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森林の保水力を巡る議論。


 ダム関係のMLで示された、有識者会議での森の保水力についての記事。
転記します。
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保水力は裸地以下? 実測値から再計算を
東京新聞2010.3.7

 「この事例の一次流出率、飽和雨量は、はげ山の裸地斜面の流出より大
きい出水をもたらす。 一般性を持つ定数ではないと思われる」
 二月八日に国交省内で開かれた「今後の治水対策のあり方に関する有識
者会議」。同会議委員で、森林と水をめぐる「森林水文学」に取り組
んできた鈴木雅一・東京大大学院教授は、説明資料の中で、国の最大流量
の計算方法に疑間を投げかけた。
 鈴木氏は、この計算方法の問題点を報じた本紙(一月十六日朝刊)も資
料として提出し、「報道のとおりとすると、過大な流量を推定している可
能性」があるとしている。
 国は一九八〇年に策定した「利根川工事実施基本計画」で、四七年九月
のカスリーン台風並みの雨(三日間で三一九ミリ)があった場合、八斗島に
最大毎秒二万二千立方メートルの水が流れると試算した。
 国交省は約五千平方キロメートルと広大な八斗島から上流部の五十四流域を、
すべて「一次流出率」を○・五で、「飽和雨量」を四八ミリで計算している。
いずれも流域の保水力を示す定数で、「貯留関数法」での最大流量計算
に利用される。 一次流出率は降った雨がすぐに川に流れる割合を示し、率
が大きいほど、すぐに流れ出る量は増える。
 飽和雨量は雨水を上壌に貯める能力を示しており、飽和雨量が小さけれ
ば、より多くの水が河道に流れ込む。
 鈴木氏は、最大流量の算出に使われた一次流出率が大きすぎ、飽和雨量
は小さすぎるのではないかという。
 根拠は自らの研究結果だ。鈴木氏は一九六〇年代から八〇年代まで、滋
賀県南部の裸地や森林で、降雨時にどれだけ水や土砂が出るかを調査・
分析している。鈴木氏が有識者会議に提出した資料から読み取れる裸地で
の一次流出率は〇・四程度。森林流域ではさらに小さい。
 国の計算方法では、八斗島上流部の森林などの保水力を、裸地以下とみ
なしていることになる。
鈴木氏は取材に対し、「一次流出率〇・五」は「国交省が告示している
土地利用形態ごとの流出係数(定数)と比べても大きい」とも指摘す
る。
 「特定都市河川浸水被害対策法施行規則」の別表によると、「山地」は
〇・三、「林地、耕地、原野」などは〇・二だ。
 これは中小河川の流量計算で使われる「合理式」での定数だが「街中
だけでなく、一般的な場所を想定している」(国交省流域治水室) 。
鈴木氏も「経験上、感覚的に合う数字だ」という。
 鈴木氏が有識者会議に提出した資料では、森林の保水力が一三〇ミリ
程度と読み取れる。「常識的に言っても、森林の飽和雨量は一三〇ミリ
以上であることが多い。それに比べて、(国が計算で使用した)定数は
低すぎる」と鈴木氏。
 その上で、「貯留関数法で流量を計算するという方法はいいのだが、
(計算上)こういう数値が出た場合は、常識的にどうかということを
考える必要がある」と、定数を見直し、最大流量を再計算する必要性を
指摘している。
 鈴木氏の指摘について、国交省は「(一次流出率や飽和雨量を含む)
五つの定数で総合的に計算している。(最大流量の計算で使用した)
流出計算モデルは近年の洪水流量においても再現性がある」と説明。
計算方法は適正であり、一九八二、九八両年の大雨時の水の流れ方に
照らしても問題はないとの立場だ。
 だが、三月五日の衆院国土交通委員会で、国交省の三日月大造
政務官は最大流量について「定め方そのものも合め、有識者会議で
議員ともども議論をし、新しい評価軸を定めていきたい」と明言した。
 前原誠司国交省も一日の衆院予算委員会で、最大流量に関連し
「前提条件すべてを見直していくことを、有識者会議の中で議論して
いただいている」と、有識者会議重視の姿勢を強調している。
 同会議委員が最大流量の計算に疑問を投げかけたことで、今後、
国が最大流量を計算した際のデータ公開や、最大流量の再計算実施を
求める声が高まりそうだ。

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森林の保水力は10年ぐらいまでから提示されていたのだが、なかなか表にでてきていなかった。
流量の計算、また、これが結局 ダムをつくる際の根拠となる基本高水を決める根拠となるのだが、
それがどうもあやしいということは、結構聞いていた。この記事は、よくぞ書いてくれた!という感じの記事。
最上小国川の上流部の森林もずいぶん伐採され続けてきたことが、神室の自然を守る会の報告で明らかにされている。森林の「ダム機能」を再考する時代がようやくやってきた。