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阪神淡路大震災から13年。



阪神淡路大震災から13年。
5時46分。阪神淡路大震災から13年。6434人の犠牲。
現地にシンクロしてsolaiでろうそくに火をつけ、黙祷。
中越沖地震から半年。
そして僕がこの鶴岡にもどってきて10年。

今、神戸を活かせているか。6434人の犠牲から僕らは何を学び、何を今、活かせているか。改めて問われる。
 中越地震、能登、中越沖、当時の経験を生かそうと動いた。確実に被災地にむけ、ボランティアは動くようになった。ボランティアセンターも早期にたちあがるようにもなった。でも、避難所に雑魚寝の状況はあの13年前の当時のまんまだった。僕らはテントプロジェクトをこの3地域で展開した。一瞬のうちにがれきの山と化す都市で、まず、がれきにはさまって身動きがとれない人がいる。火事がおきる。水がなくなる、食料がなくなる。そして寝るところに困る。暖もとれない。そのときに、どうするか。
 平等が原則の行政にはできないことがたくさんある。

 あのとき、何もマニュアルなんかなかった。一人でも命を助け、一つでも笑顔をつくりたい。そんな想いでつくるあったかい炊き出し。携帯コンロの配布。テント、無料の床屋、調査隊、包丁の提供、鍋集め、市民のアイデアを次々と行動をし、0から1をつくっていた。あの日の事を思い出す。
 とにかく心一つで動いて、笑顔と感激の涙を被災者の方とお互い共有できた瞬間。希望が一つ、一つ生まれていった。後ろを振り返っても何もならない。今という時をただ、生きる事で精一杯だった。そして次々と新しい仲間と自分の力を得ていった。
3日のつもりが3年。都会のど真ん中の灘区、石屋川公園にテント生活150日、スーパーハウスに1年半。神戸の人たちと一緒に炊き出しを食べ、携帯をいつも耳にあて、はじめの2週間はほとんど寝た記憶がない。今思えば、ホームレス状態だったな。
 でも僕は神戸から新しい力と生き方をいただいて、今、それを故郷に活かそうと、鶴岡にいる。

暮らしの中で何が大事なのか、希望をつくるには何が大切なのか。

被災地だって、日常だって、同じだ。日常といったって、自殺3万人の日本だ。
問題解決のために、この地域に希望をつくるために、
「神戸」を活かすために、6434名の命の犠牲に向き合うためにも、力を尽くそう。

金がまんなかの社会を、愛をまんなかに変えて、市民が0から1をつくる。
カルチャークリエイティブ。(CC)

ボランティアやNPO、NGO、市民の新しい文化をもっともっと花開かせよう。 

動けば変わる。動き出したら、世界中に仲間がいる。つながる。元気になる。

この新しい文化をもっともっと。

さあ、今日も一歩前進しよう。

草島進一 2008.1.17 5:46
 
paint my heart red keith jarret ーーーーThe Rainbow Lotus を聴きつつ。

当時つくっていたWEBを再公開しました。http://www.gassan.jp