持続可能な鶴岡ブログ

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4月10日、県議になって2年。最上小国川問題が本日の新聞に。昨日の裁判の状況。


4月10日、一昨年の4月10日、僕は統一地方選で勝利し、県議となりました。本日2年目の4月10日・この日は本日78になった私の親父の誕生日でもありました。。さて、本日折り返し地点。後援組織「草進会」の臨時会合もあった。これまで支えて下さった皆様に感謝し、更に精進していこうと、決意をあらたにしました。

 さて、本日は北朝鮮のミサイル問題があり、今もそうだがなんだか落ち着かないですね。テレビ、ラジオに聞く耳をたてながら、諸々仕事をやっていました。

昨日は小国川ダム訴訟の裁判の口頭弁論があり、山形地裁で11時半より傍聴。その後本日の新聞に以下のようにとりあげられています。ぜひご一読いただきたいと思います。

自然と文明が調和する理想郷・山形 を掲げた吉村県政第2期。この目標に向けて、徹底的に議論していきたいと考えています。

一昨日校了した議会報告「パドル」4月15日には鶴岡タイムスや、山形新聞などに折り込まれます。ぜひご一読いただき、ご意見などお寄せいただければ幸いです。


朝日新聞 山形
小国川ダム現場 裁判官ら視察へ 7月にも
最上小国川ダム(最上町)の建設に反対する「最上小国川の清流を守る会」が県に公金支出の差し止めを求めた住民訴訟の第3回口頭弁論が9日、山形地裁(石垣陽介裁判長)であり、7月に裁判官らが現地を視察する見通しとなった。
法定で原告側は、ダム建設ではなく河道改修による水害対策が必要だと改めて主張。県側も請求棄却を求める姿勢を変えなかった。
原告側が裁判所に現地での検証を申し立てたところ、石垣裁判長は「検証は時期尚早だが、争点整理のために現場を見ることは有益」とし、県側も応じたため、7月中に裁判官らが現地に行くことになった。

読売新聞 山形
裁判長が現場視察へ。

最上小国川ダム(最上町)の建設に反対する県内の自然保護団体などが結成した「最上小国川の清流を守る会」の有志が、吉村知事を相手取り、事業に支出した公金の返還と今後の支出の取りやめを求める訴訟の第三回口頭弁論が9日、山形地裁であった。石垣陽介裁判長は「検証ではなく争点整理のために一度、現地を見たい」と述べ、現場を視察する考えを示した。
 弁論で原告側は「河道工事による治水が可能で、ダムでは最上町赤倉地区の水害は解決されない」と改めて主張し、現地での検証を裁判所に求めた。石垣裁判長は「検証は時期尚早だが、争点を整理するために現場は見た方がいい」と応じた。知事側にも異論はないことから、早ければ7月19日に視察が行われる予定。

毎日新聞 山形
穴あきダム現場裁判長が視察へ
公金差し止め訴訟
件が最上町に着工した穴あきダム「最上小国川ダム」の建設に関わる公金の支出差し止めなどを求めた住民訴訟の第3回口頭弁論が9日、山形地裁(石垣陽介裁判長)で開かれた。この日の弁論で、石垣裁判長は「問題意識を持って現場を見たい」と述べ、現地視察することを伝えた。原告はこれまで「裁判官に現地を視察して判断を下してほしい」と訴えていた。具体的なスケジュールや視察場所は今後の協議で決めるが、7月に視察する予定。




山形新聞
最上小国川ダム建設訴訟・山形地裁
7月現場視察へ準備
県の最上小国川ダム(最上町)建設に関し、反対住民らが工事費などの公金支出差し止めを求めた訴訟の第3回口頭弁論が9日、山形地裁であった。原告、被告双方の求めに応じ、裁判官による現場視察を7月19日に行うため、準備を進めることを決めた。原告側が口頭で陳述し、あらためてダムに頼らず、河川改修による治水対策をすべきだと主張した。現場視察は、原告側が求めていたもので、被告の県側、裁判官も必要としたため、正式な検証ではなく進行協議の一環として行われる見込み。この日の口頭での陳述で原告側は「河道改修は過去にも行われており、水害対策とともに、最上小国川の清流を守るためにも必要」と主張。県側がかつて、護岸工事をしたことで源泉に影響が出たため、河道改修は適さないとしている点について、「大きな疑義があり、河道改修ができないとする根拠になり得ない」とした。


