」といわれた阪神大震災から十年の今年、各地で豪雨や台風、地震の災害が相次ぎ、ボランティアの出番が増えた。七月の新潟・福井豪雨災害では、家屋の床上五十?を超えて堆積した泥をバケツリレーで運び出すボランティアの姿がクローズアップされ、、災害時のボランティア活動が再び注目されることになった。
 そうした中、被災地のボランティア活動の課題も段々とみえてきた。ボランティアが効率的に作業できるようにコーディネートする専門家の必要性である。
 
 大規模な災害では、地元の社会福祉協議会が中心になってボランティアセンターを運営するようになった。しかし、災害によっては、経験やノウハウが不
足し、外部のNPO(非営利組織)との連携や共存が有効なケースも少なくない。災害の種類や土地柄などに応じて、迅速にかつきめ細かくボランティア活動をコーディネートするには、それを職業としてやれる専門家が絶対に必要だ。
 
 神戸での救援活動の後、米国カリフォルニア州のバークレーのNPOでインターンを経験した。そこでは、「ボランティア・コーディネーター」という職業が立派に成り立っていることを知った。さらに、そうした専門家が、災害発生時の指南役として社会的に位置づけられ、米国のFEMA(連邦緊急対策庁)のスタッフに登用されるなど、政府とNPOの間の人事交流も盛んだと聞いた。

 また、日本では、災害時の義援金のほとんどは被災者への直接給付に充てられるが、米国では、その多くが、現場で活動するNPOのプロジェクトに使われる。行政とNPOの「協働」では、情報をいかに共有するかが課題だが、こうした資金面での後方支援も、災害救援のボランティア活動を活発化していくことは言うまでもない。
 
 先日、新潟の被災地に雪が舞った。今後、雪害対策の取り組みが本格化する。仮設住宅支援は超高齢社会のモデルであり、山間地での活動は中山間地の集落
の生き残りを左右する。ボランティアにとってもこれからが正念場だ。


■なお、年明けにjucee(日米コミュニティエクスチェンジ)のご協力により、米国の災害支援NPO、 CARD の事務局長 アンナマリージョーンズさんが来日、1月10日には中越地震現地の活動を案内し、16日には神戸で恊働のフォーラムを行います。「災害支援、恊働のあり方を考える」一歩を中越と神戸でおこないます。どうぞご参集くださいませ。

新潟地震現地最新情報


新潟、小千谷に29日にはいり、11月8日の午後3時ぐらいまで活動。
テントプロジェクトは大成功している。被災地では、衣類や食事についてのケアはいろんなグループが動いていて一応の充実をみせている。

でも、「住」の課題は大きい。今回の震災では「体の安めかた」で、エコノミークラス症候群で3名の犠牲者がでている。
避難所のストレスも深刻だ。
足をのばしてゆっくり眠るためのテント作戦は今被災地の大ヒットプロジェクトである。今まで約600張りを集めて、手渡したり建てたりした。まだ、ニーズは高く、予約待ちの状況である。
 詳しくはhttp://www.gassan.jp/genkimura/ をのぞいて欲しい。

