11月3日。日本国憲法発布70年の日に。
「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」『復刻新装版 憲法と君たち』=佐藤功・著
報道ステーションでもとりあげられていた。読むべし。
今日は仕事の後、「高江ー森が泣いている」という映画を観た。ヤンバルクイナや貴重な野生動物が生息する楽園のような沖縄の自然や住民の暮らしを奪い、軍事演習場、オスプレイが飛来するヘリパッドの工事が強行されている。民意を無視し、住民の非暴力の抗議行動に対して、機動隊で制圧して米国のために工事を強行するその暴力に言葉を失った。
人権や自由を奪う憲法違反そのものではないか。国民を欺き、権力をふりかざし、堂々と憲法違反を犯し、その上で壊憲を成し遂げようとする。これぞアベ政治である。憲法制定70年。来週から憲法審査会が再びはじまるそうだ。
もはや「押しつけ憲法論」は論外。先の戦争の戦犯たちが創りだした虚構であり、全く事実に反している。
「憲法は国民の自由や人権を守るために、権力者達を縛る命令書」たる立憲主義を逸脱する改憲も論外。政府によって都合よく、国民に憲法尊重義務を課し、国民の義務を10項目も増やすような自民党の憲法草案はまさに「改憲ならず壊憲」であり、言語道断だ。
70年前に、二度と戦争を引き起こさないように、狂った社会を日本にもたらさないように、そして二度と個人の自由や人権を奪う事のないように、当時の日本人が情熱と希望とをもって憲法をつくった。そして70年前の今日、多くの日本国民が憲法制定を喜び祝福した。「これで、国民を欺き、多くの国民を徴兵し、そしてその兵士の多くを餓死させ、特攻させ、更に広島長崎への原爆や日本各地への空襲で310万人もの犠牲を強いた戦争の社会から完全に解放され、これからは監視や弾圧がなく、自由に書物を読み、個人の幸せの追求のために暮らし、発言や運動を行うことができる」と。
そうした先輩方を裏切らないようにしなければ。昨年強行採決された「戦争法」は無論、米軍の為に強行される高江ヘリパッドや辺野古の基地も、米国をはじめとする多国籍企業に国家や自治体の主権を奪われかねないTPPも、憲法違反そのものではないか。
憲法に反した、こうした間違った政治を正したい。「憲法が私たちを守る。私達が憲法を守る。」
社会的にも、環境的にも持続可能な社会にするために。
言論の府を暴力の場に変えたのがアベ自民党。言論の府を取り戻す7.10へ。
絶対僕らは忘れない。自民党議員が「人間かまくら」をつくって言論の府たる参議院を暴力の場にした事。
2015.9.18 アベ政治が破壊した言論の府を、主権者である私たちが取りもどす闘いが7.10参議院選挙。
この写真を投票の日まで覚えていましょう。皆様。
立憲主義が解らないアベ政治ムラ
立憲主義とは?