除洗労働の問題


昨晩の福島に寄り添う集会。福島の除洗の問題。除洗労働=被曝労働なのだということ。ゼネコン、東電の関連会社、等々を経て下請業者から発注される低賃金の問題。発表された方がこの問題に関わることになった除洗の問題は、本格除洗の前の先行除洗であっても楢葉町20集落に11億円も税が投入されていた。その際、住民はほとんど効果がないと指摘していたし、ゼネコンも除洗して1年後には元に戻っているといっていた。本格除洗になると一ケタ高くなるつまり、20集落だと110億円もの税金を投入する除洗事業になる。被曝労働を助長し、全くいくらかかるかもわからない、そして、地元労働者には全くいい仕事にはなっていない。負の連鎖のような「仕事」なのだと発表されていた。これは深刻な問題。改めて受け止めた。その方からのお話では、山形からもそうした作業の仕事をしに来られているかたがいらっしゃるそうだ。最近メディアによってその除染の問題が明らかにされはじめているが、どうも闇が深い。こういう連鎖を断ち切らないと「人間の復興」から更に遠ざかることになる。

山形県議会 25年度予算についての討論。


2月議会も終盤戦にさしかかっております。
本日 採決と討論の日。
以下のように討論をおこないました。


草島進一です。
私は改めて吉村知事の再選をお喜び申し上げます。そして今期の所信に掲げた「自然と文明が調和した理想郷・山形 」は、ポスト3.11にふさわしい意欲的な目標として大いに共感、賛同するものであります。
 しかしながら、議33号25年度一般会計予算の内、最上小国川ダム関連予算5億7千2百万円は、知事が掲げる理想郷を台無しにしかねない重大案件の為、この案件にのみ反論を申し上げます。

 県内内水面漁業の要(かなめ)の川であり、国内有数の清流環境の自然破壊が全国的にも問題視されている最上小国川ダム建設事業については、昨年9月25に住民訴訟が提訴され、口頭弁論が続いています。

 県が「最近でも頻繁に洪水被害がおきている」などと流布してきた実態は、川が溢れ堤防を越える水害ではなく、周辺から集まってきた水の排水処理の不具合による「内水被害」であり、ダムではむしろ防げない事。また、最上町の85%が署名したとされるダム建設推進署名は町が職員等を総動員しておこなったいわば「官製署名運動」であり住民の本心が反映されたものではない事などが流域住民により明らかにされております。 漁業権をもつ小国川漁協は反対を貫いており、本体着工は事実上不可能であります。にもかかわらず、周辺工事が強行され、更に25年度も続行の予算がついており大きな問題であります。工事差し止め、事業の中止を要求します。

 又議44号、電気事業会計の内、県が酒田市十里塚で計画している風力発電計画について、県は酒田市と隣接地域で同時期の開発を発表しながらも、目的が違う別事業だとして、国の法アセスを回避して進めようとしておりますが、「脱法行為ではないか」との指摘が寄せられています。私は今後目指すべき普及のためにも、民間の開発等に規範(きはん)を示すべき県の風力開発として、法アセスを実施すべきと考えます。

 「自然と文明が調和」する理想郷の実現のためには、ならぬことは、ならぬものであります。

3月11日の東日本大震災から2年。私達は今一度福島や被災地に寄り添うとともに、その教訓を踏まえ、これまでの開発行政の下で押しつぶされてきた声なき声にも声に寄り添うことが必要ではないでしょうか。

更に生物多様性の重要性が叫ばれる今の時代を踏まえ、如何に持続可能といえる社会のための開発のあり方に進化させるか。当局には県民の体温が通う徹底した議論を尽くす姿勢を求め、反対の討論とします。


三瀬だけで7千万円 地域のお金の循環、つながりを考えよう!


3月2日の三瀬でのエネルギーのワークショップ、3日の日曜日は辻信一さんとのローカライゼーショントークで、如何に地域ならではの資源に目を向けお金の地域内循環をつくりだすかを改めて重要視している。当日のプレゼンによれば、三瀬の地域だけで、エネルギーで熱+電気で2億円が外に流出している。これを熱だけでも薪など森林バイオマスでまかなえば7千万円のお金が地域に循環するようになる。今、雇用創出が大きな課題だが、パイの拡大よりもむしろ、お金の流れをより考えることが重要に思えている。地域の中に循環する金か、外に流出するお金かということだ。
 三瀬の勉強会で面白かったのは、以前は子ども達は薪を集め、家家で割り箸をつくって小さな仕事にしていたとのこと。まさにカスケード利用で、森の資源を活かしてお金とエネルギーに変えていたというのだ。それが灯油に替わり、結果、熱エネルギーとして1億円外に流出する社会になっている。ローカルな循環を取り戻すことが、地域に経済をとりもどし、つながりをとりもどし、結果的に持続可能な値域となる。