地元のボランティアセンターは、既に県外ボランティアの受け入れをやんわりと断り始めているようだ、。しかし、僕はむしろこれからが勝負なのだと感じている、

そして、今回も新しいNPOという文化や「協働」の文化がつくれるといいと感じている。今こそ市民の力のみせどころ だと思う。

昨日から、大阪、四国方面への行政視察にきている 草島。

新潟小千谷市より24日から26日朝までの被災地報告


10月26日火曜日 午前9時 小千谷市より

10月24日 日曜日、午前10時。新潟に向かう。神戸で一緒に活動した有志で新潟で炊き出しをしようということになり、食材、鍋、五徳、ガスボンベなどを調達。500人分ぐらいの「元気鍋」をつくろうという計画。
高速は新潟から乗り、三条止まり。三条のプロパンガス屋、「コメリ」でガスボンベ調達。今朝、小千谷までいってきたという店員のひとりが、小千谷まで行く道のりの険しさと、通常の8号は途中までしか行けないことを教えてくれる。山川の道に迂回しないといけないということ。それをたよりに車を走らせる。途中、4輪駆動でもがっくんと乗り上げる亀裂や、かなりの上下運動を伴う路線のうねりを感じながら小千谷を目指す。
結局小千谷に到着したのが午後7時をまわった頃。市役所内の災害対策本部に行く。役所職員と報道機関の人間で本部はごった返していた。当日朝9時から入り諸々の現地状況を調査していた、衆議院議員の市村浩一郎氏(神戸で一緒に活動した仲間です)が迎えてくれた。壁にはびっしり、被災者の情報、道路情報、倒壊家屋、避難場所などを書いた紙がはってあった。
 情報はまだどんどん変化している。
避難場所は、約2千人避難しているという総合体育館をはじめ、公的建物の他に自主的に空き地や駐車場単位で固まって暖をとって、休んでいるところがあり、この状況については詳しくは役所では把握できていないようだった。ただし救援物資を平均して配る必要性があるため、その把握について、役所も苦労しているようだった。

 夜、停電で信号も街頭も付かないまっくらな街のところどころに、食事をしたり暖をとるたき火の火が見えた。そして多くの人が車の中で寝ている。

 現場にはいって突然何回か余震があった。結構揺れる。震度3〜4ぐらいは日常的に「あ、またか」という感じでおきている。

災害対策本部で情報収集しているとそのうち元神戸元気村 吉村誠司君 が到着。彼は、豊岡の水害現場でカヌーでの救出作戦をおこない、豊岡のボランティアセンターの立ち上げを行った後、新潟に向かってくれた。600キロの道のりを走って来てくれた。

夜、災害対策本部で避難所の状況や物資の状況、そして次の日の炊き出しをする場所を確認するための打ち合わせした。孤立してほとんど着の身着のままヘリに乗って避難するしかなかった山古志村の方々が避難しているという小千谷高校の体育館がいいのではというアドバイスをうけて、そこで行うことに決定。周辺にいた報道各社に手書きリリースを手渡す。

深夜、吉村氏と一緒に周辺を調査する。幹線道で地割れがおこり1メートル者段差ができているところがあった。倒れている電信柱。斜めに傾いたアーケードや電信柱。雪国で家が強いせいか倒壊家屋の数は神戸には全然及ばないが、ところどころに震度6強という地震の強さを物語る跡が見られた。
●震度6弱の余震
25日月曜日 朝、午前5時ごろ震度6弱の地震にたたき起こされる。
月曜日の朝の余震6度弱 と聞いたが、荷物満載のワゴン車の運転席と助手席で、市村氏とともに車の中で仮眠をとっていたのだが、直前に目が覚めて、ぐぐぐと下から突き上げるような揺れを感じ、30秒ぐらい、電信柱、建物がみしみしと揺れ、ばらばらと小さな破片が落ちた。結構被害がまた増えたのではないだろうか、というぐらいひどい揺れだった。また驚いた。

●小千谷市塩谷地区からのヘリでの被災者の方への「元気鍋」

朝から炊き出しの準備。下見にいくと大体200名ぐらいの方が体育館にいらした。外での炊き出しになる。雨がちょっと心配だった。うーむ屋根かということになる。テントは準備していなかった。あれを使おう。と吉村氏が指さした。サッカーゴール。それにビニルシートをかければいいじゃないか、ということになった。そうなったら、そこにいる人の動きは素早かった。
あっと言う間にサッカーゴールを運び、シートかけが終った。立派な屋根ができた。その後、6人集まった神戸、埼玉、山形、の有志で、大量の里芋や10キロの豚肉などを現場におろし、地元の人にも呼びかけて一緒に準備をはじめた。
 早速おばさんたちが、みんなで芋の皮むきをはじめてくださった。
男性は火の番をしてくれた。とても結束間の強さを感じた。どんどん料理をする輪がひろがって、用意していた包丁の他にもどこからか調達した包丁をもってどんどん芋煮つくりの輪が広がっていった。持っていった里芋、じゃがいも、にんじんなど全部皮むきが終わり、煮込む。
 お昼になりようやく完成。差し出して「ありがとう」といって受け取って「ああ、あったかいものはいいね」と思わず涙ぐむご老人がいた。みんな満面の笑顔だった。1回目で大体200食。あっという間になくなった。その場で「おいしい、おいしい」といって平らげていただいた。
 良かった。
 神戸元気村のはじめの活動が、「元気鍋」だった。「元気鍋」の特徴はただ、ボランティアだけで完全に全部やるというよりも、被災者の方にもよびかけてみんなで鍋をつくろうという炊き出しだ。そのやり方を行うと、鍋と燃料と食材さえあれば被災者のみなさんの力によって炊き出しを続けることができる。