安保法制、集団的自衛権の問題でさかんに問われているのだけれど、一体なんなのか、
今や総理大臣自らが妙な解釈をしてどんどんこの立憲主義から逸脱をしているし、更に
憲法改正をとにかくやるのだと、主張し続けている。国会審議では「弱々しいだの自分たちは強いだのという言葉を使って、野党を牽制しながら、正論ぶって奇妙な主張を貫いているのだ。
先週の民主党の大串議員の追求でアベ総理の危険な憲法感が明らかになった。
安倍総理はこれまで現行憲法について「GHQに押し付けられた」
「日本人の精神に悪い影響を及ぼしている」
「憲法前文はアメリカへの詫び証文」
「(立憲主義に対しては、古色蒼然」などと発言をしている。以下、大串議員のパネルにひとまとめてしてあった。
この中で、憲法について総理は、
『左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが短期間で書き上げ、それを日本に押しつけたものである』
と言及していた事を示し、今も同様の考えかを大串議員は尋ねた。
総理は
安倍総理「これは、日本が占領下にある中において、まさに当時は連合国のGHQ、司令部がある中において、日本国といえども、いわば当時の政府といえどもこの意向には逆らえないわけでございます。その中においてこの憲法がつくられたのは事実であろう、こう思うわけでございます。
そして、極めて短い期間につくられたのも事実でございます。その事実を事実として申し上げた。こういう事実を事実として申し上げることができないという言論空間をつくること自体が私は間違っているのではないか、このように思います」
安倍総理「端的にお答えをいたします。いわば、これは幣原喜重郎内閣でございましたが、ここで憲法をつくるということになった。そこで、松本烝治氏が担当の大臣になって、いわゆる甲案、乙案というものをつくったんです。それを、先ほど新聞名が挙がりましたが、毎日新聞がスクープしたんですね。西山柳造という記者がこれをスクープしたわけでございます。
そして、それを見て、GHQは、これは絶対に受け入れられないという中において、ホイットニー当時の准将がケーディス氏に、民政局の次長に指示をして、約8日間で25人の委員でつくったのは事実だろうと思います。そして、それが草案になったところでございます。
そこで、私が大切にしているところは、やはり私たちの憲法なんだから、この中において、もちろん、平和主義、国民主権などなどありますよ、基本的人権、そうしたものは守っていかなければいけませんし、これは貫いていく必要があるんだろうと思います。
そして、それは私も今まで評価もしてきているわけでございます。ただ、形成過程がそうであったという事実は私たちはしっかりと直視をしなければいけない。歴史を直視しろというのはそういうことなんですよ。
などと答えている。
安倍総理の主張はあたかも毎日のスクープがけしからん。そしてGHQがつくったのがけしからん。といっているようだけれど、ゴマかされてはならない。ここでけしからんのは、戦争で人権を奪い、多くの犠牲を強いられながらも、新たな憲法案として、主権在民もはいっていない、明治憲法とほぼ同様のものしかまとめられなかった、当時の政府の憲法のとりまとめ役、松本烝治氏らのほうだろう。むしろ、鈴木安蔵先生ら、7名の憲法の民間研究者からなる憲法研究会が1945年12月26日に「憲法草案要綱」をつくっており、当時のGHQはそれを大いに評価し、戦争放棄、国民主権、人権を踏まえてその理想を掲げて草案をつくりあげている。その後、国会で森戸辰男氏が「生存権」を提言しそれが追加されてできたのが日本国憲法。
だから何も「短い間にGHQにつくられた」からって、駄目な憲法ではない。ある意味、普遍的な人権や自由や平和について定められているものなのだ。軍事下治安維持法で圧力をかけられていた日本国民は本当の事を言う事が怖くてできないといった社会だった。そうした社会を払拭し、国民全員に自由と人権をもたらす重要性からみてば、実に優れた文章であることがわかるはずだし、松本案でなくて良かったと心から思えるはずなのだ。
あたらしい憲法の下、戦争を絶対に二度と引き起こさない、人権が守られた真っ当な国づくりを国民主権で立ち上げる。ここに立憲民主義の歴史がはじまっているのだ。
この動きを左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが短期間で書き上げ、それを日本に押しつけたものである
とはどんな解釈なのか。これは一国の総理大臣として恥ずかしい。
それと、
立憲主義についての解釈があまりにおかしすぎる。
国の権力を憲法によって縛るという立憲主義について、「専制主義的な王政があった時代のもの」などとしている。それで「古色蒼然」との決めつけが行われている。ここが根本的な間違いである事がなぜ解らないのだろう。民主主義で議会も存在したドイツで、ナチスヒトラーが犯したユダヤ人大量虐殺の実態はどうか。そして世界大戦に突入した日本の戦前、あの時も国会があり王政の時代などではなかった。しかしドイツでも日本でも権力者達は平気で国民の基本的な人権や自由を奪い、大量虐殺や、特攻などで国民の命さえも奪うことを平気でおこなっていた。
民主主義で多数決で物事を決める時代にあっても、国民の基本的人権や、平和、自由を乱す法律はつくれないし行使できないという縛りをかけているのが近代、現代立憲民主主義国家の当たり前の姿なのだ。
真に、国民や市民を理解しない総理大臣だから、立憲主義がわからないのだろう。
立憲主義は、国民が憲法によって権力者たちを縛るもの ということは普遍的な原理原則だ。
自民党草案は、その縛りを権力者たち側から解いて、逆に国民に義務を多く課して権力者たちが国民を縛るというアベこべのものになっている。
立憲主義も全く理解せず、むしろ曲解している輩が暴走しているにすぎないのだ。
主権者たる国民である私達は、私たちの自由や権利を守るためにつくられた憲法を乗り越えて政治を行おうとしている権力者たちを厳しく糾弾し、それを阻止しなくてはならない。
70年前の第二次世界大戦では、310万人もの国民が犠牲になった。それを教訓に憲法を定め 世界に二度と戦争を引き起こさないことを誓い、自由と人権を国民全員に行き渡らせようとした。その根本精神を絶対に忘れてはならないのだと思う。
憲法違反のクーデター安倍政府を許さない。戦争法廃止!