 今日、いや今、モノを買う。その行動の時、その対価としてのお金はどこに流れるか。パン、牛乳、卵 野菜 、、食にかかわるものは、地域の野菜を産直の店で買うか、スーパーのものを買うか。いや、スーパーの中の産直コーナーという手もあるぞ。その前に外食か、自分でつくるか。ということもあるな。外食でも地域の食材をつかったレストランならいいのか。身の回りのものでいえば、服、自動車、家、電話、パソコン、エネルギー?
大きな買い物だと家か。ハウスメーカーさんの家だとほとんど地域にお金は循環せず外にいってしまう。地元工務店の家ならば、地域にお金がまわる。
ちょっとみなさん、考えてみましょうよ。そして、今日から行動してみましょうよ。

日曜日に3度目に観た「幸せの経済学」でもヘレナが最後に話す。「人の人とのつながり、自然と人のつながり」こそベーシックヒューマンニーズなのだ。と。
「つながり方」としてのお金の循環により着目していこうと思う。



自然と文明が調和した理想郷、山形のために


「自然と文明が調和した理想郷、山形」をめざす。と吉村山形県知事は今回の2月定例会の冒頭に述べられました。全く同感だし、意欲的な目標を良く掲げられたと評価しています。しかし、そのためには、超えていかねばならない壁があるということだと思います。改めて、真に持続可能といえる社会の倫理や常識。乗り越えるべき壁など、これまで余り注視していなかったところにも目を向けて、新しい判断基準に基づく基盤や経済をつくらねばならない時なのだと感じています。先日、福島・会津若松の会津自然エネルギー機構立ち上げのシンポジウムで末吉竹二郎さんの話に触れ、世界の金融はまさに持続可能な社会をつくるための投資に動いている。そして日本でも自然資本の持続可能な利用に貢献する「自然資本宣言」http://www.naturalcapitaldeclaration.org/wp-content/uploads/2012/06/natural_capital_declaration_jp.pdf
を100を超える金融機関で取り決めをしたということを伺い感動した。

311以降を生きる僕らは、持続不可能な社会を持続可能な社会へ変える、転換させる義務を負っていると思う。2万名もの犠牲を、そして今だに地元に戻れない10万人を超える福島県民の方々の境遇を、思い直さなければならない。さらには、にほんかわうそが絶滅し、更にうなぎが絶滅危惧種になっている日本の川、淡水資源を思う。今、山形では最上川の支流、最上小国川がダム開発の危機にさらされている。
エネルギーや自然資本との関わり方の常識や倫理を変えていかなければならない。
末吉さんが指摘した3流の政治からの脱却をはかるとともに、これから、力強く、

持続可能な社会かどうかを判断基準にする政治をやっていかねばならないと考える。

もう一度、そうした持続可能な社会を目指す自治体の羅針盤となっている「ナチュラルステップ」の持続可能な社会の定義をお伝えしたい。

デビッドブラウアーの最後の来日の際に、伝えていたのはナチュラルキャピタリズムと、当時ポールホーケンらがコミットしていたナチュラルステップだった。

http://www.thenaturalstep.org/ja/japan/system-conditions-japan


4つのシステム条件
持続可能性の基本原則
持続可能な社会では自然の中で
1. 地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない
2. 人間社会が作り出した物質の濃度が増え続けない
3. 物理的な方法で劣化しない
4. 人々が自らの基本的ニーズを満たそうとする行動を妨げる状況を作り出してはならない


ーーーーー
持続可能な社会を構築するためには
1. 地殻から掘り出した物質(重金属や化石燃料など)が蓄積していくことに加担しない
2. 人間社会で作り出した化学物質と物質(ダイオキシン、PCB、DDTなど)が蓄積していくことに加担しない
3. 自然や自然のプロセスの物理的な劣化や破壊に加担しない(森林の乱伐採や重要な野生の生息地を消滅させるなど)
4. 人々が自らの基本的なニーズを満たそうとする行動を妨げる状況を作り出すことに加担しない(不安定な労働条件や不十分な給料など)
ーーーーー




