持続可能な鶴岡ブログ

持続可能な鶴岡ブログ
トップページ > 持続可能な鶴岡ブログ

最上小国川をカヌーで下る。


毎年お邪魔していた、高寺八講を今年はちょっと失礼させていただき、以前からカヌーチーム3人で予定していた最上小国川へ。

山形県でほとんど唯一といっていい、天然河川 最上小国川。
今、淡水域の生態系は、全てレッドデータであり、現存するすべてを世界遺産として登録してもいいと僕は思っている。

一歩、踏み込んで考えていただきたい。また、私たちはこの山形の貴重な宝物を失おうとしているということを。

震災1年半年の中越。


中越のその2編。

新潟 中越復興会議へ




穴あきダム ラッシュ ー記事より。


2006年04月03日 朝日新聞 より。
穴あきダム計画ラッシュ 安い建設費、「延命」批判も




 ダム堤体の下部に放流口を設け、普段は水をためない治水専用の「穴あきダム」が各地で次々と計画されている。今月中には島根県営の益田川ダムが初めて完成。国直轄や水資源機構管理の大規模ダムでも、昨年7月に多目的ダムからの転換が打ち出された丹生ダム(滋賀県)に続き、2月には足羽川ダム(福井県)の建設方針が決まった。国交省などは多目的ダムよりも建設費が安く、環境への影響も小さいと利点を挙げるが、「逆風が強いダム建設の延命策だ」と批判的な見方も出ている。

 既存の大規模ダムのほとんどは治水や発電、農業、水道用水などの多目的ダムで、出水時でも一定の貯水をしておかなければならない。これに対し「放流型」「流水型」とも呼ばれる治水専用ダムは、出水時には一時的に水をためるが、流入量の減少とともに水位は低下する。以前から「穴あき」と呼ばれるダムはあったが、取水・放水口が堤体上部にあるなど貯水を前提としており、常時水をためない設計は、益田川ダムが初めてとなる。

 貯水の必要がないため堤体が低く、建設費を軽減でき、水没面積も少なくてすむ。水を完全に遮らないため、魚など生物は堤体の上下流を行き来でき、プランクトンなどによる水質悪化もない、と国交省は説明する。

 不景気や節水技術の進歩で水需要が低迷する一方、台風や豪雨による水害被害が近年も多発していることなどが、計画ラッシュの背景にある。

 福井県の足羽川ダムの場合、67年に多目的ダムとして計画されたが、反対運動で難航。県も水需要が見込めず、利水事業からの撤退を決めた。しかし、04年の福井豪雨で1万戸以上が浸水被害を受けたことで、治水専用ダムとして再浮上した。

 滋賀県の丹生ダムも近畿最大級の多目的ダムとなるはずだったが、大阪府、京都府など利水事業者がすべて撤退し、貯水量の8割の需要が消滅。規模を3分の1にし、5300万立方メートルの穴あきダムに変更された。

 ただ、専門家や住民の間では疑念も残る。

 福井豪雨後、足羽川ダムは総工費620億円で計画され、議論が進められていた。その後、同省は治水容量を約2倍の2870万立方メートルに変更。総工費は1500億円に膨らんだ。専門家が建設の是非を検討した九頭竜川流域委員会のある委員は「治水専用ダムを持ち出すことでまず建設同意を得て、その後、規模を大きくしようとしたのではないか」と話す。

 皮肉な事態も生じている。3月中旬には、滋賀県・丹生ダムの建設を推進してきた人たちが、穴あきダムに反対する住民大会を開いた。

 地元の余呉町は、当初の多目的ダム構想に合わせて、ダム湖岸に桜やもみじを植える公園づくりを計画していた。だが、穴あきダムではダム湖はなくなり、ふだんは石で覆われた堤体がむき出しになる。畑野佐久郎町長は「湖のないダムはいらない。観光ダムに期待してきただけに、方針転換に驚いている。国は我々をだますのか」と憤る。


→よくまとめて書いて下さった。まさに穴あきダムはダムの延命策だ。
水は余っている。そして治水には堤防強化などの方が有効だ。
山形県の最上小国川ダムもこの穴あきダムブームにのっとって造られようとしている。/

山形 最後の清流をなんとしても守りたいものだ。



上杉まつり



きてみた。桜満開 快晴 なかなかのもの


アートフォーラム。行くべし。



29日からはじまったアートフォーラム、石井勢津子氏の作品展をご紹介。

僕も街宣の後に一回、そしてカヌーの後、もう一回見にいき、作家の方とお話することができました。

http://www.t-artforum.net/

これは面白いし、美しい。しょっぱなのセルフポートレートから驚かされる。そして展示室に吊るされたパネルの作品は、しゃがんだり、台の上に乗ったりすると次々と変化する。自分自身でものを見る。鑑賞する。「ものの見方」というものを再発見してくれる。
このホログラムという技術はノーベル物理学賞受賞者であるハンガリーの物理学者ガボールデーネシュ によって発明されたものだということ。その技術を使って、造られる芸術はサイエンティフィック的にも、そして美術的にも大いに刺激を受ける。おうかがいすれば、ものすごく大変な手間のかかる作業をされているとうかがった。
 どうやってつくるのだろう。とちょっとだけ聞いてみると大変な作業なのだ。

アートフォーラム裏の池に展示してあるオブジェも太陽の光を受けて青や緑に輝いて美しい。
石井さんの作品は世界中でとても人気があるということで、なかなかお目にかかれない作品なのだと聞いている。

