新庄も大変だ。ー公共事業を問う。ー

新庄市の財政破綻寸前状況の話がテレビタックルにでていた。実質公債費比率30%オーバーはかなりきつい。そのきっかけはやはり新幹線を受け入れる駅周辺の整備事業などだろう。この新幹線だって「これをやれば駅前がうるおう」「観光客がどっとくる」
「最上川観光の起爆剤」などなど、いろいろ持ち上げられていたのだけれど、実際は、新幹線で新庄にいる人の商圏が拡大し、地元商店街で買い物をせず山形・仙台へ。ということになり、観光客はどうかといえばそんなに増えた訳ではない。そして建設時にかけた起債の償還が重しになる。、、。などということになる。
こうした事は箱ものや道路、そしてダム事業など、大型公共事業にはつきものの話だ。真に市民の望むものなのか、ただ「箱もの」をつくりたいひとにぎりの人のための事業なのか。改めて突きつけなくてはいけない。
つくる前の幻想と、負担を強いられる現実がどれだけギャップがあるのか。そこのところをきちんと事前に説明していないといけない。道路についても、つくれば維持費がかかる。ダムだって、たとえば月山ダムなんかは年間維持費が8億円弱かかっている。そうしたことがなかなか表にでない。
県の発表だが、道路暫定税率廃止によって、318億円の税収が減るという。本当かなあ?分析が必要だと思う。
旧図書館の再活用ー解体していいのか?
朝日新聞山形版1月20日(日)より。
旧鶴岡図書館 どう再活用
藤沢周平も通ったといわれる旧鶴岡図書館。解体へ向けて準備作業も始まった=鶴岡公園で天井の飾り、半円形の入り口に大正モダンの薫りがする
1925年完成、大正モダンを今に伝える
●藤沢周平記念館建設でまもなく解体
鶴岡公園に建設される藤沢周平記念館のため、公園内にある旧鶴岡図書館の建物がまもなく解体される。目立たない木造建築だが、1925(大正14)年に完成した歴史ある建物。戦前、近くの旧制鶴岡中学(現・鶴岡南高)夜間部に学んだ藤沢周平も通ったといわれる。市教委は建物の部材などを保存、活用できないかどうか検討する。(清水弟)
「鶴岡市史」によると旧鶴岡図書館は木造平屋建てで、面積は32坪(約100平方メートル)。工費4745円で建設された。建設の前年に羽越線が全面開通し、鶴岡市制がスタートするなど政治、経済、文化の転機となった時期と重なる。図書館は、物産陳列所として建てられ、現在も郷土出身の人物資料が展示されている「大宝館」(1915年建設)の中にあったが、大宝館が手狭になったため、裏手に新築された。
旧鶴岡図書館は、大宝館と廊下でつながっていた。南側に男子閲覧室が約53平方メートルあり、女子閲覧室は北西側にわずか10平方メートルだけだった。
市文化財保護審議会委員で建築家の鎌田悌治さんによると、玄関ホールや男子閲覧室は赤松の板が張られた。軒先の瓦の文様も珍しく、大正モダンの薫りがある。
「半生の記」に藤沢周平は「一番うれしかったのは、鶴岡公園にある市の図書館に連れて行ってもらったことだ」と書いていて、時期的に旧鶴岡図書館のことらしい。
戦時中、物産を陳列できなくなった大宝館に図書館を移し、建物には東北の部隊が入った。戦後の51年から88年までは、大宝館が市立図書館となり、旧鶴岡図書館は書庫や公園管理事務所として利用された。
鶴岡には、1881年に造られた旧西田川郡役所、1896年に建てられた旧風間家住宅、1903年建築の鶴岡カトリック教会など国指定重要文化財の明治建築が多く残っているため、大正建築はあまり重視されてこなかった。
旧鶴岡図書館は設計者の名前もわからないが、窓ガラスは気泡入りで、変わったデザインの瓦や独特の柱材などが建設当時の様式を伝えている。市教委は25日、建設業者や鎌田さんも交えて現場で検討会を開く。保存すべき部材の選定など、解体作業の進め方を詰めることにしている。
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→この旧図書館については、以前も指摘した。
12月議会の討論の際もこの建物の移築や保存を提言している。大正14年建造。ハーフティンバー方式の屋根ぐみ。この記事によれば、藤沢周平さんも通われたゆかりの図書館ということである。
昨日もいろいろな人に「あげだ建物あの辺の景色さ、あうもんだがのぅ」とか、「あの大正の建物、なんとが残さいねもんだがのぅ」とかと言われた。それと「まだ、釣りバカ会館みでぇに、誰もわがんねぇ内に話し進めやがって、色々意見あるだろうにのぅ」という声をいろいろと頂いた。
おまけに審議会が「議事録もとってないから出せない」という状態であって、今まで途中でのパブリックコメントなどもとらなかった。こんなやり方で本当にいいのか。
確かにプロの視点というのは必要だとは思う。でも14万市民の税金を使ってやる公共事業だ。これがひとにぎりの人だけしか関われないでつくるというのはいかがなものか。まずは、この大正時代の歴史的建造物の解体。そしていろいろ理由づけされているけれど、なんとなくモダンな藤沢周平記念館。場所の事についても、いろいろ、ご意見を求めたい。
http://www.gassan.jp にキャンペーンページをつくりました。皆さんアクセスを。
宝谷カブ入りの寒たら汁