戦争法 強行採決 2015.9.17〜9.19
憲法破壊のクーデターを忘れない。
現在、憲法違反の政府与党が暴走中
戦争法を廃し、立憲主義、平和主義、民主主義をとりもどしましょう。
2015年9月17日。言論の府、良識の府と称されていた「国会、参議院」。「戦争法案」安保法制を議論する参議院の委員会の場で、自公与党による「人間かまくら」がつくられ、暴力的に「戦争法」(平和安全保障法制)が強行採決された。私はこの夏、「戦争法」に対して絶対反対を路上で唱え続けてきた。私が反対している論拠を述べたいと思う。この戦争法は、歴然とした憲法違反であることはいうまでもない。そしてアベ政治の暴走については新聞、テレビ、週刊誌やインターネットなどで周知の事と思うのだが、改めて下に記すことにする。
1)そもそもこの法律が一体なんのための法律なのか。立法事実がない「戦争法」
必要性や正当性を裏付ける客観的な事実、根拠である「立法事実」が国会審議の中で失われてしまっている。ホルムズ海峡での機雷掃海は安倍首相自らが「現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と認めた。また、紛争国から避難する日本人のお年寄りや、母親と乳児を輸送する米艦船防護については、「邦人が乗っているかどうかは絶対的なものではない」と中谷防衛相は述べ首相も同調した。
2)集団的自衛権 行使が合憲であるとする根拠は全くない。
安倍首相や政府が主張する砂川判決、47年政府見解は、集団的自衛権のなんら論拠にならないことが判明している。(http://blogos.com/article/112973/)また、端的に集団的自衛権とは、「他国(同盟国)の戦争に加担すること」である。それ以上でもそれ以下でもない。又政府は「限定的」集団的自衛権」などと主張するが、実際の戦争の実状からすれば非常識な話。後方支援とか兵站は、敵国から見れば全くの軍事的武力行使と同様にとらえられ、格好の標的になる。国際法上でも「限定的」集団的自衛権などありえないとの事である。
3)安倍総理が言う「積極的平和主義」は本来の意味と真逆
米国との軍事同盟を強固にすることによって抑止力が高まり、北朝鮮や中国からの脅威に備えることができると安倍政府は主張する。しかしながら、軍事の抑止力でテロは防げるのか? 米国と一体とみなされれば、テロの脅威は日本国内にも広がる。つまり国民へのリスクが高くなると考える方が自然だ。それを政府は誤魔化し国民のリスクは高まらないと主張し続けている。「積極的平和」の概念を創出したノルウェーの平和学の祖 ヨハンガルトゥング博士は、本来の「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではないと説き安倍総理の「積極的平和主義」は盗用と評している。
4)「憲法守って国を守らないのか?」の矛盾
北朝鮮、中国の脅威について、安倍政府、自公与党、その支持者達は煽る。そしてその脅威から国民の生命と財産を守る為に「集団的自衛権」が必要と説く。しかしそれはまるでショックドクトリン(脅威を煽って評判の悪い政策を実現する)のようではないか。北朝鮮が本当にミサイルを飛ばしたら、米国や国連により壊滅ということになるだろう。そして中国については、米国とも日本とも経済的な関係性が密な関係にあり、一部尖閣などの問題から紛争に陥るなどということは米国も望んでないということが知られている。憲法を守り、日本が専守防衛に徹する限り、むやみに攻められることはないというのが今の現状であると言う見方を私は支持する。「他の国のために武力行使するのが集団的自衛権であり、そこに「限定的」などと言いのけることは詭弁でしかない。米国がおこなう戦争に後方支援や武器弾薬の補充や兵站で加担する、集団的自衛権を認めれば、現場へ赴く自衛隊の命のリスクは確実に高まる。そして敵国となる国からみれば米国と同等に見なされ、テロなどからの脅威は国民全体に及ぶことになる。