山形県議会2月定例会がはじまっています。


山形県議会2月定例会が2月20日からはじまっています。
3月19日までの期間です。

主な日程は以下のとおりです。

http://www.pref.yamagata.jp/ou/gikai/600006/publicfolder200908277420020714/201302teirei.html#nittei



311から何を学ぶか。庄内・鶴岡に何を活かすか。


1/27、大熊孝 新潟大学名誉教授、澤祥 鶴岡高専教授を招き、私の議会報告会 とシンポジウム311から学ぶ 庄内鶴岡の未来 を開催しました。
大熊先生には、「川とは 日本の川の現状とこれからの川とのつきあい方。」澤先生には、「鶴岡の津波対策」をお話いただきました。お二人ともこれまでの経験から最新の知見を交えた大変示唆に富んだお話をいただきました。
私は 冒頭でこの1年の議会報告をさせていただきました。
シンポジウムは羽黒山伏 星野文紘後援会長を交え、私が進行役となり山伏の自然との向き合い方と防災・自然とのつきあい方という軸で実に興味深い話になりました。
 http://www.youtube.com/watch?v=y0WXXwosM6Y に講演を
http://www.youtube.com/watch?v=wQac4eSVuwE ディスカッションを アップしました。

どうぞごらん下さい。

東日本大震災、被災地再訪


21日、22日と岩手県宮古市田老町、宮城県石巻市を訪れる。
田老町の世界一と称されていた防潮堤。10メートルの高さの堤防は圧巻だったが、311の津波はそれを乗り越えた。185名の命が失われている。新規につくった堤防は破壊されていた。
今後の計画を立てているところだそうだが、更に4m高い堤防をつくる予定だと住民から伺ってうーむ。と沈黙。今、こうした防潮堤が、福島県から岩手県北部まで全域にわたって修復もしくは新規で計画されている。
 
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120909/dst12090900300000-n1.htm 産経新聞では国は来年3月末までに、471地区のうち6割の299地区で着工を目指すが、これまでの着工距離は被災した総延長301キロのうちわずか14%だそうだ。

一体全体でいくらかかるのか。国土交通省東北地方整備局に問い合わせたが、担当は各県になっており把握していない。直轄事業だけはわかるが、、、とのこと。

その後、石巻へ。三遊亭京楽さんの落語会を企画しているopenjapan吉村氏、神戸以来被災支援を一緒に行っている徳恩寺さんらと合流。2000世帯の開成仮設住宅。
22日、午前中少しの間だったが、佑ホームクリニック、石巻医療園 健康・生活復興協議会 を訪問。事務局長 園田愛様、塩澤耕平様にお会いして、取組を取材させていただいた。
佑先生の取組は、被災地から、福祉介護と医療の連携をつくる先端の試み。園田さんから、「鶴岡といえば、ネットフォーユーの取組を先日取材させていただきました」と伺い。改めて鶴岡の医療連携を再評価。私も神戸での事を諸々意見交換させていただいた。

その後、京楽師匠らと東松島市の仮設住宅へ。

落語会の席でお手伝いをさせていただきながら、住民の方々から野蒜小、と浜市小学校の避難と被害の差をお話いただいた。
 体育館の中で洗濯機のようになってしまった悲劇と避難した住民に「校舎に土足で結構ですからどんどんはいって、3階に上がって」と校長が指示し、犠牲を出さなかった浜市小学校。「渡辺校長先生が「土足でいいからどんどん上にあがって!」の声は今でも焼き付いている。と語って下さった。
http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY201105090120.html
津波、地震の時に学校はどうするか。改めて問われる。

その後、改めて石巻社協を訪れ、阿部さん、大槻事務局長、森岡事務局次長らと意見交換。
在宅医療で有名な佐久市民病院の長先生が、石巻の医療チームに関わるとのこと。

先日訪れた「フェアトレード」は、大臣表彰を受賞しがんばっているようだし、
被災地からモデルをつくりだそうとしている石巻の医療介護ーNPO連携の今後に期待したいし、隣県から、なにかお役に立てれればと思う。
最後に久々に日本財団の黒沢さんを訪れ意見交換。石巻の災害NGOの立役者と言うべき人
山形県内の事なども含めて、諸々情報交換。
神戸から滞在しているのぶさんと一緒に、あいかわらず、がんばっておられた。







