石巻。3ライス元気村プロジェクトの記事
一昨日、昨日と石巻の仮設住宅での孤独死防止の取り組み、3ライス元気村プロジェクトに参加してきました。年末も12月23日妻と一緒に、此まで月山元気村へのご寄付をお米に替え、庄内米300KGをもって参加。そのとき取材を受けた記事が地元紙に掲載されましたのでお伝えします。

月山元気村は石巻ボランティア絆ベースとともに、3ライス元気村プロジェクトを柱に被災地支援を継続的に活動していきます。
よろしくお願いします。
昨日の景気雇用対策質疑メモ 風力発電編。
昨日の景気雇用対策特別委員会での質疑。
風力発電開発と自然公園、また、ダム問題について質問しました。
エネルギー関連については一部 本日の山形新聞に掲載されています。
とりいそぎ。再生可能エネルギーの質問について、メモより質問内容のみお伝えします。
答弁については後日。
14日15日、横浜で脱原発世界会議があり参加してきました。
2日間でのべ1万人の方々が福島の痛みを共有し脱原発と産業革命、農業革命、IT革命に継ぐ、第四の革命といえる再生可能エネルギーへの転換の国内外のプレゼンを聴きました。
改めて「卒原発」を表明されている吉村山形県政を誇りに思いますし応援して参りたいと思っております。今般はそのフロントランナーである風力発電について質問します。
○ 風況が最も優れ風車建設の適地である十里塚地域をはじめとした庄内海岸はほとんどが山形県立自然公園普通地域になっている。この自然公園内への開発をおこなうかが関係者の焦点と思います。
私はこの新たな開発を、つまり、自然保護上でただ損失という妥協の産物であってはならない。と考えています。持続可能な開発の様式として、開発行為で自然公園に踏み込むけれども、自然公園の自然生態系は損失されない。
「ノーネットロス原則」に基づいて、公園の中に風車はたつが、それによって、自然を失うのではなく周辺の自然の保護をより充実させる。と。理論的にはオフセットするというような考え方で、新しい次元の自然保護をおこなう自然公園としてはと考えていますが、現状とこうした考え方について伺います。
○もちろん、大山下池などラムサール条約指定湿地周辺等は、特別地域に格上げをおこなうことが必要と思いますし、普通地域の黒松林であっても黒松林の手入れを充実させながら、今、消滅の危機にあるといっていいハマナス、ウンランなど海浜植物をより保全していく海浜植物園をつくるなど、より充実させる、理想的には風車での収益を一部自然保護にもまわしてそうしたことを実現するなど、いわば「持続可能な開発」としてのモデルをおつくりになったらと考えます
○ 現状と見解を伺います。
また風力発電は系統接続がもうひとつのネックであります。これまで抽選に当たらないと系統接続できませんでしたから。しかし今般、東北電力では今般抽選によらない「自治体枠」を設けています。自治体が50%出資とか県内金融機関出資など自治体が関わる一定条件があるようですが。
また、風車が建っても固定資産税しかはいらない」のではなく。その売電収益が地域に還元される県民出資、県内企業、金融機関が出資しお金が循環する市民風車、県民債を使った県民風車などは望ましい
今般の自治体枠にエントリーし、県民風車をつくることは望ましいと思うが、いかがでしょうか
。
17年目の1.17に寄せてー新しい市民社会の文化を。
17年目の1.17に。
あれから17年もたってしまいました。ボランティア元年という言葉を生み出した1995年。私はその渦中の中で新たな人生を得た一人です。はじめの150日間は、テントで暮らしながらの被災地支援活動。3日のつもりが、1週間会社を休んでということになり、そして1ヶ月休職。そして更に。結局やっと入れた会社を2月の終わりに退職することに。そして4月から正式に神戸元気村の副代表を職業に歩み始めたのでした。確か8月までは無給で自分の銀行口座から持ち出し。でも炊き出しを食べたりみんなで自炊していたし、公園のテント生活で家賃もなく、24時間体制で被災者支援の活動に明け暮れていました。
仮設住宅の独居のお年寄りをターゲットに、孤独死防止用のプロジェクト「ベルボックス」と被災地支援のコンサート(当時6千人の高校生を招待してワールド記念館でおこないました。ハービーハンコックら超一流アーティスト、JAZZ )のコーディネートなどに奔走していました。バウさん(山田和尚)の繰り出すアイデアを実行に移すのが僕の役目。当時感じていたのは「今が太い」日々をようやく手にいれた。という実感だったと思います。今という時しかない。そこには過去という時間も未来と言う時間もない。とにかく今を集中して生きるということ。