5)立憲主義の破壊は、法治国家が破壊され独裁政治に向かこと。
平和憲法があり、憲法による政治権力の縛りがあったからこそ、私たちの日本は戦後70年間によって文字通りの平和が守られ続けてきた。この縛りを破る憲法違反の法律は絶対に認められない。そもそも憲法は、国民の自由と人権を守るために、国家権力を縛るルールであり最高法規である。そして310万人もの先の戦争の犠牲の上に成り立ち二度とあの惨禍を繰り返さぬように国民が成立させた最高法規である。我が国は歴代、これまでこの憲法の下に政治が行われてきた立憲民主主義国家だ。安倍政府の政治は、内閣法制局長官までも自分の意のままに操り憲法の解釈を変更した。まさに昨年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして今般の「戦争法」の重要点は、集団的自衛権を認めるものであり、憲法を越える。9月17日から19日までの国会は、これまでの立憲主義や民主主義、平和主義が破壊されたクーデターだ。日本は今、法の下での政治である法治国家ではなく、「私が言うんだから間違いはない」などとおごった態度の総理大臣、いわば人の下での政治、人治国家にしようとする政府により国民がコントロールされようとしている。まさに独裁主義政治に成り下がっている。自民党の憲法草案は「憲法によって国を縛るのではなく、憲法によって国民を縛るトンデモナイ代物だ。今後、アベ政治は改憲に向かって突き進むのかもしれないが、改めて、現憲法の正しさを租借し伝えること、そしてあくまで近代民主主義国家の立憲主義の常識を伝えていかなければならない。
いずれにしても、このナチスのような暴走政治に歯止めをかける事が必要です。立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻し、戦争法を廃止にし、アベ総理を退陣に追いこんでいきましょう。
集団的自衛権の行使容認が憲法違反であることは明白!「合憲」根拠はどこにもありません。
民主党 小西議員が調査、指摘し続けてきた集団的自衛権の憲法違反。
政府がいう「砂川裁判判決」は「合憲」論拠に全くならず。朝日の天声人語にも掲載されていた。
これが正論。もはや集団的自衛権が合憲とする論拠はどこにもありません。
これを国民の常識にしましょう。
朝日新聞 天声人語より
牛丼を頼んだのに、天丼を出されたようなもの。民主党の小西洋之(ひろゆき)参院議員は、安保関連法案をめぐる中谷防衛相とのやりとりをそう評した。確かに、法案が違憲か合憲かをめぐる論戦は、いまだかみ合っていない▼集団的自衛権の行使容認は憲法9条の枠内だと、安倍政権は繰り返す。根拠の一つが1972年の政府見解だ。しかし、72年見解の結論は「行使は憲法上許されない」である。どこをどう読んだら、正反対の結論が導かれるのか▼見解は「外国の武力攻撃」に対する自衛を認めている。この攻撃が、日本への攻撃だとはっきり限定して書いていないことに着目し、密接な関係にある他国が攻撃された場合も反撃できるという理屈を編み出したらしい。曲芸のような解釈だ▼小西氏は最近、72年見解と同じ日に国会に出された「防衛庁見解」の案文を入手した。ともに当時の内閣法制局が作成に関与した。この見解には「わが国に対する」急迫不正な侵害とあり、明確な限定がある。それ以外の自衛はできないという趣旨だ▼ならば72年見解も日本への攻撃しか想定していないに違いない。安倍政権による72年見解の解釈と、防衛庁見解は矛盾する。小西氏は先日、防衛相に詰め寄った。中谷氏は「矛盾していない」の一点張りだった▼72年見解が根拠にならないことは元法制局長官や憲法学者も指摘している。政権の強弁に説得力はない。牛丼でも天丼でも、客の注文を無視する店は、早晩経営に行き詰まると知るべきだ。
