持続可能な鶴岡ブログ

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ナチュラルステップジャパンの高見さんと大山、下池をめぐる。




朝、冷え冷えの辻立ちだったが、一緒に立ってくれる人がいるのはなんだかうれしい。エネルギー倍増。

さて、本日は、昨年にホームステイまでさせていただいたスウェーデン在住の、ナチュラルステップジャパン 代表、高見幸子さんが鶴岡にいらして、黄金保育園の雪の野外教育を視察された。同じくムッレ教室を新潟や、東京で中心的に運営されている下条先生や阿部先生もいらっしゃり、今の保育の課題などについて有意義な意見交換をすることができた。
 自治体運営の保育園と民間保育園の保育士の給料格差、また、子供一人あたりの先生の数などなど。3歳児に対して日本だと20人に一人ということになっているがスウェーデンだと15人に3人。つまり5人を一人で看ることが法律で義務付けられているとのこと。
  こうした違いが、野外保育などをできにくくしている背景だとみなさんおっしゃっておられた。

雇用形態として、日本の保育士、そして介護士の給料体系があまりに低すぎるとよくいわれている。
これは社会のシステムの問題だ。とても持続可能なシステム構築になっていないのだ。

その後、4名で大山下池へ。日暮れは5時半。日暮れ近くにオオヒシクイの群れ、その前に白鳥、そしてその日は、真っ暗になる直前に、一挙に飛び立ち、弾丸のように飛び去っていく鴨の群れを観察できた。

さすがは、野外保育、野外教育の専門家の先生方。 大山下池、すばらしい!の連続だった。

ありがとうございました。

さて、本日は、深夜1時からオバマの就任演説。米国が変わる瞬間。みんなでしっかと見ましょうね。

鶴岡型 小水力発電  稼動! 鶴岡高専 オープンクロスフロー 水車




今まで水力発電というとすぐにダムなど大規模なものばかりとおもいきや、実は、水車を水路につくれば、簡単に電気は起こせる。でも、その形状によっては、ごみがひっかかったり、なかなかメンテナンスがめんどうだったり諸々課題があるようだ。

 高専の丹先生、本橋先生らが開発していたのが、そうした課題を克服する形状をもつオープンクロスフロー型の水車。今回下水処理水を活用してこの水車の実験がはじまった。大体、3kwの出力。一般家庭8件分の電力をまかなうことができるとのこと。
この設置については、水利権や河川管理の関係で国土交通省の許可がなかなかでなくて設置するのにずいぶんの時間がかかったようだ。
 諸々の困難を乗り越えて実現した、実験の開始に拍手を送りたい。 

鶴岡の中山間地、扇状地の水路を使って、こうした水車をまわせたら、結構な電力がとれるのではないか。そばで見ていて、風力よりも安定しているし、大きな可能性を感じた。

グリーンニューディールが叫ばれる今、こうした研究こそ重要視すべきだ。

今後の展開に期待したいし、こうした利用における水利権の壁の問題について、熟考しなければならない。

寒だらまつり。天気良くて最高でしたね。




朝10時すぎに鶴岡駅着。家にもどるとすぐに寒だら祭り。天気はぽかぽか。旗もって呼びかける。この4年、農業予算が秋田や青森の半分になってしまった山形県。これじゃ、こんなおいしい食の文化が守れない。おいしい寒だらまつりのためにも、、、と呼びかけると、結構ガッツポーズをいただきました。
 皆さん、お疲れ様でした。近年で最高の人出でしたね。
その後、6小コミセンの新年会。諸々ご意見をいただいた皆さん、ありがとうございました。

神戸で14年前の自分に出会う。




神戸。2005年にフォーラム開催にいってから、4年ぶりの神戸。当時の同士たちと再会し、1.17 5時46分。東遊園地の祈りの会場で黙祷す。6国道2号線沿い、灘と東灘の中間にある御影公会堂、石屋川公園に立つ。そして、人と防災センターに行き、「神戸元気村の活動」という表示と、当時、夢中でシャッターを切った1万点からピックアップされた、当時の数点の写真。「元気村の3キログラムのお米に励まされる」という表示、そして、そのとなりにあった手記の中で自分の名前を発見。

当時。がれきの中で「笑顔をとにかく一つつくること」をミッションに。多種多様な知恵と行動力を活かし、0から1をつくる。そんな「今」という瞬間が連続していた。僕は眠るのを忘れて、被災地とその外をつなぐ、電話をかけまくっていた。1000人規模の炊き出し、がれきの中で畳7畳のステージをつくってやったコンサート。などなど、次々に変わるニーズを読んで、バウさんと一緒に、当初の3週間ぐらいに約30以上ものプロジェクトを抱え、実行していった。炊き出しを食べ、150日のテント暮らしをしながら、徹底的に打ち込んだあの日々は僕の細胞のどこかに刻みつけられている。その後、重油災害、新潟水害、中越地震、中越沖地震、、、、。
  災害救援も、水問題も、ダム問題も、そして議会活動の中で取材をしたり、文書を練り上げていくときも、取り組むときの思いは変わらない。

あれから14年になる。神戸の犠牲を今の社会はどれだけ活かせているだろうか。そして、僕自身は、神戸から学んだものを、どれだけやれているだろうか。と問われる1日だ。

さて、2009年も一歩、「神戸」の6000人越える 犠牲を活かすためにも、そして、あのとき生み出した 「ボランティア元年」という新しい文化を、活かすためにも、

「動けば変わる。信念と行動の年にしたい。


当時の神戸元気村の記録:http://homepage.mac.com/stern8/iMovieTheater29.html


元気村代表のバウさんの「生きる」で描かれた当時の元気村の一幕
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20080911_bow_01.html