木材の漂着について。医療について 他


昨日は112号線の北改良の竣工祝賀会、その後、雇用関連の取材でハローワークへ。最近の動向を伺いました。ルネサス関連の300名の退職はやはりこの時期としては大きな数字とのこと。求人と求職とのバランスがなかなか合わないとのこと。等、諸々。
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●海岸漂着の木材について。 ニュースでも流れていますが、庄内浜に4から5メートル 直径30cmぐらいの木材が流れ着いています。
県によれば16日に合計32本。17日は合計114本。あわせて146本。

新潟では、「村上市吉浦の海岸から山形県鶴岡市の鼠ヶ関海岸までの約30キロ間で木材83本が漂着、沖合にも71本が漂流しているのを発見した。」とのこと。

いずれにしても漁船など船舶で障害のないように気をつけていただきたいと思います。

県担当には、新潟とも連携して、調査にあたられるよう連絡しました。

船からばらけた感じがするのですが、流出元が判明することを祈ります。これ、判明すれば流出元の改修義務。判明しないと漂着自治体の負担になります。

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本日、お問い合わせ頂き、所有している森林が許可なく伐採されているとの案件の相談をいただきました。施業計画の森林整備計画と、実際の所有地の地図にズレがある様子。1.5時間ぐらい情報交換し、庄内支庁に連絡。
森林所有者の境界については「明確化事業」に現在県も取り組んでいるとのこと。これ、今やることがとても大事な事業と改めて認識。
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●本日は鶴岡市医師会の新年会でした。新茶屋。鶴岡の抱える医療の諸問題。諸々先生方と意見交換できた貴重な機会でした。終末期医療の事。ノロウィルスの事。温泉療法の事。看護士不足の事。ネットフォーユーのこと。慶応と取り組んでいるメタボローム解析と健康診療のこと。(血液と尿をメタボローム解析 2800検体ぐらいやっている。)ふむふむ。明日に活かしましょう。



1.17に思う。


1.17、「神戸」から18年目。6434名の犠牲、そしてあの時からの教訓を活かせているか。改めて問われる日です。神戸は私の人生を変えました。3日間のつもりで救援に行った神戸。1月20日西宮。1月23日神戸。当時、3人で新神戸から4時間かけて御影公会堂まで歩いた、その惨状は目に焼き付いています。御影公会堂で、出会ったバウさん。そしてやりはじめた「神戸元気鍋」づくり。必死に鍋を作ってお椀を差し出すと、涙を流して喜んでくれたお年寄り達。で、3日後、「私は残ります」「はあ?」ということになり、結局当時働いていたらでぃっしゅぼーやを辞め、「神戸元気村」は私の仕事になったのでした。副代表としての3年間。バウさんと共に、被災地でゼロから1をつくる。これを真っ正面に据えて、ほとんど寝ることもパンツを替えることも忘れて動き続けた3週間。「太い今」という瞬間。多くの方々と交わした握手。そんなものが私自身を変えていったのだと改めて思います。
 とにかく今を完全燃焼させる。そこには過去も未来もありませんでした。とにかく「今」の連続だったのです。「草島進一」はそのとき、「会社員」から「市民活動家」に脱皮したのでした。

神戸元気村は、阪神淡路大震災後のボランティアの拠点としては最大規模。1番多い時には150名ものテント村を拠点に、被災者のニーズを踏まえ、時にニーズを先取りし、(時にはエラーもしたけどクリーンヒット連発も)2週間で得約30種類ぐるいのプロジェクトを同時におこなっていました。
神戸の人と一緒に生きよう。と、テント生活150日、その後、公園でのコンテナハウス暮らし1年半。ようやくアパート暮らしと思いきや、重油災害発生につき福井での国民宿舎生活4ヶ月、、、などという日々を送りながら、確実に新たしい文化をバウさん、まっちゃん、吉村夫妻、とーる氏、らと作り上げて行っていた。そのCC(カルチャークリエイティブ)といえばかっこいいか。そんな日々をちょっと思い出しました。
 バウさんは「これをやる。と思い切ればやれるもの」という信念の持ち主でした。人生は自ら開く。それを実践していらっしゃり、本当に多くの事を学ばせて頂きました。

 思えば、「草島進一」が社会に目を見開かされたのはこの18年前の1.17でありました。一つの笑顔をつくるために、お金の枠から完全に外れて、動き回っていました。

 全く自信なき、不良会社員だった私は、世にも珍しいボランティア団体の副代表という職業を生きることになったのでした。そこから、不思議な、そして運命的な出会いと絆がたくさん生まれました。今、その多くの方々に支えられ、今の僕があります。政治への志のベースの大きな一つはこの「神戸」にあります。