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【能登半島地震支援】鶴岡の寒だら汁鍋で元気に!他PJ


【能登半島地震支援】2024.1.1〜 Timeline


●鶴岡市議会3月議会(2/27)に日本版FEMA(緊急対策庁)を求める意見書案提出! 又、3/1は草島が関連質問します。

     日本版FEMAを求める意見書案

【能登半島地震支援第2弾】2月20日出発、21日、輪島市重蔵神社で焼きそばと玉こんの炊き出し

鶴岡から5名が行き、焼きそば218食。肉と野菜を秋野さんが上手に調整。他、焼き肉も60食提供出来ました。
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2月1日、能登半島地震から1ヶ月、8500人の避難者。関連死を防ぎましょう!


▽2/1、NPO鶴岡災害ボランティアネットワーク メンバー4人で次を協議しました。「宝物探し隊」もニーズは高いとは思うが、リスクマネジメントに課題。やはり鶴岡の美味しい食文化 炊き出しか。次は庄内風芋煮かなー。2月中旬頃を予定。僕自身は議会日程がはいってくるのでとても厳しくなる。更に協議を進めていきます。
▽2/1 北茨木市の行政、観光ご担当者より、1月31日珠洲市の3箇所の避難所で12000食のあんこう鍋の炊き出しができました!とのご報告をいただきました。
1月12日の報道をご覧になってお問い合わせをいただき、現地情報などをお伝えしていました。良かったです。


能登の珠洲市の被災者を、鶴岡名物、寒だら鍋で元気に!】プロジェクト!
 

主催:NPO鶴岡災害ボランティアネットワーク 
協力:一般社団法人 OPENJAPAN


1月5日午後5時より「鶴岡災害ボランティアネットワーク」の理事みんなで今般の能登沖地震の支援について、珠洲市の現地に1月5に入った千川原君と音声をつなぎ「現地の状況と鶴岡から何ができるか?」を協議。結果、「食文化創造都市の鶴岡らしい炊き出し」をやろう!ということに決定!

 食材、機材を集め、1月11日午後1時出発! 高岡市に1泊 12日当日午前4時高岡市ホテル出発 珠洲市現地9時着 準備して正午。寒だら鍋の炊き出しをおこないました。

能登の珠洲市の被災者を、鶴岡の寒だら鍋で元気に!

1月15日、報告会をおこないました。「炊き出しは、当面能登のトップニーズ!


ZOOM映像より。

1月12日 鍋が珠洲市民の笑顔を作りました‼ 
ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました!



 


1月12日の道中、炊き出し準備、炊き出し模様など一連の全編記録映像です。早回し1時間強。今後の支援の参考になれば幸いです。

1月16日、TUYで報告会について報道されました。
1月12日「ひるおび」で全国中継されました。
1月11日、出発の際の模様が山形県内TV報道されました。
ありがとうございます。

1月10日さくらんぼテレビ) https://news.yahoo.co.jp/articles/d882a49c3137708de945f66ddf3a870d34b6af3e (NHK) https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20240111/6020019485.html (1月11日さくらんぼテレビ) https://news.yahoo.co.jp/articles/beac3bd90c4fb95b1d77b9389d311f8d718c9862 (1月11日テレビユー山形) https://news.yahoo.co.jp/articles/80611c1ccc922eb86f71a6385804f610badfed74 (山形テレビ) https://news.yahoo.co.jp/articles/4731974915934507c5e62130a436899afce4bb2b (山形放送) https://news.ntv.co.jp/n/ybc/category/society/yb51761867309f4035a8112a86581f2dfc



1月11日、出発しました!

1月10日、最終ミーティング


●【避難所の風景を変えましょう!テント、ベッドをならべるには】5年前、避難所避難生活学会の出版記念会での草島プレゼン

●神戸からはじまった、避難所支援。進化できてるか?


