持続可能な鶴岡ブログ

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アースデイ、月山元気村始動。 


4月22日アースデイ
地球の日。

3月11日東日本大震災発生後、3月12日からの名取市、石巻市での救援活動を「鶴岡元気村」として展開してまいりました。
今後の活動について本日アースデイの4月22日、「月山元気村」として名称を改め、長期にわたり、山形、鶴岡を支援拠点とし、東北の真の復興のために活動する非営利組織として活動することを決定しました。現在理事会を調整中です。
 当面 は 「NGO 月山元気村」 として活動して参ります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


石巻支援活動4月20日 笑顔をつくる言霊


石巻。朝8時に県庁で待ち合わせて向かう。今回は、芸工大のM先生、元博報堂のK氏、カラオケサークル主宰のY氏ら4名。三遊亭京楽師匠の独演会の PAの支援と現状の把握が今回のミッション。交通はスムーズだった。会場の住吉中学校の体育館は避難所になっている場所。避難所の担当の行政職員は鳥取県職員の方2名と徳島から自治労職員の応援といった体制。鳥取県職員の一人はここで半月にわたって避難所に寝泊まりし、避難所運営に携わりその日に交代ということと伺った。この半月の時間は彼にとってきつかったろうが、彼自身にとっても、又鳥取県にとっても宝物の時間だ。改めて関西広域連合の行政マンたちの尽力ぶりに、拍手と、隣県の山形県も学ぶ必要性があることを実感。
  彼らとの調整をして事務所からもってきたスピーカーシステムをセッティング。その後、湊中、湊地域、などを視察する。がれきの危険地域の中のたっている湊中の武道館。ここははじめは泥とがれきで50CMぐらいは埋まっていたところ。そのがれきや泥を撤去し、今は床が徹底的に綺麗になっている。神戸元気村のメンバー、とーる代表の四万十塾が運営している湊食堂が毎日オープンしている。その日の炊きだしや中華丼。家やほとんど全ての財産を津波で流されてしまった方々。高齢の方も結構いらっしゃる。行ったその日の次の日は学校の始業式。22日は入学式と伺った。
 午後2時。住吉中にもどり落語独演会。2時半開演。この場所で炊きだしの活動を続けていらした横浜 徳恩寺の ゆうしんさんよりあいさつの後、三遊亭京楽師匠の登壇。約一時間独演会。避難所の中のそれぞれの生活の場所で聞き入る皆さん。遊んでいる子ども達、お休みになっているお年寄り。その場に居合わせた方々を惹きつけながら、表情豊かに落語がおこなわれた。日本伝統の落語の妙。改めて感服。
 終わると満場の拍手。その後、一人一人に京楽師匠がまわって握手してまわる。「とても良かったよ」「元気がでた」「ありがとう」と声がかかった。
  吉村氏とともに師匠を連れ周辺、門脇小学校を視察。まだまだ手つかずのところがたくさんあることを更に実感。師匠を東松島まで送る中で、神戸以来被災地支援に関わり続けている師匠と言霊で笑顔を生み出す落語の力、被災地支援のあり方、今回の被災地への思いなど諸々共有する。

その後石巻専修大学 石巻復興支援連絡会議へ。 静岡のまっちゃんら、また旧友たちに再会。昼に神戸以来ひさびさに再会した「団長」こと京都、大阪グループは問題を共有できる仲間が見つかるなどミーティングに参加して良かったとも。炊きだしの関係は、行政側が弁当に切り替える時期ということもあり今後の棲み分けが検討課題か。いずれにしても冷蔵保存できる冷蔵庫は必需品と感じた。仮設住宅に移る前の期間といえども数ヶ月はかかるだろう。
  今回ご一緒した4名。それぞれ現場で感じたことを今後どんなかたちにしていくか。帰りの車の中で、仮設住宅を木造でつくるユニットを開発している杉本先生に電話連絡。仮設住宅の建物や建て方には諸々諸課題がある。鉄製プレハブの仮設住宅は、快適性に先ず難がある。そしてほとんど使用した2年で使い捨てになっていたのが現状だ。今、被災者の雇用の問題は大きな課題。地元の雇用にもつながり、実際的に快適で、地域の資源である森林資源を活かし、使い捨てにならない仮設住宅。そのプロジェクトは大いに応援していきたいと共有。などなど。
   復興への道のりはこれからが勝負だ。
鶴岡着深夜1時すぎ。全然日帰り可能。隣県だからこそできることはまだまだある。
 
  



