持続可能な鶴岡ブログ

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月別ア―カイブ: 2月 2011

温海の雪害現場を訪ねる。


八文字屋前、朝のつじ立ちから、昨日中気になっていた温海へ。田川から向かうが、国道345からは一霞までで道路が雪崩の危険のため、閉鎖中。湯温海には、木野俣ー小国経由ではいらねばならなかった。

湯田川で農文協の総会ー地域廻り


庄内農文化推進協議会。 昨年6月2日に、約40人の会員を集め、総会をおこないスタート。これまで東京、長野と鶴岡、3名体制の事務局の一人としてこの1年取り組んできた。 
7月、写真家 小寺さんを招きデジカメをもって撮りながらみんなで地域を再発見する。というワークショッからはじまり。9月、星野先達による一日山伏体験、 12月 湯田川白幡邸で藤沢周平とのゆかりを萬年慶一さんにお話いただく会。藤沢カブの収穫体験。  12月10日庄内農文化シンポジウム。1月30日、1300年の湯田川温泉を語る会。他にも田川カブの焼き畑視察等もおこなった。
   こうしたプログラムをおこないつつ、インターネット技術をつかって、庄内一円をエコ・ミュージアムとしてとらえて、チケット、モジュールを組み立てる。最終はスマートフォンを観て地域のそれぞれの情報が季節ごとに見れるようにする、、、というようなモデル事業にとりくんだ一年だった。

これまでの取り組みは、http://ecomu.info/でみることができる。
  今日、先日の湯田川ワークショップの報告が地元湯田川青年部からあったが、ワークショップに参加したことにより実際に今、2件の旅館で雪をつかって雪灯籠がはじまっている。とうかがった。女将さんの一人は「こんな事をすればいいかなと言うアイデアはあったのだけれど、これまではなかなか実行に結びつきませんでした。今回、とにかくやってみようと意識がかわりました。」とお話された。まさに「動けば変わる」 。感動的な報告だった。

総会に出席しつつ間を使って地域まわり。ある訪れた お宅では、家族総出ででてくださり、激励を受けた。握手するとお父さんが目頭を熱くさせ、僕自身ももらい泣き。熱い瞬間。まだまだこれから。がんばりますよー。




辻信一さんから の応援メール。



黒川能 王祇祭  最高の祭。


2月1日からの黒川能 王祇祭。深夜に参り、「羽衣」を堪能。黒川の集落の子どもからお年寄りまで、まさしく老若男女、それぞれの役割をもち、おこなわれる能舞台。毎年訪れさせていただいているが、今年も改めて、新鮮な気持ちで観させていただいた。奏でられる音、舞。言葉。一種独特の世界に引き込まれとてもいいパワーをいただいた。感謝。
いったんもどって八文字屋前。朝のつじ立ち。演説途中、小学生の男の子が握手を求めてきた。なんだかその小さな手はとてもあたたかく じんときた。
 その後、もう一度黒川へ。朝の神社への扇入れの「朝尋常」の直後。今セットされたばかりの扇と、それをかこむ若い衆の姿が神社の中にあった。またエネルギーをいただいた。

以前、一度全てを通して見せていただいた事がある。今回はその一端のみとなったが、 集落の絆と団結の象徴である黒川能。まさに絆社会の最高のモデル。このすばらしい地域をつくりあげている集落の皆さんに拍手喝采。



美しいまちとは何かーーー再考。


以前 書いたモノですが。まちづくり、政治の考え方の一面をご紹介します。

この絵は、私の祖父である加賀山綱太郎1974年、11月に描かれたものです。祖父はこの8月に94才で永眠しました。この絵は祖父の家の奥にずっと静かにそして大切に飾ってあったものです。上畑町の二階のアトリエからいつも眺めることができる月山。いつも街を見守っている月山と、それに呼応する鶴岡の町並み。ああそうか、私たちはいつも月山に抱かれながら、いつも見守っていただきながら暮らしているのだ。ということを改めて感じる。鶴岡に住んでいることを誇りに感じる。この絵を見ていると自然とそんな気持ちになります。ま、少し真ん中のビルが気になりますが。

美しいまちとは何でしょう。美しいまちづくりとは何でしょう。私は、このところずっと問いかけられている様な気がします。こギレイなコンクリートの歩道でしょうか。スクエアなビルの空間でしょうか。月のイメージを細工したダムでしょうか。雑草といって灌木や野草をきれいさっぱり刈ってから新しく洋芝をはった土手でしょうか。

私は、98年、米国、ベイエリアのNPOへのインターンの際のフォーラムでご一緒した、ピーターバーグ(planetdrum )の生命地域主義、バイオリージョナリズムということを今一度かみしめています。この考え方は、先日鶴岡にもお越しになった、辻信一さんの著書、「スローイズビューティフル」にも記されています。

「私たちは皆どこかの土地に住んでいる。当たり前のことである。けれどここにまた神秘的できわめて重要なことが隠されている。それは、私たちが生活してるこの場が生きているということだ。これを生命地域と呼ぼう。」—つまり地域とは、単に我々人間が生きていくための場所ではなく「生きている場所」、そして「固有の土壌や地形、水系や気候、動植物を始め多くの自然の特徴を備えた独自性をもつ生命の場である」と。人間とは、そうした「生命の場」の中に住み込む共同体の一構成員であり、本来、この場から切り離されて人間はありえない———-