 こうするとボランティアスタッフは次の火付け役にまわることができる。これが「元気鍋」だ。当時の元気村では炊き出し隊長のとーる氏(現四万十塾)を中心に神戸ではほぼ3月末まで炊き出しは毎日続いた。2月ぐらいには一日7千食を越える炊き出しを数ヶ所でやっていた。神戸のときも、兄を失い、家も倒壊してしまった方なのだけれど「今、がんばらんと」と毎日懸命に鍋づくりをしていただいた方がいた。包丁を持つことで元気になるお母さん達もいた。炊き出し一つでもいろんな知恵をつかえば「元気」になれる要素がある。
 「元気鍋」方式により鍋も野菜の残りも五徳も、予備ボンベ付きでプロバンガスボンベもこの方式で避難所に置いてきた。

 とにかく今、炊き出しがトップニーズ。現地に入るのは何人でもいい。ガスボンベ、水、大きな鍋、大量の野菜をもってグループ単位で、現場に駆けつけてほしいと思うのだ。

地震翌日25日午前9時から現地にいて、いろいろ情報を提供してくれた市村氏、そして、豊岡水害から駆けつけた吉村氏と炊き出しを終えてその後、数ヶ所の避難所にいってみる。約3千人もの方が避難されている総合体育館。 超巨大な体育館に3千人が地べたにそのまま毛布を敷いて、雑魚寝状態で休んでいる。お

地震だ!


今日は午後3時から公文大でおこなわれていたNZ学会に足を運ぶ。オークランド大の先生、青大の平山先生らの資源管理法(RMA)の話、非常に興味深かった。河川管理などについて質問したが、10年前に住民から堤防強化の要望があり裁判がおこなわれたが、結局、その場合はRMAなどの判断により裁判で堤防をつくるのではなく危険地域に住んでいる人の移転という決断がなされたと説明をうけた。NZではとっくにダム開発にたよる治水また利水政策は止まっている。などと聞いた。僕らはもっとNZの政策を勉強してそれを参考にする必要があるような気がしている。先生方によればドイツや北欧よりも実は学ぶべき点が多いというのだ。特にマオリの思想も組み入れたかたちで、つくられている環境法というのは画期的にうつるものだ。政策決定の際、マオリ(先住民)の知恵を参考にするというのだ。日本にそうしたことがあったら、今のようにはダムがつくられないのではないだろうか。

と先生方の講演中、午後6時手前に地震。酒田では震度4との事。
今、家にもどり、震災情報を見ている。

新潟。水害のときにも訪れた見附が今度は地震だ。現在のところ、

新潟中部で震度6強3回 3人死亡、負傷者多数
 23日午後6時前から8時前にかけて、新潟県中越地方で、震度6強の地震が3回あったほか、震度6弱、5強などの地震も相次いだ。
 新潟県警によると、小千谷市と十日町市で計3人が死亡。揺れが激しかった地域を中心に、病院には多数の負傷者が運び込まれた。電力会社によると、約25万戸が停電。複数個所で土砂崩れや火災、車の衝突事故が発生したとの情報がある。走行中の上越新幹線が新潟県内で脱線したが、けが人はなかった。
 政府は首相官邸の危機管理センターに官邸対策室、警察庁は災害警備本部をそれぞれ設置。
 気象庁は「内陸部で起きた直下型地震。引き続き震度6強規模の余震が多数発生する恐れがある。大雨で地盤が緩んでおり、がけ崩れなどに厳重な警戒が必要」と呼び掛けた。