私は戦争法案に断固反対し、アベ政治を糾弾します。私の安保法制、国防の考え方について
現在、安保法案が衆議院で強行採決の後、参議院での審議入り、マスコミ各紙成立予定の日程を示し始めたような感があります。この間、8月30日国会を取り囲む12万人のデモ、昨日は新宿で2万人ものデモ、他各地で国民が声を挙げ続けています。私も8月30日パルの角での300名の方々とスタンディングの他、連日辻立ち演説を続けています。9月9日には午後6時半から鶴岡市役所前の広場で市民集会がおこなわれ参加します。
演説で何を伝えているのか。また防衛のスタンスにFBで質問も頂きましたのでここでまとめてお伝えしたいと思います。
憲法によって最も縛られるべき総理大臣が、昨年の7月1日から憲法違反を堂々と犯し、国会では質問に対して詭弁につぐ詭弁。さらに憲法違反を憲法学者、歴代内閣法制局長官、そして今般政府が「番人」と称していた元最高裁長官が表明した「違憲」発言に、「一私人の発言にコメントしない」などとして誤魔化す政府の姿勢。また国会で質問に答えることなく、テレビ出演しプロパガンダを選ぶ総理の姿勢にとてつもない憤りを感じています。
憲法は、国家権力を縛り、個人の人権や自由を守るために主権をもつ国民が定めた最高法規です。
戦後70年我が国は、立憲民主主義国家を歩んできました。それを一総理大臣によって破壊する行為は絶対に許されませんし、憲法違反の法律を認めることになればこの国は立憲主義国家や法治国家ではなくなります。専制主義国家、独裁政治国家に成り下がってしまう。権力者が法的安定性を破壊し国家秩序を乱すことをクーデターというそうですが、安倍政権がやっていることはまさにこの国を破壊するクーデターそのものではないでしょうか。憲法違反の安倍総理は国民から糾弾されて当然だと思います。
また、この間の国会答弁の総理らの詭弁説明の酷さは常軌を逸しています。憲法違反でそれこそ国家の存亡に関わり、また、国民の命にかかわる問題なのに、国会であんな詭弁を繰り返すだけでいいのか。国民は愚弄されているとしか思えないと議会人の端くれとして思います。
もはや「違憲」は歴然としており、「合憲」の論拠はどこにもありません。にもかかわらず、戦争法案に突き進み憲法をなきがごとしにしようとしている、まるで、70年前ワイマール憲法を無力化したナチスのような姿勢の総理大臣を私は許せないのです。民主主義を求める国民として、また、そして憲法の下で、法の下で政治を行う一人として、国家や権力による国民の理不尽に立ち向かう一人として糾弾します。憲法を空語にしてはいけない。「安倍総理退陣!」と。
それから国防についてですが、専守防衛と平和外交に徹するということ。個別的自衛権による防衛で対処するが答えです。9条に戦争の放棄、と特に2項に戦力の不保持、交戦権の否認が掲げられている中で自衛隊はその「戦力」にはあたらない組織として定めてきました。
改めて9条を紐解けば
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
集団的自衛権は、他国のために武力行使することですから、この憲法9条の下で認められる事はない。これが歴代総理、憲法学者の9割以上、歴代内閣法制局長官、そして元最高裁長官、そして安保法案に反対する学者13000人以上、そして国会を取り囲んだ12万人をはじめ数多くの戦争法案に反対する国民有志の見解であります。「集団的自衛権の行使は憲法違反」これに対する反論に根拠はありません。日本の集団的自衛権について何も論じていない砂川事件判決は全く根拠にならないことは明らかです。そして「集団的自衛権の限定行使」は国際政治や軍事の常識を無視した空論であることが明らかになっています。
