持続可能な鶴岡ブログ

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吉村誠司氏、 中国の震災支援へ


玉樹共同】中国メディアは20日午前、青海省地震による死者が19日夜までのまとめで2039人になったと報道。被災した同省玉樹チベット族自治州玉樹県の震災対策本部が明らかにした。不明は195人で、死者・不明の合計も2234人に増えた。現地では人民解放軍などを中心に計1万7千人以上の救援部隊が救助活動を続けているが、地震発生から7日目に入り、犠牲者はさらに増えるとみられる。
ーーーーーーーーー以上転載ーーーーーーーー

災害当初から気になっていた中国青海省での地震。犠牲者数が2000人を越えました。
神戸や中越の現場で一緒に活動した親友、吉村誠司氏が、21日、中国の震災支援に出発するとメールがありました。

民間の草の根ならではの支援をやってくれると思います。
みなさん、ぜひご支援、よろしくお願いします。 草島進一

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【21日(水)に中国へ向かいます!】吉村誠司の地球日記

この間、「ヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記ブログ」http://chikyunikki.spaces.live.com/ にて、昨年のインドネシア地震などの救助活動や国内外の動きなどお伝えして参りました。

先日、中国青海省と隣接する四川省のチベット自治区に被害を出した大地震について、初動の救助活動には間に合いませんが、四川省からの民間支援の動きを支える為にも、まず四川省の成都へ向かう決断をしました。

この間、何度か現地と連絡をする中で、アクセスが悪く、現地への規制があっても民間での支援が始まっていることがわかりました。

 2年前、成都から13時間をかけ標高4000mの峠を越えて向かった四川省山岳地のチベット族の方々が住む被災地では、地震後に初めて来てくれた外国人からの支援だったと感激され、その笑顔、涙が心に残っています。

●どうか、お力をお貸しください!
昨年のインドネシア・パダン地震では、48時間以内にインドネシアに入り、1週間にわたって民間での救助活動に参加しました。行方不明の家族が見守る中、生存者の発見は出来ず、変わり果てた9人の遺体を瓦礫の中から運び出し、帰国をしました。

正直、何度か夢の中にその悲惨な光景が浮かんできて、「助けたい!助けられなかった・・」と今も自分の心に小さな傷が残っていますが、動く原動力は地震発生から4日目に到着して「遅かった!」と後悔した阪神淡路大震災。
●一人の笑顔の為に・・・
自分が一人を支えることが出来たら幸いだろう・・・と思う。

そして、再び2年前に降り立った四川省成都へ向かう21日のフライトを予約した。
現地でともに、汗と涙を流した仲間とできることをやりたいと思う。
一人の力は小さくても顔と顔が見えることで出来る事はあると信じて・・・

【緊急募金へご協力お願いします】
4月20日15時までに入金くださると、第1次隊に間に合います!

●三菱東京UFJ銀行 明石支店
普通 4576874
「ヒューマンシールドコウベ」

●郵便振替 
00980−7−264796
「ヒューマンシールド神戸」
通信欄に「中国地震救援活動へ」など明記ください。

(振込み手数料の負担をお願いします。税控除はありません)



人口減少



全国で18万3000人山形で減少率0.81%全国で6番目に落ち込み率が大きかった
とのこと 注視すべきことだ


綴れ織りの作品展。遠藤虚籟


   昨晩、丙申堂でおこなわれる綴れ織りの会場設営へ、遠藤虚籟のすばらしい綴れ織り「水辺」は最高!必見です。みなさん、ぜひ足を運んでください。
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   鶴岡の工房 きょうから初の展示会

「絹のまち」再生めざす

 鶴岡出身の綴織(つづれ・おり)工芸作家、遠藤虚籟(きょ・らい)(1890〜1963)の技術を受け継ぎ、「絹のまち鶴岡」再生をめざす女性たちが17日から、旧風間家住宅「丙申堂」と「釈迦堂」で初の展示会を開く。

 綴織は、京都の西陣織など花鳥、風物、人物などを絹糸で織り出したもの。書や絵、写真が自由に表現できる。遠藤虚籟(きょ・らい)は荘内中学を中退、画家をめざしたが、京都の綴錦織の技法を学んだ。日本美術工芸展に入選、帝展で特選となり無鑑査になった。1944年に鶴岡に疎開し、52年まで釈迦堂や天沢寺(丸岡)などで制作を続けた。

 同市西荒屋で農家レストラン「知憩軒」を経営する長南光さん(62)らは、綴織を学ぼうと91年に修業を始めた。京都の織元を訪ねるなど研修を重ね、昨年3月には、仲間3人と天沢寺境内に工房「つるおか綴(つづ)れ 虚籟庵(あん)」を立ち上げるまでにこぎ着けた。