つまり、生命地域主義は「住み直し」を唱える。つまりもう一度地域との、場所との間に有機的で暖かみのある関係を取り戻すために、そこに「住む」ことを学び直そう、というのだ。———「スローイズビューティフル」

祖父は、真摯に庄内の様々な美しい瞬間を探し求め、それを見つけては絵に落とし込んでいました。月山の絵にも摩耶山の絵にも赤川にも、自然からの産物であるひらめやカレイ、魚たちの絵にも。その何かしっとりしたその絵の中には、ゆったりとしたそうした生命地域主義ともいえる一種の哲学が流れていたのではないかと思います。

祖父は、病床につくまでのほぼ92年間はずっと絵を描き続け、その絵には時には斬新なタッチや色彩が加わり、冒険があったりとまさに最後までその絵は進化をし続けていたのでした。そして「絵は面白い」と満面の笑顔で絵筆を握っていた。あの姿を見ているだけで何か幸せを感じてしまう、こうした営み自体が、まさに美しい鶴岡の風景そのものだったのかもしれないと感じています。

祖父は、ある日、荒沢ダムのダム湖に連れて行かれて、「こんなところで絶対書けない。気持ち悪い」といって戻ってきたということをボクに伝えてくれました。また東京に行く度に、「水が飲めない」と言って「鶴岡の水はうまいもののう」と言っていました。

月山から流れる赤川、その扇状地に貯えられた地下水は、この山と私たちをつなぐ、貴重な恵みです。又この水こそ、「住み直す」人たちのための大切な要素です。その恵みを私は次の世代にもしっかりと伝えたい。これは単に水道事業の問題だけではなくて、福祉や生活そのもののまさにアメニティにつながる、ここに生きる人のアイデンティティにもつながっていくことだと信じていたからです。

水道水が切り替わって、「違う町に引っ越してきたみたいだ」とアンケートにお書きいただいた方がいた。ショックでした。月山は、あそこに見えるんだけれど、私たちは、呼応する大きなパイプを一つ失ってしまったのかもしれないと思うと、本当に残念ですし、こうした声に耳を傾けない行政や政治に憤りを感じるのです。

今、ボクの再三の指摘にも懲りずに、今まで地下水をくみ上げてきた井戸が潰されようとしています。なんのためでしょう。イロイロ理由をつけているようですが、ダムをつくったメンツだけでそれをやろうとしているのでしょうか。きわめて醜い話です。

一本5千万円で掘った井戸。井戸の敷地所有者の方々も田圃の事情がかわり、戻してもらっても田圃や畑にする人はほとんどいないと言われているのに、井戸を完全に復旧できないように埋め戻してしまう。科学的な調査も無視してこれがおこなわれようとしているところに、私は、きわめて矛盾と怒りを感じています。

もっと私たち政治家は耳を傾けなくてはいけないものがある。カネモチの声ではなくて、権力者の声ではなくて、そこにこの美しいまちが好きで暮らしているたくさんの小さき声に、声を出したくても出せなくている声に、そして言葉をもっていないが、そこにあることでこの地域を豊かにしてくれている多くの自然界の産物たちに。

あの牛渡川のようなどこまでも澄んだ川面のような、

美しい町をつくりたい。美しい鶴岡を、美しい庄内を、美しい山形を。

私利私欲ではなく、すべての言動に不当な圧力が加わることなく、排除もされない、「物言えば唇寒し」ではない、美しいまちへ。

つくりかえていきましょう。みんなで。官僚よりも、国の役人よりも、国会議員よりも、豊かな感性をもち、自由なアイデアをもち、哲学をもち、歩んでいる皆さんの力で。

みんなの心の中に休んでいる、少しだけの政治力を発揮したら、この町はすぐに美しくなる。私はそう思います。

草島は、みなさんとともに「美しい鶴岡」づくりに励んでいきたいと思います。

そのためには、とにかく改革を進めなくてはなりません。いまのようなナマヌルの行政体質では、完全に時代から取り残されます。

どうか、今後ともご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

今春への決意。




草島進一の政治の原点は、阪神淡路大震災での3年間の災害ボランティアです。
いかに社会の悲しみや憤りを希望に変えることができるか。
全く同じ思いで市議会議員として10年間、「水道問題」をはじめ環境問題や行政改革に取り組み、「市民が主役の市政に変える」と一昨年鶴岡市長選に挑戦しました。
 この一年、新たな都市農村交流に取り組み、農作業の現場へ。猛暑での作業の中、高温障害による減収や、トンボの減少を実感しました。
 私が目指すのは、自然環境を活かし、人口減少、超高齢社会下でも、人々が暮らしの安心、将来への希望、ふるさとへの誇りをもち、力強く未来を切り開ける社会の実現です。その為には、官僚主導、利権政治などの古い政治から、「新しい公共」を育む政治に転換せねばなりません。
 私は、「人助け」「世直し」の志で、社会の問題に立ち向かい、真実を議会に届け、問題を解決します。そして、新しい「希望の社会」のしくみづくりに全力を尽くします。
新しい政治へ、皆様の力を。

草島進一