そして、私は、軍事同盟による抑止力が答えであるとは思いません。アベ自民党は「米国艦隊を守る→強固な同盟を示す→抑止力が高まる→戦争にならない」と説明を続けています。米国の後方支援、いわゆる兵站をおこなえば、敵からは一体と見なされて当然です。「米国艦隊を守る→日本が敵対国になる→攻撃を誘発→戦争になる」という考え方のほうが自然ではないでしょうか。
集団的自衛権の行使を可能にする安全保障政策の変更は、東アジアにおける緊張をいっそう高める結果をもたらしかねないし、米国と一体と見なされたら、米国へのテロ等の脅威が日本国内にも及ぶようになる。要するに国民のリスクが高まるということです。
これまで日本は平和憲法の下、70年間戦争に参加していないという事実があります。平和主義を貫き、外交交渉や「人間の安全保障」によって紛争の原因を除去し、戦争を極力回避する努力を行うこと。緊張緩和を率先して進めることこそ道だと考えます。紛争地で活動するNGOペシャワール会の中村哲さんらが、憲法9条、平和主義を掲げる日本だからこそ紛争地でもテロにまきこまれることなく人道支援ができるとおっしゃっておられました。自衛隊もこれまで平和憲法の下で活動してきたからこそ戦闘することなく人道支援ができた。このことこそ重要視すべきです。
安倍総理は、米国との軍事同盟による抑止力をもって「積極的平和主義」を主張します。しかし、平和学の父「積極的平和」(positive peace)を提唱されたヨハン・ガルトゥング博士が先般来日し、安倍総理の「積極的平和主義」は本来の意味とは真逆であると断じました。本来の「積極的平和」は貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」のない状態をつくることです。まさに9条の精神こそ積極的平和、それを博士は強調しておられました。ガルトゥング博士は実際の紛争の現場で解決にあたってきた方であり単なる理想主義者ではありません。彼の言葉を私は重く受け止めます。真の平和を望む私は、真の「積極的平和」に立ちます。
先の大戦での310万人もの犠牲、当時国内でも個人の人権や自由が侵害され、不平等や理不尽がまかり通り、命が奪われていた教訓を基に、私たちは憲法を定めたのです。立憲民主主義国家の日本の70年の歩みの中で、人権や自由を守る憲法の下、社会的理不尽がなかったわけではないし私もそうした理不尽と戦ってきた一人です。多数派ではない少数派の弱い立場の人や主張に立つ時、最終的なよりどころは憲法でした。これまで政府の暴走により、これほど憲法が踏みにじられるような事はありませんでした。これは戦後70年最大最悪の暴挙。それも戦争リスクという国民全体に及ぶ命に関わる問題であります。
また、参議院の山本太郎議員の質疑により、この法案が3年前に発表されたアーミテージ・ナイレポートに書いてある要件とほぼ同様であることが明らかになりました。リバランス=アメリカの(削減された国防費の)肩代わり」と指摘し、アメリカの情報誌や新聞が「最新のアメリカの防衛予算は日本が安保法案を可決する前提で組まれている」と報じている事実を指摘しました。
米国の米国による米国のための戦争法案であることが明白になっているのです。
私は絶対にこれらのことを看過することはできないし、議会人だった一人として、持続可能な日本、山形、鶴岡をつくる政治を志す一人として、この憲法違反の法案を廃案にするまで、そして憲法を空語にしない社会づくりのために、これからも声を挙げ続けます。
憲法違反の戦争法案は絶対に廃案!
憲法違反の安倍総理は退陣せよ!
法的安定性が関係ない!?何て?
安倍総理の磯崎補佐官の発言
なんだろう。この発言は!? そしてこの自信ありげの態度は。
首相補佐官の演説。この姿勢こそ安倍政治。
「憲法で書かれていないから大丈夫」という、外見的立憲主義。
そして「法的安定性は関係なし」とは?