 工房は、地元産の絹にこだわり、地産地消型商品開発として県の農商工連携ファンドに採択された。養蚕農家や製糸メーカーと手を結んで、新製品の開発を進めてきた。

 展示会には、奈良・薬師寺の聖観音像を3カ月かけて紡いだ作品、サクラをデザインした帯、スカーフや懐紙入れ、名刺ケースなど小物類など会員の作品30点、虚籟の壁掛け「水辺」など6点、虚籟の弟子で、千葉県館山市の和田秋野さん(101歳)の作品も展示する。

 「虚籟・秋野の心を紡ぐ つるおかの綴織展」は17〜25日、同市馬場町の丙申堂と釈迦堂で。入場料300円。18日午後1時半、晩年の虚籟を知る和田修二・名古屋女子大教授の講演も。問い合わせは知憩軒(0235・57・2130)へ。

農作業 



本日は半日、依頼のあった友人の農場で田植え用の稲の種まきのバイト。土はどこから来るか、そして肥料をどうするか、モダンタイムス的な作業の中で諸々伺う。最近の寒さでちょっと計算が狂っているとか。ここも有機系の稲と藤島型を中心にやっているので、結構諸々工夫がありました。生の農業の声を聞きつついい体験になりました。もし人手が足りないとか、いうところがあれば、ぜひお教えください。
   午後、高専のT先生らがおこなっている庄内のエネルギーの意見交換会にてNaturalStep とエネルギーシフトのプレゼンをさせていただきました。「持続可能な社会の定義」をできるだけ多くの方に正しく伝えていくことを地域でやっていきたいと考えています。




燻炭。


集落の中、煙が上がっている場所。何かと思えば、この光景。燻炭といって、籾殻を炭化させる方法。

農家の不安。


藤島地域。大きな敷地と立派な家屋。80歳を超えるご主人から、「今の課題はなんといっても農家の後継者問題」と伺った。近所でもそうした問題を抱えていることが多い。とか。300年続いてきた家業としての農業。私の代で終わらなければならないかと思うと、心配で寝てもいられない。とのこと。今は、トラクターや軽トラックを運転し自分でやっているが、いつできなくなるかわからない。婿はいるが、農家を継ぐ気は今のところ見られない。どうしたもんか。何か方策はないものか。と真剣に問いかけられた。 訪れるいくつもの農家が高齢世帯。とても広い敷地と家屋に高齢のご夫婦という世帯も少なくない。ご子息は旧鶴岡市内か、時には東京にいらっしゃる方もいる。
10年後、どうなっているか。農家を不安なく継げる社会システムをどうつくっていくか。これは食の都、農業が基幹産業の庄内・鶴岡にとって最大の課題なのだと改めて思い知らされた。

農村部の高齢世帯では、車にいつまで乗るか、そして車に乗らないことを決めたら、どんな交通手段を使って、自分の思うところにいくか。これは相当な課題になる。80歳を超えても車でゲートボール会場まで通っているという方。また、高齢で不安があるから、車に乗るのをあきらめ、バスやハイヤーを使うと決めたものの、以前、一ヶ月600円のハイヤー券が廃止されて、困惑しているという方にも実際に出会った。
  「持続可能」といえる農業、農村をいかに実現していくか。乗り越えていかねばならない課題だ。
 

朝日村田麦俣のひなまつり


以前ここを訪れたとき、4月3日のおひなまつりには、ここの村の子供たちが各家のおひな様を訪ねて回り、家の人はお菓子やごちそうを渡すということを伺っていた。集落は23件。今日は雨雪まじりだったが、9名の子供たちが一軒一軒の家をまわり、おひなさまの前で二礼二拍手一拝。すると家の方が用意していたお菓子を一人一人にわたして、「あっら○○ちゃん、おっきぐなったのー」「スポ小どげだや」とはじまるのだ。集落にあるおひな様も新しいのから、歴史を感じるもの。ときに土人形があったり。となかなか立派なものだ。それに写真の巨大ひしもち発見。各家でお手製の草餅ととち餅でつくられたひしもちだ。となりにはカニが並んでいたり季節のお祝いのハレのご馳走。写真を撮っていた僕もお菓子のお裾分けをいただきました。

ノーベル賞の下村博士が加茂水族館 来鶴。


4月2日、オワンクラゲを通じて鶴岡市立加茂水族館と交流がある米ボストン大名誉教授の下村脩さん(81)が2日、同館を訪れ、一日館長を務めた。

村上館長の夢まさに実現といった感じ。本当に良かったですね。
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以下、朝日新聞より
オワンクラゲの「緑色蛍光たんぱく質」を発見し、ノーベル化学賞を受けた下村脩博士(81)と明美夫人(74)が2日、山形県鶴岡市の加茂水族館を訪れ、「一日館長」を務めた。
   村上龍男館長(70)の案内で「世界一」を誇るクラゲの展示を見た博士は「大したもの。繁殖成功など、すごい努力を感じた」。ノーベル賞以来、入館者5万4千人分のざっと5400万円が「下村効果」の増収とか。村上館長は「こんなうれしいことはない」と、博士の手を何度も握っていた。
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除雪の仕事。