やれたこと、やれなかったこと。様々有りますが、29歳までの自分が全く踏み出せなかった一歩を僕は踏み出せていた。そんな自分がありました。2月22日、被災地で多くの同士に祝福されながらの30歳を迎えていました。
当時日々200人ぐらいのボランティアの中で次を生み出すことをバウさんとやっていたように思えます。次のニーズを読み解くこと。そのためにバウさんは昼夜を問わずメディアを問わず、場所を問わずリサーチをし、「次はこれなんやわ」と一瞬、奇想天外にも思えるが、よく考えると納得できる、ようなアイデアを僕に話し、僕はなんとかそれに応えようとしました。応え、動いて自分なりにいくつかの壁を越えることもできました。その時の一つ一つが自分の自信になっていきました。
ボランティアの場に一歩踏み出すと、自分の世界が変わります。一つの笑顔をつくるために、あれをやったらどうか。いやまてよ、あれも必要かもしれないな。お、それならあの人に声をかけてみようか。などなど、実にクリエイティブな喜びがあります。そして、今まであったこともない人に会えたりします。僕は神戸以来特に、ずっとそんな出会いの連続に恵まれていたように思えます。
僕が当時会社を辞めてまで神戸元気村を職業にやっていこうと思ったのは、実は長良川河口堰の反対運動の際に出会った NGOという世にも珍しい職業をやっていた人々に会ったからでもありました。デビッドブラウアーやオーウェンラマーズ、フィリップウイリアムス、などなど。学者の肩書きもある人もいましたが、ダムファイターとかアクティビスと(市民活動家)としてNGOを運営しているという人々でした。「ダム反対運動をやってそれを職業としてできるなんて、すごいな」僕も川を守る活動が職業にできたらとも考えていましたが、もしかするとこの震災復興だったらNGOというものが成り立つのかもしれない。と考えてもいました。
結局3年、神戸にいて、後半はベルボックスと同時に仮設住宅から恒久住宅への引っ越し支援、お米で被災地と全国を結び直す3ライス神戸プロジェクトを展開していました。
この3年は僕の今の政治の原点でもあります。市民が思いをもって動けば、物事や仕組みが変わるのだということ。私達の活動はボランティア元年という言葉を生み出し日本にNPO法を生み出しました。
その後、日本海重油災害では、はじめて社協とNPOと青年会議所が協働してボランティアセンターをつくるという文化を生み出しましたし、インターネットでのボランティアコーディネートの先駆けをおこなわせていただきました。
04年の新潟水害と中越大震災。中山間地への支援策などを展開しました。
そして昨年の東日本大震災。
神戸からの経験を活かしてやれたかなと思えるのは、3月19日にはいった石巻で、20日に当時現地入りしていたNPO、NGOと社会福祉協議会、行政との情報共有の場をつくることができたことです。
その2回目(3.21)の模様は、http://www.ustream.tv/recorded/13546578 で録画中継されています。
このNPOの連絡調整会議は、石巻災害復興支援協議会となり、奇跡のボランティアという集団として行政の最新情報を共有する中で複数団体の連携で町の泥だし作業や漁業支援など様々な新しい活動を展開してくれました。
今、東北の被災地では仮設住宅への支援が課題となっています。神戸での活動を踏襲するかたちで、当時の仲間達と絆ベースと協働して3ライス元気村プロジェクトをはじめました。私も年末の12月23日に現地にお米を持って行き、メッセージカードを添えて仮設住宅の65歳以上の一人暮らしの方々にお配りしました。「いつもは家にひきこもったままだ」「米を買うにも遠くてどうすればいいか」との声を伺いました。段々と報道も薄れ、どんどん寂しくなるのが被災地だということであり、山形のボランティアはむしろこれからだ。と考えているところです。
「ボランティア元年」の17年後、2万名もの犠牲者に向けて僕らは何ができるか、問われていると考えます。
