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真の治水。結城さんの講演。


嘉田由紀子 滋賀県知事が朝日のBEで特集されていた。新幹線の駅「もったいない」に火がついて、知事になられた嘉田さんは、先日、最上小国川にいらしていただいて、「真の治水」案をご提示いただいた、今本博健先生が委員長を努められている、淀川水系流域委員会の委員のお一人だ。
このBeの中にも、「真の治水」の要素がうかがえる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下 引用ーー

——新幹線新駅だけでなく、県内のダム計画も凍結を掲げています。

 嘉田 地震は予測できないでしょうけど、水害はある程度の予測は可能です。だから、水害で死者を出してはいけない。私の河川政策の出発点は治水です。88年ごろ、長良川の河口堰(かこうぜき)が問題になり始め、反対運動に加わるように誘われました。でも、生き物や環境だけを守るための活動には、正直ためらいも感じました。

 ——なぜ、治水の面からダムはいらないのでしょうか。

 嘉田 確かにダムは一定規模までの水害を防ぎます。ただ一方で、流域の住民はダムができると安心してしまう。それが一番怖い。ダムの計画規模を超えた洪水が起きたとき、人々は無防備です。

 ——ダムに頼らない方法は。

 嘉田 堤防強化や河床の掘削など、地域密着型の公共事業があります。水害は国や自治体に頼る「公助」ではゼロにできない。水防団などの組織が少なくなり、水害に対する社会意識が薄くなっています。自分自身や地域で対策を考える「自助」「共助」が欠かせません。

 ——そのためには、何が必要ですか。

 嘉田 最初のステップは住民の皆さんの認識を高めること。またダムに手厚く、堤防改修などに少ない国に対し、補助金の仕組みを変えるよう働きかける必要もある。最近、うれしいこともありました。琵琶湖東部を流れる芹川流域の人たちが勉強会を始めてくれたんです。ダム建設を求める町長からも、下流の人たちが関心を持ってくれてありがたいと感謝されました。本当に命を守るのに必要な出発点は、一人ひとりの意識です。

→これが真の治水の要素だ。新潟で実際に2つもダムがある川で堤防が決壊し、死者がでた。僕も実際の現場を歩いたが、昔そこには洪水になったら、畳をもって集まる習慣があったのだと聞いた。とくに五十嵐川の氾濫現場は新興住宅地だった。ダムは、一定の洪水までは機能できる。しかし、予想を超えたものについては、機能できないことがある。それに最近の降雨は局所的な場合も多い。ダムの下流で集中することだってある。支流が多かったりすれば、ダムが効くのは、ほんの上流部でしかないこともあると聞く。
 こうした不合理を考えれば、だんだん、答えは見えてくる。

 今本先生がおっしゃっていた「どんな洪水にも甚大な被害をおこさずに済む治水策」少なくも、人が亡くならないでいい治水策。これを検討した結果、ダムに依らない拡幅案が安全安心。そして河川環境にもダメージが少ない「真の治水」策だった。  

  この流れは別に特殊なわけではない。ダム先進国のアメリカでも、ヨーロッパでも、大洪水を教訓に、「ダムでは治水できない」という結論をもとに、川を自然に。そして「川にスペースを与える」という方針に切り替えたのだ。つまり河川の近くにある家屋などを安全な場所に移動させる事を優先させたのだ。   

   小国川の場合だって、「いつのまにか、川沿いに張り付いてしまった旅館群について、どう考えるか。補償費用を負担しつつも、改修と同時に河川拡幅に協力してもらった方がいいのではないか。何も、今の「ガタガタ」で、川に尻をむけた景観を惜しんでいる場合ではないと思うのだ。実際、旅館の主の一人は「どうせ風呂場は川より低い位置にある。増水すればつかるのは当たり前だ。 昔はそこが露天風呂になっていた。水や泥がかぶったらそうじすればいいのさ。」とおっしゃっているのだ。建物だけを川から引っ込める。一部移転する。河床に溜まった土砂はできるだけ取り除く。岩風呂については、独立型にして、廊下で渡せばどうか。露天風呂にもしたら相当話題性をもった温泉になるはず。  まあ、こうした優秀なアイデアもよせられている。

 ともかく、山形県斉藤知事は、田中元長野県知事や、かだ 滋賀県知事などとは似て非なる者だという事は明らかになった。穴あきダム発表の際の知事会見の内容を見て、あきれた。

森林の保水力についても、コストベネフィットについても、どうせ国でつくってもらっただろう、全く意味のない根拠を述べているだけだ。それよりも、「環境にやさしい」という穴あきダムの科学的根拠はどうなのか。未だ明らかになっていない。これは全く不誠実きわまりない。


最上町の今の状況というのは、治水などの本音の議論というよりも、政治的な利権のために、それを押し進めたい政治的な圧力と、圧倒的な広報能力のある行政の情報に多くの住民がコントロールされ、正確な判断ができない状況にあるのではないか。

 公共事業のほとんどに、そうした、本来の公益とは別のところからでてくるインセンティブがはたらき続けてきたということがあるのではないか。

 多分に、「政治」の問題はあるだろうけれど、行政側にも、ダムだけのメリットを強調するような説明をよしとしない「改革」が必要なのだろうと思う。山形の県政、行政にはこれが全く欠落している。
 県行政サイドは国土交通省にコントロールされ、自民党推薦の斉藤弘知事は口先では「改革」というけれど、「市民」の側には立たない人だ。

 淀川流域委員会の議論や、長野県田中県政下での賛否両論の議論展開は、まさにそうした状況を乗り越えようとした、画期的なものだと大いに評価しているが、これはまさに良識と信念をもとに行動を起こした行政内部の改革者の方々の賜物だと思っている。

住民に幻想をいだかせて公共事業をおこない、結局、地域の財産や宝を失うはめになってしまっている。

まさに「もったいない」事が続いている。そうしたこれまでの反省の基づいて、政治をやらなればならない。 

とにかく、公共事業改革。脱ダムとともに脱ムダ!

これはこれまでの、また、これからも、僕の基本スタンスです。

午後、結城登美雄さんの学びすとセミナーの講演を聞きに行く。真室川での地域文化興し策。など。秀逸。