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訓練された無能力。


ちょっとおもしろいコラム(毎日新聞6月19日 余録より抜粋)

「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」とは杓子の柄を定規に使うことだが、何がいけないかというと昔の杓子の柄は曲がっていたのだ。今はお役所仕事などの融通のきかないさまを表す言葉となったが、定規の狂いのせいで、払った保険料を払ってないといわれては国民はたまらない▲行政学者らにいわせると、役人の杓子定規とは「訓練された無能力」のことだという。いったん身につけた原則にこだわり続け、新たな状況の変化に対応できない役人にありがちな行動パターンを、米国の社会学者マートンがそう言い表したのだーーーー▲役人をめぐるマートンの指摘には「目標の転移」というのもある。こちらは規則通り仕事をすることが自己目的化し、公衆への奉仕という本来の目標が見失われることを指す。ーーーー


同感。「訓練された無能力」。僕が最も忌み嫌うものだ。こういう姿勢がみれると、怒りがわいてくる。皆さんもそうでしょう?
鶴岡市行政も段々と、そう指摘されないようにしてほしいものですな。(笑)