この1月9日は郡山を再度訪れました。手持ちのガイガーカウンターは0.6、0.8μシーベルトを記録。線量が高いままです。子ども達の室内遊び場を視察してきました。3連休は整理券待ちの大盛況。確かに園遊び場は豪華で実によくできていて、みんな楽しそうだったのだけれど、外に一歩でればかなり高い放射線を浴びることになる。正直子ども達は大丈夫なのか。本当に心配になりました。
強制集団疎開でも考えていかねばならないのではないか。とも考えました。
1.14,15は脱原発世界会議が横浜で行われました。1日のみでしたが参加しました。
2日間で1万人の人が集まる大盛況ぶり。そして主体的に問題を解決しようとする一人一人の熱い行動に出会えました。
17年目の 1.17、今日はテレビで希望の灯をみてから上京、昼すぎから脱ダムのアクションと緊急フォーラムを国会近辺でおこないます。
僕にとって阪神淡路以来の被災地支援のボランティアも脱ダムや脱原発の行動も全く同じ思いでの行動です。県議会議員としての提言も追求も質問も全く同じ思いで行動しています。
一つでも人々の笑顔をつくるため。子ども達に恥ずかしくない未来を手渡すため。
311以
成人式に 恒例の街頭演説。

羽黒山伏山形勧進に同行ー知事へ
6日午後2時半。県庁の知事室に法螺貝が響き渡りました。

ということで。
安全 運転のために、昼間のライトアップを。
昨日、本日から仕事始めの方々がたくさんいらっしゃるかと思います。

写真は八文字屋前にて。
2012年 元旦 持続可能な社会への転換の元年に。
謹賀新年

ナチュラルステップ創設者、カールヘンリクロベール氏と。08年 ヘルシンボリ sweden
古い河川行政に戻すなー京都新聞社説よりー
以下 転載します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
京都新聞社説 2011年12月25日
八ツ場ダム再開 古い河川行政に戻すな
無駄な公共事業の代表として、民主党が2009年の衆院選マニフェスト(政権公約)で建設中止を掲げた八ツ場(やんば)ダム(群馬県)の建設工事再開が決まった。
「コンクリートから人へ」の理念はどうしたのか。あまりに明白な「変節」にあきれるしかない。
前田武志国土交通相は「マニフェスト通りの結果が得られなかったのは残念だが、苦渋の決断をした。代替案のないまま中断するのはよくない」と説明した。
すでに立ち退きを強いられた住民や流域6都県の反発は当初から予想されていたことだ。ダムに代わる地元振興策と治水策を示し、説得することこそ、政権党がなすべき一貫性のある態度だ。
2年前に国交相として建設中止を宣言した前原誠司党政調会長が頑強に抵抗したが、最後は決定を政府に委ねて容認した。筋を通したかに見える前原氏だが、自らが決めた事業検証の手順を逆手にとられる形で建設再開に道を開いたことは大きな失策と言えよう。
前原氏が設置した有識者会議の提言を受けて実施されたダム事業の検証は、国交省が実務を担い、コストの比較に重点が置かれた。その結果、すでに着工され、追加工費が少なくて済む既存事業の多くがコスト的に有利とされ、追認されたのは自然だ。こうした官僚主導の「検証」に基づく今回の再開決定は、民主党が目指す政治主導とは程遠いはずだ。
今後の河川行政への影響も大きい。全国で見直し対象のダム事業83のうち「検証」が終わったのは八ツ場を含む20事業。中止は6カ所にとどまり、14カ所は継続となった。八ツ場を突破口に、未検証の事業についても継続方針が続出する可能性がある。
国交省による「検証」には、今本博健京都大名誉教授ら河川工学の研究者らが異議を申し立てている。水需要の減少を無視しているうえ、局地的豪雨に対する効果は未知数というわけだ。自民党政権時代の政府答弁でも八ツ場ダムの治水効果は否定されている。
こうした問題を認識していたからこそ、民主党は「脱ダム」をマニフェストに盛り込んだはずだ。公共事業は止まらない、という象徴的な意味での痛手にとどまらず、今回の決定が「治水はダムで」という古い河川行政に逆戻りさせるのろしとならないか、懸念する。
国交省は、凍結していた東京外郭環状道路(外環道)の建設工事を再開し、整備新幹線の未着工3区間の着工を認可する方針だ。これでは「コンクリートから人へ」どころではない。
これ以上、時計の針を逆回転させてはならない。さもなくば、国民が政権交代で期待を託した民主党の存在意義が消えてしまう。
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20111225_2.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