タラとみその味とほろにがいカブが絶妙のマッチング。美味かった。お箸いりで失礼。
寒ダラ祭り名物が一つ増えた。このカブを一時は一人きりで種を守り育て続けてきた畑山さんも会場にいらして満面の笑顔だった。
タラを扱う魚職人と畑の職人の生き生きとした寒ダラ祭り。なんともいえない豊かさを感じたひとときだった。
他、無添加のかまぼこを扱う滝川さんや、無添加無着色筋子を「海の赤いルビー」と称して販売する本間さん。有機無農薬米の餅をふるまう小野寺さんら、力強いオーガニックな食文化を営む皆さんにお会いした。食の都・鶴岡。ここにもあり。
その後、6小新年会 森と水 「森林文化都市構想」野堀先生の話を聞きにいく。
宝谷カブ入りのタラ汁。

旧櫛引町 在来作物の宝谷カブのはいった寒タラ汁が初お目見えした。昔はよくこのカブ入りのタラ汁を食べたそうだ。それが銀座通りに復活。これはとても意味がある。
鶴岡・寒だら祭り。

恒例の寒ダラ祭り。雪が降って結構寒かってけれど、なかなかの大盛況。まずは魚河岸青年組合の正当派タラ汁を。美味い!
アートフォーラム陶芸研修。

いってやってみました。さて、どう仕上がるか。今日は午後7時から国際村 食の安全についての講演会があり出席予定です。雪結構ふってますね。積もりそうですが、みなさん
交通安全お気をつけて。
阪神淡路大震災から13年。

阪神淡路大震災から13年。
5時46分。阪神淡路大震災から13年。6434人の犠牲。
現地にシンクロしてsolaiでろうそくに火をつけ、黙祷。
中越沖地震から半年。
そして僕がこの鶴岡にもどってきて10年。
今、神戸を活かせているか。6434人の犠牲から僕らは何を学び、何を今、活かせているか。改めて問われる。
中越地震、能登、中越沖、当時の経験を生かそうと動いた。確実に被災地にむけ、ボランティアは動くようになった。ボランティアセンターも早期にたちあがるようにもなった。でも、避難所に雑魚寝の状況はあの13年前の当時のまんまだった。僕らはテントプロジェクトをこの3地域で展開した。一瞬のうちにがれきの山と化す都市で、まず、がれきにはさまって身動きがとれない人がいる。火事がおきる。水がなくなる、食料がなくなる。そして寝るところに困る。暖もとれない。そのときに、どうするか。
平等が原則の行政にはできないことがたくさんある。
あのとき、何もマニュアルなんかなかった。一人でも命を助け、一つでも笑顔をつくりたい。そんな想いでつくるあったかい炊き出し。携帯コンロの配布。テント、無料の床屋、調査隊、包丁の提供、鍋集め、市民のアイデアを次々と行動をし、0から1をつくっていた。あの日の事を思い出す。
とにかく心一つで動いて、笑顔と感激の涙を被災者の方とお互い共有できた瞬間。希望が一つ、一つ生まれていった。後ろを振り返っても何もならない。今という時をただ、生きる事で精一杯だった。そして次々と新しい仲間と自分の力を得ていった。
3日のつもりが3年。都会のど真ん中の灘区、石屋川公園にテント生活150日、スーパーハウスに1年半。神戸の人たちと一緒に炊き出しを食べ、携帯をいつも耳にあて、はじめの2週間はほとんど寝た記憶がない。今思えば、ホームレス状態だったな。
でも僕は神戸から新しい力と生き方をいただいて、今、それを故郷に活かそうと、鶴岡にいる。
暮らしの中で何が大事なのか、希望をつくるには何が大切なのか。
被災地だって、日常だって、同じだ。日常といったって、自殺3万人の日本だ。
問題解決のために、この地域に希望をつくるために、
「神戸」を活かすために、6434名の命の犠牲に向き合うためにも、力を尽くそう。
金がまんなかの社会を、愛をまんなかに変えて、市民が0から1をつくる。
カルチャークリエイティブ。(CC)
ボランティアやNPO、NGO、市民の新しい文化をもっともっと花開かせよう。
動けば変わる。動き出したら、世界中に仲間がいる。つながる。元気になる。
この新しい文化をもっともっと。
さあ、今日も一歩前進しよう。
草島進一 2008.1.17 5:46
paint my heart red keith jarret ーーーーThe Rainbow Lotus を聴きつつ。
当時つくっていたWEBを再公開しました。http://www.gassan.jp

雪の鶴岡 除雪パトロールに同行。

昨晩原稿書きをしていてうとうと眠り、朝3時半。目が覚め外を見ると大雪。いい機会なので役所・除雪対策本部へ。土木課長のパトロールの車に同行す。3時代から稼働し除雪車で見事に除雪した現場。ちょっと雑かなと思える現場。この時間にしてはあまりすすんでいないと思えるような現場。1時間半ほど巡回に同行して本部にもどる。業者によっては、上手、下手がある。除雪車が故障したり、時にはパンクすることもある。通勤、通学時間までいかに対処するかの勝負。道路の除雪、やる側の苦労というものを実感した。
今日から明日にかけて、大雪になりそうだ。除雪車による除雪、そしてそれによる雪の壁を取り去るための市民一人一人の除雪。雪国らしい暮らしがようやくはじまるなあ。