合併問題仕切り直し。経営倫理


10月21日、28日からの臨時議会での提出案件の説明会。ひとつは三川町を除く6市町村の南庄内 合併協議会の提案と、職員の冬季手当ての件。合併問題であるが、今回の議会で指摘したことの一つでも明らかになること、と住民の意志確認の手法の検討を強く望むものだ。
 19日、公益文化大学大学院にむけた公開講座が鶴岡キャンパスでおこなわれた。経営倫理を学ぶということだが、「哲学的なアプローチからの経営倫理」ということで切り込んでいく「常に問いかける姿勢」といった中谷教授のアプローチは新鮮だったし、実に有意義だった。重要なこととして、「法律は確かなものではない。解釈の仕方もいろいろあるし、状況や時代によって、作り替えられるものだから」といったこと。なにより、自由な意見、反対意見が述べられない環境は、不正の温床になりやすい。ということ。 まとめのところだけ記しておこう。
●倫理的に生きるためには常に「それが正しい行為か」問いかける姿勢が不可欠。●ステイクホルダー重視の経営は現在の流行だが、何がステイクホルダーなのかはさらに深く考える必要がある。●法律を守るだけの経営は危なっかしい。●ビジネスにたずさわる者として、他者危害原則、不快原則を常に考慮しなくてはいけない。

当たり前のようなことだけれど、三菱の事件や雪印や牛肉不正表示やいろんなことがこの国でもおきている。役所の中でも、最近新潟市でもろに発覚したけれど不正談合がまだはびこっている。それらに如何に対処するか。「それが正しい行為か常に問いかけてみる」 大事なことだ。
 
 


東北自然保護の集い 小国川運動のワンステップ


16、17日と、山形県最上町 赤倉温泉にて、東北自然保護の集いが行われた。
山形県で髄一といえる清流 最上小国川。今回の集いはダムと公共事業と題して、小国川ダム計画をふまえつつ、おこなわれた。
基調講演は天野礼子氏。
岩手から、ツヅキダム、梁瀬ダムの反対運動を展開しているアクティビストがきていて、最上小国川に取り組んでいる漁協とともに、2日間、議論をし合った。僕はダム分科会書記や2日目の特別企画などを努めさせていただいた。梁瀬ダムは盛岡の郊外に計画されているダム。未だに盛岡の水道水とか、「利水」目的を含んだ、多目的ダムと聞いてがく然とする。強行されれば、月山ダムの二の舞いを踏むことは明らかだ。
 ツヅキダムは、カキ養殖で有名な岩手三陸海岸へ注ぐ気仙川に計画中のダム。こちらも多目的だったが、さすがに利水利用はカットされて治水穴あきダムということで計画されている。 そして小国川ダムは、穴あきダムだ。

今、全国でこの「穴あきダム」が大はやりのようだ、堤体の底に近いところに穴が開いていて、普通のときは、その穴から水を流し、洪水時にだけダムで止めるといった治水!? 手法だ。利水の根拠がなくなったから、なんとか治水でダムをつくりたい「ダム信者」たちは苦肉の策として、環境にやさしい「穴あきダム」などといっていろんなところのダム計画をつくっている。
 官僚の反省をもとに、「ダムの歴史は終った」宣言をしたダム先進国アメリカは、今、460ものダムを撤去して、自然の川をとりもどしている。「穴あきダム」などといってまだダムに固執している国の姿を彼らはどう思うことだろう。
ヨーロッパもとっくにダムに寄らない「総合治水」の時代を迎えている。
叉、海は森の恵みがもたらされもし、逆に森の栄養素としては、海から、サケの「ほっちゃれ」の養分がかかせない。

官僚がこねくりまわす、数値のマジックにのることなく、洪水や水害の情報を古老に聞いて回る。それが「総合治水」の第一歩だ。

今回の集いから、「脱ダムネットワーク東北」を東北全県に呼びかけること、そして、現地では「最上川・最上小国川の真の治水を考える会」を正式にこの10月17日、立ち上げた。いましがた戻ってきたところ。ふう。