古い河川行政をしっかと認識しているところに、関西のメディアの常識があります。
こうした認識、東北、山形はどうなんでしょう。
もう時代は変わっているのです。
脱ダム運動は、これからが勝負! 水源連からの声明。
連携してダムの問題を取り組んでいる水源連から以下の声明が発表された。
賛同す。
小国川の国の検証も然り。その前におこなわれた県の「検証」も、委員会の人選に「ダムに依らない河川工学者」が招聘されておらないなど、全く「検証」と呼べないものでした。
「環境影響についての委員会でも、今般、アユの研究者により、ダムによる影響としての検証不足が指摘されています。
国も、県も、ダムを建設しようとしている事業者側がおこなう「検証」なんて、所詮骨抜きになることが目に見えていたのです。だから、「検証」の委員会のあり方、構成こそ肝だった。
政権交代でやるべき鍵はそこにあったのに、前原氏はそれをやらなかった。委員の中に、元淀川流域委員会 委員長をおつとめになった 今本博健 氏、宮本博司 氏、大熊孝 氏、らをいれとけば、そして、オープンに会議をしておけば、しっかりとした検証になったはずだったのに。
残念でなりません。
「できるだけダムに依存しない治水・利水」への転換”という視点で正しく審査する第三者による「事業検証検討審査会」、これこそ必要です。
マニュフェスト違反といわれて、開き直っているだけの民主党にはもう期待できないのかもしれませんが。でも、このまま、政権交代大失敗の道を続けて、昔の政治に戻ったら、更にヒドイことになると僕は考えます。もう一度ふんばってほしい。と感じています。
ほんと、このままでいいんでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平成23年12月25日
内閣総理大臣・民主党代表
野田佳彦 様
国土交通大臣
前田武志 様
水源開発問題全国連絡会
共同代表 嶋津暉之
共同代表 遠藤保男
八ッ場ダム本体工事費計上決定への抗議と再審査の要請
12月23日、政府・民主党三役会議は八ッ場ダム建設再開のための本体工事費の予算案計上を決定しました。八ッ場ダムの不要性、不当性を長年訴え続けてきた私たちは、この決定に対して心底からの怒りをもって抗議します。
本体工事費計上は、「民主党としては反対であるが、最終判断は政府にゆだねる」とした上で政府・民主党三役会議が決定しました。八ツ場ダム本体工事費を来年度予算に計上することは紛れもなく民主党政権の選択です。
2009年、国民は民主党政権を選択しました。それはこれまでの政治のあり方を変えることに国民が賛同したからです。その一つが「コンクリートから人へ」「できるだけダムに依存しない治水・利水」でした。新規のダムは、その必要性を喪失し、自然環境と地域社会の破壊という負の遺産を残すだけであるということが国民の知るところとなり、多くの国民が民主党政権の成立に大きな期待を寄せました。
民主党政権成立後直ちに「川辺川ダム・八ツ場ダム中止」「すべてのダム事業の見直し」を前原誠司国土交通大臣が宣言しました。政治主導による河川行政の転換が一歩を踏み出しました。しかし、その後の歩みは河川官僚と地方自治体首長たちに巻き返され、政策転換は後退に後退を重ねました。その象徴が「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の人選・運営です。ダム懐疑派の専門家は排除され、会議は非公開で行われました。同会議の「中間とりまとめ」と、それに基づいて国土交通省が各ダム事業者に示した「ダム事業の検証に係る検討に関する再評価実施要領細目」は、検証のシステムも内容もダム事業者の意向通りに進むようにつくられました。
八ツ場ダム事業は、関東地方整備局がこの細目に即して、事業推進の結論が先にある形だけの検証を行い、「八ツ場ダムが最も有利」という検証結果を国交省に報告しました。有識者会議はその報告を「細目に即して検証されているので問題なし」と評価して、国交大臣が「八ツ場ダム事業推進」を決定し、政府・民主党三役会議も追認、というのがこれまでの流れです。
このように検証の本来の目的である河川行政の方向転換を反故にして、ダム事業推進の結論が先にある検証の流れを断ち切らなければなりません。