石巻から県内への2次避難


昨晩のニュースで石巻から60名の被災者を県内に受け入れる方針ということを目にし、本日県担当に連絡する。受け入れ先についてはどのようになっているのか。
今のところ上山を想定しているそうだが、まだ固まったわけではないそうだ。
庄内で受け入れる日はいつになるのか。
今後の受け入れの動向について、注目していきたいと思う。

あすは再び石巻。

大船渡市の解体作業に拍手


おはようございます。今、つじ立ちに行く直前のNHK映像。大船渡市で、半壊、全壊家屋のがれき撤去作業を住民立ち会いの下で一つ一つ住民の大切なもの(アルバムや着物など)を掘り起こし確保しながらおこなっていた。
その分、時間がかかるが、これはとてもいいことだ。
  神戸元気村の際、僕らは「宝物探し隊」と名付けて、家屋のがれき撤去作業の前日などに家の中にはいり、住民の大切なアルバムなどを掘り起こし、確保した。それが一番ニーズがあった。神戸では更地にすることを急いだために、住民がわからない時にいきなり更地になって、全くタッチできない状況が続いていた。解体業者が貴重品を持ち出していたのではないかともいわれていた。知り合いのギターショップ経営者などは、大阪に避難している時に店が解体され、更地になっていて、貴重な楽器類を全て失って嘆いていた。
今回の大船渡市のように行政がそうした気持ちを汲みながら、住民立ち会いで行う事。これは被災地全てで心してやってほしいものだ。まずは、大船渡市の取り組みに拍手を送りたい。
宝物探し隊については、http://www.youtube.com/watch?v=vA7oFVZUCdw
をご覧下さい。29−30歳のころの僕の姿がご覧になれます。

原発問題。被災地の漁業の苦難。


朝八文字屋前、つじ立ちからスタート

ご支援いただいた皆様へのご挨拶回り。先週石巻に行った分、拍車をかけて。
午後、電話応対などをしながら国会をみていた。

野党の自民らのあげあしとりのような質問はなんなのだろう。この緊急時によくもこんな質問をするもんだとあきれた。更に東京電力のあいかわららず「ひとごと」のような発言にはものすごく腹がたった。人の命をなんだと思っているのか。廃炉になることを恐れて海水注入をためらったために、水素爆発をおこした。
津波規模の甘い想定。そして事故後の杜撰な対応。水素爆発についても即官邸にも通知しない隠蔽体質。
総じて東電の責任は重い。先ずは国民に徹底して謝罪すべき。そして今回の事故の賠償責任を徹底してとるべきだ。そして今後のエネルギー政策として、原発にかけ続けてきた開発費用を自然エネルギーに掛け替え、脱原発すべきだ。
 それと「エネルギー懇談会」やCMなど、これ以上原発推進プロパガンダに税金を投入することをやめるべきだ。もう安全神話は完全に崩れた。みんなでそれこそ 発想の転換をすべきだ。

東電、16兆円の資産で、政治献金はないだと。本当なのだろうか。
これだけの事故にしてこの淡々とした姿勢とは、、、、
この原発災害を教訓に、上関原発建設中止は当然。浜岡原発の停止も真剣に考えるべきだ。

以前にもブログに書いたが、「持続可能な社会」には原子力発電という選択肢はない。
1)地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けない
2)人間がつくりだした物質の濃度が増え続けない
3)自然が物理的に劣化しない。
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げない

この4つの持続可能な社会のフレームワーク、全てに違反しているのが原子力発電だからだ。

原発然り、巨大ダム然り、もう国民に「幻想」を抱かせて利権構造にしがみつく、日本の政治の慣習を改めるときだ。



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クロゲン 漁業者の課題。興味深くみさせていただいた。
 魚探、オーダーメイドの漁網、
水産業を支える川上から川下までの業界が全てダメージを受けている。
船は全国7割、43隻 大型のサンマ船が被災した。

NHKニュースより。
山形県 宮城県石巻市から60名の受け入れを発表した。21日から具体的にはじまるそうだ。
どこの旅館やホテルに受け入れということになるのか。庄内への受け入れはあるのか。気になるところ。明日チェックしよう。

鶴岡公園は本日開花宣言。平年よりも5日遅いとのこと。

なんか雑記帳みたいになっていますが、、、





出羽三山の役割を再認識。町内会、、、


午前中、先般の選挙選へのお礼参りに出羽三山神社へ。神殿で玉串を捧げつつお参りさせていただいた。
関係者の歓待を受けつつ、今回の災害後の出羽三山神社の動きを伺うことができた。仙台などへの物資の支援の後、石巻周辺で被災した信者さんや神社関係者への支援のお話を伺うなかで、石巻をはじめ、宮城の信仰者が相当多いのだということに改めて気づかされた。女川で被災しつつ、懸命に支援活動などでがんばっている羽黒山伏の同士もいらっしゃるのだとか。 
  石巻をはじめ、今般の多くの方々が出羽三山を心のよりどころにしているのではないか。
 改めて出羽三山の役割の重要性を語り合う機会ともなった。

