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立憲主義、民主主義 平和主義の破壊を許さない。


安倍政権の暴挙。この9月17日の委員会強行採決の暴挙とともに、18日の国会での言論封殺19日の採決までの事。絶対に忘れてはいけないと思う。私も路上で連日違憲立法するおかしさ、恥ずかしさを訴え続けてきた。

まず17日の委員会では大体20名の委員会の外の自民党議員と自民党議員の秘書らが委員内に乱入。委員長を取り囲み、自民党の議員が動議を読み上げ、立ったり座ったりし、何を語っているかもわからないまま、乱闘騒ぎの内に採決にいたった。議事録には記されていない。そしてこの間おこなってきた中央、地方公聴会の報告も、締めくくり総括質疑もおこなわれず仕舞いだった。

言論の府というべき国会、良識の府といわれる参議院が自民与党の「かまくら」戦略の暴力の場に変わった。とんでもない話である。その後、本会議では、総理大臣や委員長などの不信任決議に対しての討論。驚いたのは参議院の討論が動議により15分に制限されたこと。その時間に及ぶと「ルールを守れ」のヤジの大合唱。ルール!? 違憲立法を成立させようとしている議員らのほうがよっぽどルール違反だ。中継を観ながら僕は「ルール違反というなら憲法違反をやめろ」と思わず動画にコメントした。最終討論での福山哲朗氏の討論は秀逸。そして討論も許されなかった山本太郎氏は牛歩の後、

「アメリカと経団連にコントロールされた政治はやめろ!
組織票がほしいか!ポジションがほしいか!誰のための政治をやってる!
外の声(国会前と裏で反対を叫ぶ人々)が聞こえないか!その声が聞こえないなら政治家なんてやめた方がいい!
違憲立法してまで自分が議員でいたいか!

と議席からヤジが飛ぶ中で壇上から訴えて投票した。

憲法違反の法律をつくることが如何にこの68年の歩みを破壊することになることかという重大性を賛成票を投じた議員達は感じていないだろうか。

感じていないでしょう。あの姿勢は。

そして、「国民はどうせ真実なんか理解しない、そしてどうせ半年も経てば忘れてくれるはずだ」と思っているに違いない。

とんでもなく国民は愚弄されているのだと思う。果たしてこんなことでいいのかということだ。

路上で何度も訴えてきたことだが、圧倒的多数の憲法学者と学識経験者はもとより、歴代の内閣法制局長官 が、衆参両委員会で安保法案は「違憲」だと表明し、参院での審議過程におい ては最高裁判所元長官が、明確に憲法違反の法案であると公表し、この法律は憲法違反であることは明々白々だ。

そして参議院までの質疑の間に、ホルムズ海峡の機雷の除去、米艦防護などの根拠というこの法律がそもそも何のためにつくられるかという、立法事実がことごとく崩れている。

 

安倍総理自民党は「積極的平和主義」といって平和のための軍事同盟の抑止力を掲げ、暴挙を続けている。

 

ここに日本国憲法前文をとりあげる。 ここに本来の積極的平和が示されている。

 

 日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

アベ政治の「積極的平和主義」は真逆である。憲法に縛られこれを遵守し守るべき義務を追うのは総理大臣や大臣、国会議員、官僚、公務員である。守るべき者たちがその秩序を破壊したとき、それはクーデターとして主権者である国民から非難されなければならない。


 我々主権者は、この憲法を守る義務はない。しかしながら、この前文に描かれた憲法理念を空文にせぬように努力する義務を負っている。国民個人の人権や自由を守り続けてきた憲法を破壊する暴挙に対して徹底抵抗し、権力者による暴力や専制による武力行使、人権侵害を絶対にくい止めないといけない。

 

9.18は憲法破壊 立憲主義、民主主義、平和主義の破壊がおこなわれた歴史的クーデターの日。絶対にわすれまい。そしてそれらを取り戻す。アベ政治の打倒と 憲法奪還へのスタートは切られた。

 

真の平和、持続可能社会のために。右でも左でもなく、前進あるのみだ。