展示は5/7まで。みなさんお見逃しなく! 大人 入場料200円

しゃがんだり、台に乗ったり。じっくり「ものの見方」の冒険を、そして新しいアートの体験をしてほしいと思います。



みどりの日に。



みどりの日。ノーGMO キャンペーンで自転車街宣。役所前。前倒しメーデーにご参加の皆様にも声を送る。
その後 あまりの天気の良さに荒沢ダムの近くまで、カヌーに行く。
最高。

mac 故障。うーむ。


朝、八文字屋前 つじ立ち。
その後、おとといから立ち上がらなくなったpowerbookに格闘。osを入れ替えたりアップルに電話したり。結局HDがいかれているみたい。残念。明日改修修理してリスタートだ。

市は本日、国民保護協議会を開いた。この協議会は、国の武力攻撃事態などにおける国民の保護のための措置に関する と称される国民保護法に基づくものだ。

この協議会設置を伴う条例案にたいして、僕は、一時見送りするように反対討論をのべつつ。会議の公開や市民委員の公募を要望した。しかし、今日の会議の日程は住民に広く伝えられたものではない。これで「公開の原則」を満たしているとは到底思えない。

住民の命や安全に関わる重要な会議。きちんと開かれた会議にする手続きが何よりも必要だと思うし、ミサイル、ゲリラ、テロ、弾道ミサイル、NBC攻撃などなど、かなり物騒な文言の並んだこの制度内容を僕らはまず知り、おかしくないかをきちんとチェックしないといけないと思う。

今後3回の協議会の中で具体的な国民保護計画を作成していくとのこと。

チェックしていきたい。


小国川流域委員会


朝 役所前 つじ立ち。
昼より 新庄ゆめりあ小国川流域委員会 委員会 傍聴

漁協 のかわりに アユの専門家ということで水産環境研究所説の石田氏が説明しているが 全然現場の声がない 論外だ 。
山形県の川でほぼ唯一ダムのない川である最上小国川の議論にしてはあまりにも程度が低い。鮎トーナメントが年間7回もおこなわれ、天然鮎が年間100万匹は遡上するという貴重な川なのに、そんな話しは一切でてこない。鮎だけでも年間2億円もの経済効果をもたらす貴重な川。小国川。これまでの委員の話では「ダムによる川の地域振興」などと言った人もいたが、とんでもない。「ダムのない川を中心にそえた川とともに歩むまちづくり」こそトレンドだ。

穴あきダムだったら生態系に影響がないといえるだろうか。「貯留型のダムよりは流水型のダムは河川環境に影響を及ぼさない」これはいえるかもしれないが、肝心なのは、ダムがない川と穴あきダム(流水型ダム)との比較であって、それに県は言及しはじめると「これはモニタリングしないとわからない」等といっている。全く無責任論である。

「モニタリングして監視していく」などというけれど、ダムがつくられてから、モニタリングしてダメだったらダムを壊すのか。アメリカでは本当にそうしてダムが撤去されているが、日本では、モニタリングして、結局都合にいいデータだけ導きだして「まあ、あまり影響はないです」などとお茶を濁して終わりになることは見えている。実際、影響があってからでは遅いのだ。

 鮎釣りの人たちは間違いなく、ダムのない川を目指してこの小国川に来ている。
赤川をはじめ、ダムができた川の鮎は泥を食んで不味いのを良く知っているし、ダムがない川だからこそ生息する、天然遡上の鮎の引きを楽しみにやってくるからだ。
小国川は最上川支流の中で最も天然遡上の鮎が多い川。その数100万匹とも聞く。

こんな程度の低い流域委員会でこの川の決定がおこなわれてはあまりにも情けない。

山形の顔のひとつである、ダムのない天然河川の価値。日本一おいしい松原鮎の存続の危機。これを失って「川を中心にしたまちづくり」はありえない。


最上、赤倉、瀬見、全て交流人口に貢献しているのはアユ釣りの人たちである。
それが全くわかっていないのだ。

山形県 で唯一の清流河川が失われる危機。 

ちょっとみんなで考えましょう。



OFF 日記。カヌー編1



ひさびさのOFF。wwnメンバーでガイド講習を兼ねて三面川を下る。ダム直下より。水量よし
風結構きつい。一艇 沈あり。ダムができて鮭の遡上が少なくなっていることは聞いていたが、なかなか川の景観としてはまずまず。浜辺手前まで約5時間。高校前のさいとう食堂ではらこご飯を食べる。絶品。お母さんが僕らのカヌーを見て主人の話しになり、手作りのカヤックをつくって海でサーフィンをしたとか。その内ご本人登場。なんと80歳近い元気なベレー帽をかぶったご主人。予期せずカヌー談義に。アウトドア列伝もののおじいさんだな。これは。
食堂にきていた常連さんとおぼしき方が、温泉のおすすめを教えてくれた。「瀬波温泉でかけ流しは「大清」しかない。500円。中心部の龍泉820円よりお湯は全然いいからおすすめ」といわれ行ってみる。なんとレジオネラ対策に高温温泉で対処した塩素フリーの温泉。10時まで外来入浴OK。独自ビーチクリーナーも持っていて旅館の前の砂浜を鳴き砂にしたいのだとか。志が気に入った。こうした旅館ひとつで観光地は変わる。

カヌーでパドルで水をつかんで漕ぎすすめると僕はやっぱり生き返る。原始の自然と人間とのつながりをとりもどす。水のパワー。予期しない流れ。渦。その流れに身をまかせながら、方向を決め、進み、バランスを保つ。川は時間の流れと同様に容赦なく僕らを相当な早さで下流に押し流して行く。岩が現れ、鉄柱が川底から水面に顔を出している。自分で漕がなければ思う方向には行けない。

僕は、こうして川からパワーを得て、そして社会の矛盾を再認識する。やらなければいけない事を確認する。

自然をあなどるな。僕らは、川の流れひとつ読めてないじゃないか。