持続可能な鶴岡ブログ

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中越の今。


19日の晩に車をとばし、中越へ。副代表のみんなと一緒に小千谷市長と会って今後の相談をする。その後、建て起こしプロジェクトの長谷川、熊野さんらと依頼主のところへ。建ておこしも建て直すよりは安いといっても数百万円の金がかかる。今、被災地は住宅再建の問題で頭をかかえている。義援金がどれだけもらえるのか。行政サイドの住宅再建支援でどれだけカバーできるのか。いずれにしても50代、60代のご夫婦が1千万円近くの住宅再建にかかるには相当のエネルギーが必要だ。
 震災からもうじき半年。仮設住宅支援、中山間地の復興、心のケア。ボランティアに何ができるのか。被災地と外をどのようにしてつなぎ続けるのか。これからが正念場だ。

 今朝、新聞で岡本太郎氏の養女で、岡本太郎記念館館長の岡本敏子さんの訃報を知る。敏子さんにはじめてお会いしたのは鎌田東二先生が主宰されている東京自由大学のフォーラム。打ち上げの会で鎌田先生にご紹介いただき、月山の麓の地下水の話をしたら、「水は大事よ。がんばんなさいよ」と大きな励ましの言葉を頂戴したのを覚えている。その後、数回お会いしたが、最後は羽黒の「ギャラリーまつ」での講演だった。「ここにきたとき、太郎さんはじっと動かないの、そしてパチパチとシャッターをきるの。もうね、夢中でねえ」と今にもそこに岡本太郎氏がいるように生き生きと話す姿。 そして、「ここはいいところよねえ、みなさん誇りをもたなきゃいけませんよ」と私たちに諭したり。そして、「メキシコにいって「明日への神話」という大壁画を発見した事をお話になり、どこか展示できるところはないかしらねえ、と、お話になったり。とにかく、今、この瞬間をまっすぐに生きている人という感じの方だった。講演が終わって僕もずうずうしくもお茶を一緒する機会をあずかったが、そうそう、なんの話から発展したのだったか、そのとき敏子さんに、「オオサンショウウオをみたいわね」といわれて今度メールで送りますといってオオサンショウウオがみれる動物園について送ったんだった。あの後、メールはもどってこなかったけれど、敏子さんは御覧になったのだろうか。ああ、また惜しい方を失った。

岡本太郎氏は、湯殿山のご神体について、非常に感動したという手記をのこしている。今年湯殿山開山1400年。

今を生きる。岡本太郎氏の、そして、敏子さんの遺志をみんなで継がねば。