今朝は母校のトイレ掃除からスタート。日本を美しく! これは? 除雪車(除雪用ホイールローダー)のブレードのフィン。とある集落、訪れた除雪業者の方から見せていただいた。市内では使えないが、中山間地では威力を発揮するのだとか。降雪の時は3台の大中小のブルでフル稼働し、午前2時ぐらいから午前7時には必ず完了させる。そうした仕事が続くのだとのこと。こうした除雪機械は購入するのに1600万円。減価償却5年とか。使えるのは冬期のみ。最近は同業者の廃業の話も結構聞いているとか。どんな仕事もなかなか大変だ。雪国の鶴岡では、なくてはならない仕事。ご苦労様です。

「持続可能な社会」の意識づけの必要性。


改めて、29日にあった公益文科大学の地球温暖化のフォーラムをふりかえってみる。

茅陽一先生のお話はとても参考になった。co2を地中に閉じ込める科学技術、原発に頼らざるを得ない日本の事情など、これまでの日本のエネルギー政策の象徴的な軸を開陳していただいた感がある。

しかしながら、私が全体的に感じたのは、「持続可能な社会」「持続可能な開発」の意識付けが希薄な感じがする。ということ。それから、どちらかというと、バックキャスティングというよりも、現状積み上げのフォアキャスティング的な考え方で25%は無理。というオンパレードになっていたのではないか、ということ。

午後の議論展開でも、エネルギーというと高エクセルギーの電力の事しかとらえられていなくて、低エクセルギーの熱利用については考察が及んでいなかった。住宅のエネルギー利用といった場合、エネルギー転換の先が太陽光発電しか触れられなかったことは、まさにそのエクセルギーの高低などの認識に疑問が残る。ISEPの飯田さんも最近特に指摘されているのだが、家庭のエネルギー利用の半分が温熱エネルギーなのだということ。半分というのは東京の話だから山形だともっとなのかと思う。
たとえば、スウェーデンのエネルギー転換政策のひとつの柱となっているのは、低エクセルギーの温熱利用のところだ。スウェーデンではこの20年で温熱利用において確実に脱石油を果たし、石油84%(1981)を7%(2004)にしている。その分を木質バイオマス29% 、余剰熱12%、ゴミ11%など、代替している。

 あとは、原発についてだ。「持続可能な社会」からバックキャスティングして、、、といった時の「持続可能な社会」に、原発は認められない。なぜか。ナチュラルステップの掲げる持続可能な社会の4つのシステム条件の4つ、どれにも抵触するからだ。

1)地殻から掘り出した物質の量が増え続けない →ウラニウムは化石燃料。枯渇が懸念される
2)人間が創り出した物質の量が増え続けない → 放射性廃棄物、プルトニウムの問題。
3)自然が物理的な方法で劣化しない → 事故の際には放射能汚染が広がる。原子炉による海水高温化などの生物多様性への影響
4)人々が満たそうとする基本的なニーズを妨げない。 → 「被爆労働者」の実態を考えると、最たる人権問題が発生している。

これはgoogleで「被爆労働者」と検索してみていただきたい。動画で日本では放映できず、英国で放映されたドキュメンタリーを見ることができる。これは健全な社会のあり方とはいえない。先日鶴岡にいらした、行動するご住職、大河内さんからお教えいただき、改めて僕も気づかされた。http://angel.ap.teacup.com/hitococi/  すでに40万人以上の被爆労働者がいるとか。

原発を推進とする時、それに投資される分、自然エネルギーの開発が止まる。低炭素社会へのインフラ整備が遅れる。ずうっと、こんなことを繰り返してきたのが日本だ。

今、話題になっている地球温暖化対策基本法案でも、このあたりが問題の焦点になっている。
私は ISEP(環境エネルギー政策研究所)の「原発の推進は持続可能な社会を実現しない 地球温暖化対策基本法案への明記は中止を!」 に賛同する。

話の冒頭に戻るが、地域のエネルギー開発を考えた際、全体的に根本的な「持続可能な社会」「サスティナビリティ」のとらえ直しが必要なのだと考える。また、議論すべきは、特に冬、暖房に石油をどんどん使ってきた山形県の暮らしでは、暖房をどう切り替えるか、要するに低エクセルギーの温熱エネルギーの転換をどうするか。だ。ここにバイオマス利用もある、バイオガス利用もあるだろう。パッシブソーラーハウスもある。光、風力、水力、バイオマス そもそもの太陽エネルギーの利用をもっと質の高いところから低いところまで、考え利活用を進めることだ。

このあたりは、今後の庄内のエネルギー開発論を展開するとき、しっかりと認識し直していただきたいと思うのだ。