  午後からは地元道田町の町内会総会。災害に強い町にするには自助、共助、公助の充実が大事。
特に最近余震が続き、いつ停電になってもおかしくない状況にある。携帯ラジオ、懐中電灯、ろうそく、そして電源を確保するには、車にインバーター(4000円ぐらい)があるとパソコンをはじめいろいろ通常の電気器具が使えて便利。釈迦に説法の方々もいらっしゃると思いましたがそんなことをお伝えしたのと、昨年度から懸案になっている道田町の防災マップづくり、今年は必ずやりましょうということに。
 終わってパル前恒例のつじ立ち説法。何人もの方からガッツポーズや激励をいただいた。
 
  今後の活動をいかにおこなっていくか。 昼、晩と本日は2名の恩師とお話させていただいた。
新しい政治、そして被災地の真の復興を果たしていくためのとりくみ。最善策を展開していくためにも諸々熟考中。方針かたまり次第、このブログでもお知らせいたします。よろしくお願いします。


  

被災地へ大型冷蔵庫を。


14日の石巻復興支援会議でも提言したが、被災地で冷蔵庫が必要。
今、石巻ではボランティアの炊きだし隊が日々活動中。土日などに一発で食材をもってきて炊きだしを振る舞うチームはいいが、ある程度食材を保管し、日々炊きだしを継続的におこなうチームにとっては、食材を冷蔵保管しておける冷蔵庫が必要。
  これから避難所単位で必要な、インフラではないかと考えている。昨日現地入りされると伺っていた民主党 首藤議員にもその旨をお伝えする。

阪神淡路大震災の際、被災が1月。その後、「元気鍋」の炊きだしポイントを広げ、2月半ばぐらいから僕らは数カ所で一日七千食の炊きだしをおこなっていた。二ヶ月。4月のはじめまでは炊きだしを続けていたが、4月を超えてからは保健所も動き始めたこともあって炊きだしを辞めた経緯がある。
石巻でいうとガスなどが使えないために、あと最低一ヶ月は炊きだしが必要と思える。街の飲食店は一部は再会しているところもあってそれはうれしい限りだが、そこで食べることができる人の数は少ない。無料であたたかい食を提供できる炊きだしはまだまだ重要な救援策だ。
元気村でよびかけている「東北復興元気鍋プロジェクト」としても今後の継続的な食材の確保のルート、
それを保管する冷蔵庫などのインフラ、などを呼びかけ調整中。

冷蔵庫も、非電化型、雪室などの検討もありかとも思うが、とにかく迅速性が必要。食中毒患者をだしてからでは遅いのだ。

「被災地に冷蔵庫」を、 業務用のストッカータイプがいいのかもしれないとは思うが、避難所の避難民の多さにもよると考える。いずれにしても仮設住宅に移り住むまでの借用のものでいいのだと思う。
どなたか、心当たりがある方がいらっしゃったらメールstern8@mac.com  090-4388-3872 へご一報を


3月14日ー15日の石巻写真をアップ。



今回の石巻入りの写真をアップしました。どなたでも閲覧できます。
http://gallery.me.com/stern8#100026



石巻から戻り吉村県知事へ挨拶と提案す。


3月14日、つじ立ちを役所前で石巻へ。
途中、最上、NPOやまなみと日山山荘で取り組んでいる。1Day 温泉脱出作戦の現場へ。大露天風呂の後には結構な炊きだしも用意されていた。でもちょっと人が少なめ。残念ということで現地の状況を探ることに。
   日ぶりの石巻。3月19日に訪れた際には車なんてとても通れなかった橋から船やがれきが撤去されて通れるようになっていた。駅前の役所。当日から、罹災証明書の発行がはじまり、役所の中に長蛇の列ができていた。
 その後、渡波小学校へ。炊きだしを続けている青年海外協力隊チームに諸々伺う。避難所担当の石巻職員、北海道2名、鳥取県1名にお会いする。聞けば、避難所に寝袋で休んでいるとのこと。鳥取の場合、県と市町村職員が混成チームで派遣しているのだと伺った。それにより一緒に行ったチームでの交流もはじまり、戻ってからも職員間の交流がもてるのだという。
その後、NGOのベースキャンプへ。吉村氏、トール氏ら、おなじみのメンバーらと合流。専修大学 社協ボランティアセンターへ。20日に立ち上げたNGO連絡協議会は石巻災害復興支援委員会となり、毎日午後7時のミーティングは恒例。代表の伊藤さんの司会の下、冒頭で紹介を受け、県議への当選と今後の決意を述べる。街や民家の泥出しをおこなうマッドバスターズ、炊きだし隊、
リラクセーション、移送サービス、など、各チームからの活動報告の発表。課題などを共有。1点、炊きだし関連で、大分暖かくなってきて心配しているのが食中毒などの問題。冷蔵庫などがいるのではないかとのこと。
泥出し隊も感染症などの心配もでてくる。
それと最上町の温泉脱出作戦のバス。長期スタッフでリフレッシュ必要な人に利用を勧める。
本ミーティングの後に各テーマでのミーティング。その後 、ベースに戻り 就寝。

