月山、湯殿山に感じること。
19日は京都造形芸術大学のスクーリングで、月山を案内した。毎年月山から湯殿山への山駆けをスクーリングに採用されている、大学教授、宗教学者の鎌田東二先生のお誘いである。
20代から60代まで、様々な芸術のコース在籍の方々28名。早朝に羽黒山頂を出発し、月山頂上。そして、湯殿山へ。その後、「美しさと公共事業」といった題目で話した。湯殿山ホテル宿泊。20日午前中に注連寺と大日坊。昼過ぎに駅前のネットコミセンで、感想を話し合った。
主なものは以下のとおり。
●信仰がいきているなあという感じがした。
● やりとげたな。という感じ
● 廃仏毀釈 すごかったのだなという印象。文化大革命
お寺を燃やした話。
● 神仏習合 の懐の深い山を駆けて、日常と非日常との狭間を駆け抜けた。命のエネルギーを受けた。
● 仏教 神道の受け止め方 これまで、間違った受け止め方をしてきたのではないか。教えの解釈の中で発展しているが、神道は、自然というものが母体なのだなということ。それを行を通じて体感した。体で体感した事。
● 修験道の知識 キリストと仏教との接触交流 仏教と神道の 交わり。
山を実際にのぼって、自然の中で肉体を鍛錬することは自然の行為なのだろう。と。日本人の原点を感じたような三日間だった。
● 宗教と環境 本来のあるべき姿とは何なのか、。
● 闇の質感 出発点 本 東北の闇 羽黒山の風車の色。お地蔵さんの赤ずきん 原色系の赤 と東北の闇のコントラスト。闇をもう一度認めたい。
● 山の神様の信仰が残っていて、それが身近だったので、神様は、何か、枠にはめられたものだったと思っていたのだけれど、それとは違う、大きな存在なのだということがわかった。感謝の心の大切さのようなものを書きたいと思います。
● 何も考えないで、月山のスキー場の夏の状態を見たいと思ってきたが、山を縦走してみて、仏も神道も、自然といかに共存できるかということを語っているのではないかと思う。
● 日本の私たちが、自然や宗教行事を含めて何を失ってきたのかという視点で書きたい。
● 東北が初めてでどうかと思ったが、杉とかブナを歩く清々しさ 景色の良さなどがとてもよかった。地元沖縄と 旧盆との気持ちが似ていてその比較を買いてみたい。
● 月山に白い装束を着てのぼっていく姿が印象的だった。新鮮な思いをもった。森が荒れている話。一方で、森を使わないために自然に対する感謝の気持ちが薄れる。ということがある。
● ゴミが落ちてなくてすごくよかった。それは、山自体が愛されている。信仰 の対象になっているからだなと思った。信仰と自然保護というのが密接に関係していることを感じた。
● 伊勢神宮 は、すがすがしい思いがした。今回いろんなお話を聞いて、ダークな面だとか、2つの住職の話でも対立が感じられるものがあって、お山にのぼっておりるときも、大丈夫かと思いました。
伊勢神宮とここは、光と闇のような感じがした。
● 修験道は、人間の生まれ変わり ということを初めて教わった。人間の生まれ変わる根拠
●初日の雨から感動した。山を駆けてみてその自然のすばらしさを感じた。
地元の人たちの信仰を通してのつながりの強さを感じた。
山で飲んだお水がおいしかった。体が要求する水というものを初めて感じた。
うけたもうという精神を日頃、ずいぶん忘れていたなということを感じた。
たくさんの感動を受けた。自分の中の再生の糸口として活かしていきたい。
● 自然保護のためには、一定の経済合理性を妥協しながら、経済的な圧力に負けてしまうんではないか。
● 奥の細道の奥 ではないかという話もありましたが、あの山は、人間がすむところではない。神のみが住んでいるところ。ではないかという思いがした 。登山道が整備されているのに、ほっとする時間がなかった。最後の最後まで踏みしめて山を駆け巡った。
●出羽三山の山伏の方々の白装束で駆け上る姿ですが、 自分のためにいのるのではなく、感謝の心というものを感じ取るということなのだということを感じた。
● 亀井さんという方に出会った。みなさんの荷物。ご自分の小さな車に荷物をいっぱいにして、送ってくれた。鷹匠の話、水の味が変わった話などいろいろ教えてくださった。ご親切にびっくりした。感動しました。
●月山の水というものについても興味を魅かれた。五重の塔などのところで感じたものと、ダムや高速道路を見て感じたこと。をまとめてみたい。
神なる自然 を失いかけている。
● この月山に来て、自分が小さいところから持っていた自然への畏敬の念ということを心から感じた。
●おみやげになったものは、竜が大好きで、昇り龍と下り龍
月山をのぼるとき、感じたものは、雑音とかがなくなって、
純粋な信仰と政治的な話は違和感があった。しかし、
月山ダムを見たときに、湖 視界が開けて、ここに、こんなものがあっちゃいけないよ。と思った。景観的に、違和感をもつものを排除しなくちゃいけないんではないかと思った。
鎌田先生はむすびとして、以下のような事をお教えくださった。
● 出羽三山と、熊野三山
明治時代の宗教政策が、 問題だった。悪しき改革だったということ。
● 光と闇。文化特性 道の奥 王家の力があまり及ばない、
塩竈神社 大和朝廷 太平洋側の拠点は、塩竃神社 日本海側が羽黒。
神社 「延喜式」という文献が最も詳しい。
日本的な法制度。中国をモデルとしているが、神をまつる神祇官
中国の体制 神祭りの部署 神祇官の祭司。のりと、仏教の事も考えている。
御妙真の規定。儀式的な側面
● 全国の3132座の神様がまつられている。
月山 はやちね 縄文時代からある。
1300年の伊勢神宮 吉野 中央よりも、もっと根深いものがあるよというのが、蜂子の王子1400年の歴史。もっと違うものがあるよ。という教え。
蜂子の王子 信仰は、江戸時代以降ではないか。
自分たちの文化の根っこにあるものは、
明治5年に修験道が廃止される。
廃仏毀釈運動。強い地域、沖の島 偽装神社。
信仰を守るために、
実質は修験を
社殿の様式も、形式的には神社形式にするとういびつな構造にしなければならない。
● 出羽三山にあって、伊勢神宮などにも絶対ないのは、先祖崇拝が強烈に残っている。
日本の先祖崇拝根強く残っている。
神道でも 原色の風車が飾られたりしている。
清水 激しい原色の世界