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神戸で14年前の自分に出会う。




神戸。2005年にフォーラム開催にいってから、4年ぶりの神戸。当時の同士たちと再会し、1.17 5時46分。東遊園地の祈りの会場で黙祷す。6国道2号線沿い、灘と東灘の中間にある御影公会堂、石屋川公園に立つ。そして、人と防災センターに行き、「神戸元気村の活動」という表示と、当時、夢中でシャッターを切った1万点からピックアップされた、当時の数点の写真。「元気村の3キログラムのお米に励まされる」という表示、そして、そのとなりにあった手記の中で自分の名前を発見。

当時。がれきの中で「笑顔をとにかく一つつくること」をミッションに。多種多様な知恵と行動力を活かし、0から1をつくる。そんな「今」という瞬間が連続していた。僕は眠るのを忘れて、被災地とその外をつなぐ、電話をかけまくっていた。1000人規模の炊き出し、がれきの中で畳7畳のステージをつくってやったコンサート。などなど、次々に変わるニーズを読んで、バウさんと一緒に、当初の3週間ぐらいに約30以上ものプロジェクトを抱え、実行していった。炊き出しを食べ、150日のテント暮らしをしながら、徹底的に打ち込んだあの日々は僕の細胞のどこかに刻みつけられている。その後、重油災害、新潟水害、中越地震、中越沖地震、、、、。
  災害救援も、水問題も、ダム問題も、そして議会活動の中で取材をしたり、文書を練り上げていくときも、取り組むときの思いは変わらない。

あれから14年になる。神戸の犠牲を今の社会はどれだけ活かせているだろうか。そして、僕自身は、神戸から学んだものを、どれだけやれているだろうか。と問われる1日だ。

さて、2009年も一歩、「神戸」の6000人越える 犠牲を活かすためにも、そして、あのとき生み出した 「ボランティア元年」という新しい文化を、活かすためにも、

「動けば変わる。信念と行動の年にしたい。


当時の神戸元気村の記録:http://homepage.mac.com/stern8/iMovieTheater29.html


元気村代表のバウさんの「生きる」で描かれた当時の元気村の一幕
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20080911_bow_01.html