15日朝。午前7時にNGO ベースでのミーティング。渡波小。温泉行きバス。避難所スタッフの積極的な働きかけもあって39名2台で出発できた。その後、湊中学校。匠君らの炊きだし隊に合流。以前はどろとがれきだらけだったフロアを完璧に掃除されていた。なお、スタッフが掃除を続けていた。そこに湊中が母校で、鶴岡→石巻でずっと動き続けていた淳君が合流。  最近、この近所で被災した若手のみんなでバーベキューをやりながら話を聞くと、まずは仕事がなくて困っているという話がでていたとのこと。
  準備を若干手伝ってその後、市役所に。 市長に挨拶の後、市の人事担当者、二次避難対応の職員へ行き、話を伺う。人事担当者から伺えば、石巻市役所では職員が48名、行方不明、死亡という状況になっている。他、被災で家を失った職員も多い。ほとんどがフロアに寝泊まりしている状況。
   他県、他市町村からの派遣はとてもうれしい。現在20団体、250名ほどの方々に支援をいただいている。今現在も人手が足りない状況で、特に支所などの助けが必要だ と伺った。
   隣県である山形県からおこなうとすれば と伺い、担当のH氏へ直接連絡をいただければいくらでも要請させてたいただく とのこと。
   どうも伺ってみると、今、現地で活動している自治体の職員の皆さんは「宮城県から要請がないようだけれど、本当に現地にニーズがないのですか」と市に伺っていただき、人手不足に気がついたところから職員派遣が決定されているのだと伺った。要は積極的に現地に伺いをたてるか、それとも指示待ちをしているかの違いなのだと改めて気がついた。
   その後、大街道小の炊きだしの現場などを見てから 帰路。そして僕らは高速で山形県庁に向かった。

3時半。突然だったが面会の時間がとれた吉村山形県知事へ、県議会選挙当選のご挨拶。そして早速だが石巻の職員派遣の現状のリストとともに、山形からの派遣について提案した。その後、災害対策本部 危機管理課へ。人事課の派遣担当のA氏、総務部次長M氏とお会いし、資料をお見せしながら県職員の現地への派遣を提案した。
  石巻まで距離にして100キロ、時間にして2時間もあれば行ける距離。もっと隣県の山形から職員の派遣も積極的におこなえないものだろうか。確かに、県内にも避難所があり、その対応もしなければならないのはわかる。でも、被災地のめまぐるしくニーズが変わる避難所などの運営の経験を積んだ県職員の方々や自治体職員の方々が一人でも多くいることが、この山形の災害リスクを低くすることにつながるのだと僕は思っている。 できれば、山形県内からも一般ボランティアが行く主要な被災地に県職員もいるようなことができないだろうか。東北の復興をしっかりと支援していくための現場の情報をリサーチする役割を果たすし、現地にはいる県内ボランティアにとっても心強いのではないか。 
   と思うのだ。
担当の方には、石巻現地の人事担当のH氏の連絡先をお渡しし、まず連絡をとってほしいと伝えた。

その後帰路。8時半ごろ酒田の妻の実家へ。
  今後の2次避難の対応についても「積極性」が試されているように思う。

被災地の隣県の山形県人として、何をすべきか。が今、問われている。

とにかく最善の策をしっかりとやっていきましょう。僕もがんばります。









石巻等、被災地へいってきます。


おはようございます。

本日は、朝の会、市役所前、つじ立ち後、石巻等被災地へいってきます。
周辺調査と当初から動いてきたNGOのみんなとの情報交換。そして親類が被災された元芸工大教授のM先生との情報交換もあり、県政としての災害復興支援の課題、又、我が「鶴岡元気村」の今後の方策を考えるためにも現場へいってきます。本日深夜には一端戻ってくる予定。
連絡は090−4388−3872 草島

当選後、たくさんのメールや電話を頂きながら、まだお返事や連絡ができていない方もいらっしゃり、大変申し訳ございません。
戻り次第、ご連絡させていただきます。何卒よろしくお願いします。