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渡辺一雄先生のフィランソロピー論に自分の原点を省みる。


元、三菱セミコンダクターアメリカの社長 で、東大病院などの病院ボランティアなどを立ち上げた、渡辺一雄先生のお話を聴く機会を得た。

   企業戦士だった渡辺さんが、45歳の時、アメリカのダーラム市で、三菱セミコンダクターアメリカの社長として赴任していた際、はじめは、社会参加の意味がわからず、地元のNPOへの寄付にも感心がなく、ケチの日本の会社」というイメージでとらえられていたのだが、全米少年野球の大会で、急遽、スタジアムのまんなかで、アメリカ国家を独唱ことになった。緊張してなかなか歌にならない渡辺さんだったが、少年たちが、応援して歌い出し、スタジアム全体が歌い、大合唱になった。そこから、フィランソロピーや企業の社会参加、に目覚めた。と言う話を、とても生き生きと、実に当時の場を再現して話してくださった。「そのとき、ああ、俺は、今、生きている、うれしい。」という実感をもった」とまるで少年のようにお話してくださったのだった。

→ ネットでぐぐったら、渡辺さんご自身の手記にこうあった。
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   私自身もかつては営業の鬼と化していた時代があったが,四十五歳の時,三菱セミコンダクターアメリカの社長として米国ノースカロライナ州に転勤してから組織の中に生きる人間のあり方を考え,従来の行き方を転換した。しかも,最初はどのように会社人間から社会人間に転換してよいか分からなかったが偶然起こつたある事件で変わることができた.
  それは私の住んでいたダーラム市で少年野球大会に引き出され,突然,スタジアムでアメリカ国歌を独唱させられるはめになり,苦しいながらも歌いだしたら,スタジアムに参加していた全員が大声で歌いだし,大合唱になつた
それがテレビで放送されてから,ダーラム市民の私,及び私の会社に対する見る目が変わり,私共を心から友人として,かつ,企業市民として迎えてくれるようになった。その時分かったことは社会貢献とは金銭を寄付するだけでなく,市民活動に参加することだ。その結果は気持ちのよい感動が残るということであった。
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お話の中で、渡辺さんは、行政セクター、企業セクター、そして第3のセクターとしてのフィランソロピーセクター(ボランティアセクターとも)が必要ということを強調された。そして、寄付税制があってはじめてそのフィランソロピーセクターが強くなれるのだということ。そして日本はまだまだだということも付け加えていた。

   お話の中で、もうひとつ、このフィランソロピーセクターは、民間が公益のために社会貢献活動を非営利・非行政の立場から行動すること」を指し、行政をチェックしバランスをはかる市民オンプズマン(監視人)も重要な要素なのだということを強調されていた。要は、民主主義を成立させる事が公益であり、市民セクターの大きな役割なのだということにも触れておられ、大いに共感した。

    終わってから、「僕自身、まさに被災地の神戸で、生きているという実感を感じ、それが転機となったという事」や、「米国のNPOは、たとえ行政に反する市民運動をおこなう団体であっても、寄付控除がうけれる、」ということ。三菱電気というと、環境NGOの文化に感化され、新しい道を歩み出し、一昨年スウェーデン取材にご一緒した木内孝さんを思い出したということをお伝えすると、お仲間との事。ーーなどなどでしばし盛り上がった。

私自身、改めて僕の原点を省み、次を考えるひとときとなった。
自分の経験も、きちんと伝える必要がある。と感じた。

講演会開催のためにご尽力された皆様に感謝いたします。