バウさん出発。明日から東北自然保護のつどい


酒田の講演会を終えて、バウさんは軽トラックで出発した。
体はボロボロ。昨日、湯田川のお湯で癒そうと湯田川温泉の旅館に泊めたけど、あまり体の調子はかわらなそうだ。この人一人で行動させてはいけない。僕らも負けてはいられない。夢をもって、行動しよう。バウさんの背中、いや軽トラックのテールランプを見ながらそんな投げかけを強く感じた。

 明日からの東北自然保護の集いの準備におわれて気がついたら朝4時だ。9時に天野さんを迎えにいかねばならない。よっしゃ!

9.11は陰謀です。目を覚ましましょう。




すごいエネルギーを感じた一日だった。バウさんが、鶴岡にやってきた。今回は、軽トラックでの全国行脚。神戸元気村の代表者。そしてopenjapan のバウ 山田和尚を囲んで問題のVTRを見つつ、カフェコモンズで語り合おうという企画。

「9.11ボーイングを探せ」は、まさに信念をもって「陰謀」の事実をつきとめようとしたラジオディレクター Dave vonKleistによる明快なVTRだった。そしてうれしいことに昨日、日本語版が完成し、それをもってバウさんは全国を回っている。

「ペンタゴンには旅客機が突っ込んでない」
「WTCに突っ込んだのは、旅客機ではない。WTCには崩壊のための爆薬がしかけられていた。」
 「説」ではなくて「事実」なのだ。あの巨大大国で、メディア大国で、真実が完ぺきにねじ曲げられている。

ほんとうの事が隠されていた! VTRを見ながら僕は心の中でそう叫んだ。
ほんとうの事が隠されていた! といえば、月山ダムの事も、今回の市町村合併の問題もボンボンと浮かんできた。

バウさんは言う「日本語版ができました。でもこれは日本語版を見て満足する日本人を増やしたいんじゃないんです。一人でも多くの人がこれを見て、米国人に、特に米国軍人に、英語版のビデオを見せて欲しいんです」

上映とバウさんの話の後、カフェでいろんな話に花がさいた。学校の先生で平和問題に取り組んでいる人が「平和の教育」の悩みをうちあけると、「ちょっと集まって」とバウさんが一つの輪をつくって話し始めた。

世界の「平和」に至るどこにあると思いますか? とバウさんは問いかけた。みんなはたと首をかしげた。
 国際的な司法機関があれば解決できる。そして当面の目標といえば国境をなくすこと。だ。と。国際司法裁判所 はあるが、肝心のところが批准してない。戦争を景気対策だと思っている国が、戦争をしたいがために(日本は年間予算80兆円の内5兆円を軍事費に使っている。)批准しないのだ。と。
 そして国境の事をいえば、EUが見本だ。と。いろんな難問があるだろうけれど、なんとかそれを解決する政治が立ち上がってEUが成立しているじゃないか。と。あれこそ政治の力なんじゃないかと。そして、今、経済界ではユーロの方が一国主義の米国のドルよりも信頼性がある。と。
 昔、岐阜と新潟が戦争をしていた。この国の中でもお互い戦争していた。でも今はそれはほとんど笑い話になっている。国の問題だって、きっとそんな時がくる。バウさんは言う。
 
僕らは間違った「政治」に飼いならされているのかもしれない。

本当のことに目を開き、文化度をあげよう! そのために動くことです!
バウさんの一言だ。

本日は酒田の勤労者会館で午後6時半から講演がある。興味のある方はぜひ見て欲しい。

僕もこのVTRを世に広めるために動くことにした。見たい方はぜひご連絡を。
マスターを受け取りました。日本語版制作費のカンパでダビングしてお渡しします。
090-4388-3872 