●企画

2024.1.11〜1.13 (ver.4 1.10 12:00更新)    

●炊き出し予定場所が珠洲市緑丘中学校に決定しました。
●珠洲市避難者のほとんどは、未だ冷たいおにぎりしか食べていないとのこと。炊き出しは今、最大のニーズです。(OPENJAPAN木村1/10確認)
●白山のだだちゃ豆農家「よそべい」さんから自家製味噌(製品)をご提供頂きました!

ミッション 

激震と津波で最も甚大な被害で、庄内の魚文化で関係がある珠洲市で、鶴岡ならではの鱈汁鍋炊き出しをおこない、被災者の笑顔をつくり、元気にする。

 

主催 NPO鶴岡災害ボランティアネットワーク 代表 村井勢一 

協力団体 鶴岡社協ボランティアセンター
庄内浜文化伝道師 有志
庄内青果市場 元青果 丸果
山王通り商店街
與惣兵衛(よそべい)
NGOウェザーハート災害福祉事務所
一般社団法人 OPENJAPAN 
NGOピースボート災害支援センター

●炊き出し・チームメンバー(1/8更新)

小川豊美(とよみ管理栄養士事務所代表 栄養師)
巖見孝明(車販売 他 巌 経営者)
粕谷政雄(鶴岡災害ボランティアネットワーク理事) 
佐藤薫  (鶴岡災害ボランティアネットワーク理事)
草島進一(鶴岡災害ボランティアネットワーク理事)鶴岡市議 

●日程  炊き出し場所:珠洲市緑が丘中学校 に決定!
1月9日(火) 青果市場 野菜受け取り 9時
   17時〜
 とよみ管理栄養士事務所 オープンハウス奏に搬入。カット全て終了
 山形県鶴岡市藤沢字石渡15-13
1月10日(水)
      午前9時まで、野菜とよみに取りに行く。他野菜は11日まで遠藤さん冷蔵庫 
   午後 13時〜 機材、材料積み込み ●ガス●山王●買い出し
   午後5時 全体ミーティング @ニコフル2F 鶴岡社協ボランティアセンター
        ZOOMも設定 
1月11日(木)  ●午前中 ●野菜ピックアップ ●鱈 加工 ●一部買いだし
   12時30分市役所玄関前集合 最終点検 調整 出発式
   午後1時 市役所発  
   夜7時ぐらい 富山県高岡市 ホテル着 アパホテル高岡 丸の内(5名)
                      

1月12日(金) 早朝4時から、石川県珠洲市に向かう。能登町で OPENJAPAN木村とーる氏、鈴木たくみ氏らと合流。
午前9時珠洲市緑丘中学校到着
昼食にあわせて、珠洲市の避難所(珠洲市緑丘中学校) で500食の炊き出しをおこなう。

(避難所の調整は、5日現地入りの千川原、ピースボート大塩)
●午後3時 珠洲市役所の避難所(80名)に100食を提供 3Fキッズスペースにダンボールベッドを設置。
●午後5時半 珠洲市社協スタッフ に50食を提供。社協の女性用にダンボールベッドを設置

終了次第 富山県高岡市へ。 ホテル着 スマイルホテル高岡 駅前(5名)
1月13日(土) 富山県高岡市 ホテル→ 鶴岡に帰路

 


プロジェクトへのご支援、ご協力をよろしくお願いします。

口座は以下


ゆうちょ銀行

858 普通 988572

ツルオカサイガイボランティアネットワーク

サイトウリュウキチ


荘内銀行 本店営業部

普通 1057821

鶴岡災害ボランティアネットワーク

理事 斎藤留吉


鶴岡災害ボランティアネットワーク 代表 村井勢一 

理事 草島進一

 


2024.1.17 阪神淡路大震災から29年に思う。
 

1.17 2024 あれから29年。

1995.1.23、神戸市 御影公会堂。野菜を持っていって、加わった炊き出しの現場、山田バウさんと、木村とーる氏に出会った。

炊き出しの器をもった目の前のお年寄りがポロポロ涙を浮かべて喜んで下さった。3日のつもりで、当時、らでぃっしゅぼーやなどを運営していた日本リサイクル運動市民の会 環ネットワーク(高見裕一代表)の社員で派遣されていた僕の中で、何かがハジけた。バウさんは、Faxと電話でフロンの回収のキャンペーンで全国行脚した時の日本中の知り合いに働きかけ、食材やテントなどが、石屋川公園に届きはじめていた。僕は3日後、「僕、ここに残ります」と一緒にきた会社のメンバーに告げ、その晩は、御影公会堂の客席で寝袋で寝た。次の日からはモンベルのムーンライトを3張りたてて、寝泊まりし、神戸元気村と名乗りはじめた。