完全に法治国家の政府の発言ではなくなっている。
参議院28日の質疑で民主党の福山参議院議員が「更迭すべき」と追求。行政府の人間として法的安定性は関係ないなどという発言は、閣議決定違反ではないか。とも伝えている。当然だ。憲法の法的安定性を行政府が保てないとしたら大問題。憲法違反の磯崎補佐官はただちに更迭すべきだ。
安保法案は違憲。立憲主義の視座ーわかりやすい長谷部教授の論。
以下、安保法案について、6月4日の衆院憲法審査会で「集団的自衛権の行使は違憲だ」と発言した自民党参考人の長谷部恭男・早稲田大学教授に高知新聞がインタビューした記事です。 実にわかりやすいし、これこそ立憲主義の視座であると感じました。
ぜひご一読を。
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2015年06月10日07時58分 |
解釈変更の拡大懸念
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2.22誕生日にあたりーー地球の声、宇宙の声に応えた政治を目指して
神戸元気村の代表、山田和尚、バウさんを送る会が母校明治大学の近く、山の上ホテルであり参加。神戸や被災地救援、平和活動、ストップフロン問題、などに共に取り組んだ有志。音楽家、イベントクリエイター、小説家、そして元総理まで、多彩な顔ぶれが集まりバウさんの49日で天に召される集いを行いました。奇しくもその日は私の誕生日でもありました。私は、3年間活動した神戸を離れる際にみんなからプレゼントされたパドルに、バウさんが書いてくれた一言を紹介しました。改めてシェアします。
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ほかのものに頼ってはいけない
三次元にいる自分自身をよりどころにして
地球と宇宙の真理につくしなさい。
まずは、うごき出せ
神々とともに
光とともに
仲間とともに
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神戸でバウさんと出会い、あの場に残り行動をしなかったら、今の僕はありません。神戸にはいって3日後「ここに残る」と決めた瞬間から全てがはじまりました。その日から何か水を得た魚のように体が軽くなり、1週間ぐらいほどんど寝なくても全く平気な、「今」という時を懸命に生きる、自分がありました。目の前には太い「今」しかない。毎日、毎日それからは、日々それまでの1週間分ぐらいに匹敵する仕事が待っていましたが。朝携帯で起こされ気がつくと明け方みたいな、、、。僕という人間を受け止めてくれたバウさんがいたからそれはできたのです。いろんな場面で向き合って、魂に響く言葉をくれたバウさん。魂の恩師にあらためて感謝します。ありがとうございました。
そして今、私は地方政治の場にいます。 「愛を真ん中に動くこと」とともに、「地球を守ること」を熱く実践をもって教えてくれたバウさんの志を胸に、地球や宇宙の声に応える政治をやっていきます。
森を守り、川を守り、水を守り、魚たちや動物たちをまもり、そして、平和を守り、市民社会を育み、未来を開いていきます。
バウさん、次は僕らの番です。
どうか天から見ていてください。 ありがとうございました。
2015.2.22 50歳の誕生日に 草島進一
敗戦の日。平和、民主主義を思う。
以下、朝日新聞の天声人語より。
▼山田青年は1945年8月14日の日記に、「個」を潰しに潰してきた日本の社会に対する痛恨の念を記している。出る杭を打ち、変わり者を追い払う。日本人は「全く独立独特の筋金の入らないドングリの大群」のようになったと嘆いた▼全体主義が支配した戦時中のこととして読み流すことができない。あなた方もドングリになりなさい。そんなささやきが、昨今のこの社会のそこかしこでも執拗(しつよう)に繰り返されているのではないかと危ぶむ▼「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。この俳句を刊行物に載せることを、さいたま市の公民館が拒否した。世論を二分する問題だからだという。当初は、市の意見と誤解されないよう配慮したとの説明もあった。作者の名前も出るのに、である▼憲法や原発の問題で講演をやめようとしたり、展示を拒んだり。時の政権を刺激しそうなことは極力しない。公職者らの上目遣いが相次ぐ。意見がわかれ、議論をかわす。民主主義の面倒臭さをすっ飛ばすなら時代は逆流する▼あの夏の8月16日、風太郎は敗因を分析し、記した。日本人は「なぜか?」という問いを持たなかった、と。いま、ドングリになれという声には、なぜかと問い返そう。「個」であるために。