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阪神淡路大震災から22年。


2017年1月17日。

阪神淡路大震災から22年。

テレビに映し出される竹灯籠を見つつ、5時46分 黙祷。

御影公会堂、石屋川公園、長田、、、当時が思い出されます。

 

あの時、朝日の外岡秀俊さんが名付けてくださった「ボランティア元年」から22年。

現場で3年間、動いた 行動から、僕の今の全てがはじまりました。

 

神戸元気村。やはり代表のバウさんとの出会いは、大きかった。僕は自信と前を向いて力強く歩む力、0から1を創造していく力をいただきました。

 

神戸をなんとかしたい。と、集まってきたみんなと、瓦礫の神戸で笑顔を作り出すひとつひとつをつくりあげることができました。

 

その時の私には過去も未来もない、今しかない。その太い今という瞬間が連続していました。

その2年後に起きた日本海重油災害では神戸での被災地の中と外との情報の乖離の問題をなんとかしようと現場とPC画面とに向き合いました。

それから中越地震、東日本大震災、熊本地震とこれまでの経験と教訓を活かすべく、志を共にする仲間と行動してきました。

 

 今、福祉現場での修行を課し鶴岡市内の福祉施設勤務の為、週末のみではありましたが、熊本地震での車中泊対策などでのテントプロジェクト、岩手県岩泉水害の初動で活動することができました。岩泉ではグループホームの現場や福祉避難所にも参りましたが、今の職場での経験も含め災害時要援護者の課題について改めて再考させられました。

 

又、熊本地震でのテントプロジェクトのご縁で「避難所・避難生活学会」を通じて、避難できたけれども亡くなってしまう避難所の改善の問題にずっと向き合っておられる榛澤先生らにお会いし、意見交換することができました。これも実はバウさんの発案でしたが、中越地震で700張りのテントを提供する活動をしていた私たちとして、「体育館に地べたに雑魚寝」という避難所の風景を変えることは今後も大きな課題ととらえています。

 また昨年は酒田大火から40年で酒田を訪れていた復興学会の室崎先生とお会いし、本来の復興の軸、避難所の問題など、率直な意見交換ができました。昨日の朝日新聞には住宅等の耐震化が進まない現状が指摘され、室崎先生が公序の必要性を説いておられました。

 

 

今日も大勢の方々が集まっている神戸市東遊園地に設置された 希望の灯りという灯火のモニュメントには

 

震災が奪ったもの

命 仕事 団欒 町並み

たった一秒先が予知できない人間の限界

震災が残してくれたもの

やさしさ 思いやり 絆 仲間

 

この灯りは

奪われた

すべてのいのちと

生き残った

わたしたちの思いを

むすびつなぐ

 

とあります。

 

 

 

阪神淡路大震災から22年。改めて、6,434名の犠牲を今、いかせているのか。

改めて問われます。

 

 

阪神淡路からの災害支援を重ねた経験を活かし、一昨年 研修を受け登録した防災士として、(社)OPENJAPANの一員として、鶴岡の地域防災をはじめ、今、これからに活かすことに努めて参ります。