私たちは八ッ場ダム本体工事費計上決定の撤回を求めるとともに、現在の有識者会議を解散し、ダム事業者から報告される検証結果を“「できるだけダムに依存しない治水・利水」への転換”という視点で正しく審査する「事業検証検討審査会」を設置して、あらためて八ッ場ダム検証報告の審査を行うことを求めます。
連絡先 水源連事務局長(遠藤保男) 045-620-2284
クリスマスの日に、次の世代にあなたは何を手渡しますか。
10時の閣議で来年度国土交通予算決定概要が発表された。
http://www.mlit.go.jp/page/kanbo01_hy_001894.html
水管理・国土保全局【PDF形式】 には以下のように。
http://www.mlit.go.jp/common/000186708.pdf
(4) ダム建設 【国費: 1,084億円】
検証を進めているダム事業については、基本的に、新たな段階に入らず、地
元住民の生活設計等への支障に配慮した上で、必要最小限の予算を計上。
検証の対象としない事業のうち、継続的に事業を進めることとしたダム事業
については、可能な限り計画的に事業を進めるために必要な予算を計上。また、
川辺川ダムについては、生活再建事業を継続するために必要な予算を計上。
八ッ場ダムについては、対応方針を「継続」としたことを踏まえ、生活再建
事業の他、本体工事の準備に必要な関連工事を進めるための予算を計上。
また、補助ダム事業については、今後、個別ダムの検証の動向を可能な限り
見極めた上で、適切に対応することとする。(実施計画において確定)
とある。さてはて。
日本屈指の清流、最上小国川を破壊するダム建設予算はどうなることやら。
いずれにしても、今、科学者の方々から突きつけられている指摘や反論に対して、真相を明らかにして頂きたい。まずはそれからだとおもいます。
諸々の論証により、そして更に、、「今、何を大事にすべきか」という昨今の時代背景で、単に、「生命と財産を守るといってダムやればいいんだ!」という建設の根拠、大義が完全にどっかいっていると思うのは私だけでしょうか。僕は、本当に住民の「生命と財産」を守るのは、ダムじゃない。と考えます。
2万本近い清流があった、どこにも川の民が存在した、この日本で、この数十年でどんどん本来の自然や野生を失ってきてしまった。もうダムのない川は小国川と数本しかありません。ダムをつくられたために川の土砂循環が失われ、海岸線はテトラポットだらけになりました。
すでに土砂で埋まって使い物にならなくなったダムが日本国内にもでてきました。
コンクリートが老朽化して危険なダムもでてきました。
撤去にいくらかかるのか。全く計算にはいっていません。
上甲晃先生が、先般の講演でお話されていました。
「このままでは、私達は次の世代に廃棄物と借金しか手渡せない」 と。
ここを変えるのが、政権交代だったのではなかったのか。
少なくとも僕は、こうした思いであの政権交代を応援していました。
八ッ場も、現場の検証をよーく確かめていると、でたらめ、いかさまなんですよ。
人口が急激に減少する日本で、首都圏だって同じこと。そこだけ水需要が増えるんでしょうか。
それと、ヒ素入りの水を東京の人達は飲みたいんでしょうか。
小国川の事についても、温暖化で、関西以西のアユが採れなくなっている事を伺った事があります。そんな中で東北のアユはアドバンテージがある。でも太平洋側は3.11でダメージを受けています。小国川のアユの種苗アユは今年、岩手の気仙川で放たれています。
こうした生命の源を、わざわざ、私たちの手で破壊してしまって良いのでしょうか。
私は、吉村知事を応援する立場におりますが、この案件だけは絶対にゆずれません。
むしろ応援する立場だからこそ、ダムをつくらせてはならないと考えています。
真に持続可能な山形を実現するためには、エネルギーの事と同時に、この大きな難題を乗り越えて
いかねばならないからです。
ダム問題も大多数の方々は無関心です。だから、古い政治がまかりとおってしまうんだと思います。
でも、今、私達が行動を興さないと、次の世代により良い未来を手渡せません。
「山形の食の文化、アユの文化」を失いかねない。まさに文化の消失の危機なのです。
ぜひ、多くの皆さんに考えて頂きたいと思います。
今日、クリスマスイブ、いい、日をお過ごし下さい。
そして、ちょっとだけ考えて欲しいのです。次の世代に何をプレゼントできるのか。を。