また、コモンズでいつでも上映(テレビですが)します。どうぞお気軽にお問い合わせを。





山形県公共事業再評価委員会傍聴


今日は、午前中議会だより編集委員会 終ってから車を走らせて山形県庁へ、。
最上小国川の公共事業再評価委員会があるからである。
県庁2階の講堂で、最上小国川漁協 沼沢氏らとともに傍聴する。
再評価委員会 最上小国川は、Cー2。蔵王の道路整備事業とともに説明を受け、委員の方々の意見交換を聞く。最上小国川は、県提案としては穴あきダムと河道拡幅。
穴あきダムはいつもはダムがないときのように川が流れるので生態系への影響はなし。というのだが、どうだろう。また、前半に今年の7月18日に撮影したという赤倉温泉の増水の模様が画面に映し出され、委員の方に効果的にインパクトを与えていた。うまい演出だなと思った。

 上流にいくらダムをつくっても支川が流れ込む下流域の水害はふせぎきれない。そして赤倉温泉地域の治水の対策としては、今現在、堤防上に建物が建っているようなその状況を変えることこそ先決なのではないか。 

やりとりを聞きながらも、いろん疑問がわいてくる。 今日、この委員会の前に、神室の自然を守る会から、一連の疑問についての申し入れ書が委員全員に手渡された。

8名の委員の内、本日は6名。山大工学部の先生、弁護士の先生、女性委員4名が穴あきダム案にほぼ賛成のようだった。2名の方は在る意味懐疑的だった。河川の自然生態や、ダム、放水路案による影響など、まだまだ、判断できる情報がそろっていないのではないか ということが県に問われた。川が今のままである価値。ダムのない価値。そうしたものをいま、推し量る手法もある。今の議論が、「技術の自治」といった河川思想の元で語り合えているかといったら、どうも違うのではないか。治水といえばダム。なぜかといえば予算を付けやすい。(国がほとんどめんどうを見てくれる仕組みがあるから) だから、いちいち河道拡幅するよりも面倒がなく、そして県の予算をともすればさほど使わなくてもすむ。
 そうした中でダム案が推進されているだけだ。 

さて、最上小国川では、今週末の16,17と東北自然保護の集いが催される
次のスケジュール。

第25回東北自然保護の集い 山形大会
ダム開発と公共事業を考える。
        主催 東北自然保護団体連絡会
第25回「東北自然保護のつどい」は、義経伝説と松尾芭蕉の足跡があり、全国的にも有名な清流小国川が流れる山形県最上町で開催されます。この集いは1980年に山形県朝日村で開催してから、各県持ち回りで継続して4分の1世紀を経過しました。この間、多くの困難を経験しながら東北の色々な課題に取り組んできました。
 今回は、この清流小国川にダムが建設されようとしている赤倉温泉を会場に「ダムと公共事業」をメインに据えて開催します。そして東北自然保護運動の新たな展望をもちあえる「集い」にしたいと思います。ぜひ多くの会員の参加をお願いします。


1日時 10月16日(土)13:00〜17日(日)11:30
2場所 山形県最上町赤倉温泉 お湯トピア (大会会場)
               湯守りの宿「三之丞」(夕食・交流会・宿泊)
3日程 10月16日 12時〜 受付
           13時〜13時15 開会
           13時15〜14時45 基調講演
           講師 天野礼子 「国内外のダム開発とその課題」
●森から川 川から海の連なりをとりもどすために
           14時45〜15時 休憩
           15時〜  16時 現地報告
           16時〜  17時 分科会

第一分科会 「ダム開発と公共事業を考える」
第二分科会 「あらためて林野行政を考える」
第三分科会「これからの東北の自然保護運動を考える」

17時〜18時 休憩
18時〜21時 夕食・交流会 

17日  7時30〜8時 朝食
     8時30〜10時30 分科会
     10時40〜11時30 全体会
    11時30〜12時   大会アピール採択 閉会
   
12時30分〜 14時30分 現地研修会  (希望者のみ)
特別セッション「もっと知りたい小国川ダム計画」午後1時〜4時
        現地視察と県の説明 質疑応答

集いのみ 1000円 集い+交流会 6000円 宿泊込み 15000円
参加申し込み 〒996−0033 山形県新庄市 下金沢町16-35 海藤方 神室山系の自然を守る会 海藤さん 0237-22-8713