「バウさんて、何のこと?」とバウさんに尋ねたら、「わし、カヌーやるんやわ、」と一言。僕は当時、長良川河口堰反対運動の仲間たちと一緒に毎週末にフォールディングカヤックで川旅することを楽しんでいた。1994年の9月には夏休みに1週間の釧路川単独川旅を行っていた。バウさんは日本でカヌーの文化をひろめた先駆けだった。長瀞のある寄居で「Empty bottle」というカヌー塾を主催していた。
で、「んじゃ僕、スターンてことにしようかな」とバウさんに告げた。それから全てがはじまった。

 被災者の方々と一緒につくる、元気鍋は、料理隊長木村とーるが中心となり、山形の大鍋を元気村のフロントにでんと構え、1日7000食の提供を続けた。松山ユースホステルへの脱出作戦、更地になる前に大事なモノを掘り起こす宝物探し隊。元気村ライブ。他、一か月の間に30以上のプロジェクトを立ち上げた。バウさんの発想をカタチにする0→1の日々だった。拠点の石屋川公園は、最大200名がテントに宿泊するボランティア村となっていた。朝日新聞の外岡秀俊さんが時々いらして、AERAで「ボランティア元年」と大特集を組んで下さった。

 私は会社を辞め、「神戸元気村」の副代表になった。

 その後、松山文紀氏 木名瀬 がってん氏、吉村誠司氏、らが加わり、仮設住宅の孤独死防止のためのベルボックス。お米で被災地と全国を結び続ける3Rice神戸、などを展開。
 畳6畳で2号線に向けてはじめた元気村ライブには、岡野弘幹、妹尾隆一郎、天野SHO さん他連日登場、時にはフレディマクレガーが来たり。2月22日には小学校で大規模ライブ。その後、ワールド記念ホールで高校生6000人招待し、ハービーハンコックらによるRainbowLotus コンサートを開催。(関連https://jazztokyo.org/column/inaoka/post-62348/

 1997年バウさんが最初に現地入りした福井三国の日本海重油災害では初の社協とNGO連携の災害ボランティアセンターの立ち上げと私はインターネット「Save the coast!」での発信に力をいれ福井県三国と石川県加賀市現地の現場とインターネット発信基地で4ヶ月活動した。竹村純二氏と出会った。

 バウさんは、被災地支援の他に地雷撤去など平和運動にも力をいれ、OPENJAPAN というMLで発信しはじめた。

 中越地震では、そのMLで全国によびかけ、プライバシー確保のため、700張りのテントを集め提供するプロジェクトを行ない、私は中越元気村を運営した。東日本大震災では3/19に石巻でNPO社協連携会議を立ち上げ、石巻に支援ベース基地を設けて活動。肥田ひーさー氏、鈴木たくみ氏、鈴木よしこ氏が加わる。その後、吉澤武彦氏がカーシェアリングに力をいれ、カーシェアリング協会を立ち上げる。

 その後、今のOPENJAPAN として地震や水害での活動に至っている。

 現在、能登半島地震直後から現地いりした吉村誠司氏(ヒューマンシールド神戸)、木村トール氏、木瀬がってん氏、肥田ひーさー氏、鈴木たくみ氏、鈴木よしこ氏がOPEN JAPAN 緊急支援プロジェクトとして現地で活動。吉澤武彦氏が15日から車の無償貸し出しを和倉温泉を拠点にはじめた。松山文紀氏は震災をつなぐネットワークで活躍中だ。

神戸から29年。今の行動が問われる。みんなも、僕も。