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憲法。


GWあけ。朝、八文字屋つじ立ちからスタート。

GW中、5月3日が憲法記念日で、今年、平和憲法が定められて60年ということもあり、テレビ、新聞で憲法の特集が組まれていましたね。
昨日のサンデープロジェクトは、朝日、毎日、読売の三大新聞の論説主幹がそろって憲法を論じるというなかなか興味深き内容でした。ご覧になったかたも多いのではないでしょうか。
 「自衛隊も自衛軍も同じ。英語で訳せばディフェンスフォースなんだから」などと乱暴な発言をする読売新聞の論説主幹の発言には、恐れ入りました。
 そんな姿勢で新聞をつくっているとすれば、読売新聞とは、国民をごまかして、ミスリードするメディアなのか。と疑いたくなります。

 「憲法9条があり、「自衛隊」だったから、イラク戦争の時にイギリスのように最前線にでることなく、限定的な活動に終わったのだ。しかし、この間、自衛隊に犠牲者がでなかったのが、いわば、結果オーライだった。もしここで犠牲者がでたら、大変な事になっていたはずだ」「あれが自衛軍だったら、いきなり最前線にいくことになる」
という朝日の若宮氏の指摘は実に正しい指摘だったと思います。

 他の番組としても、憲法について、NHKなどで興味深いドキュメンタリーが放映されていました。
 その一本は、今年2月にも放映されたものということですが、GHQがつくった憲法の土台には、戦後のがれきの中で、超党派のリベラルな有識者で形成されていた憲法研究会でつくられた憲法草案があり、それをベースとしてつくられた事。それに、時の国会で、ワイマール憲法などを参考に、「生存権」などが加えられていたということ。要するに、「お仕着せ」の憲法などでは到底ない。ということ。

 むしろ、国民の中で、戦争を憂い、また、それまでのひとにぎりの特権階級の人だけで動かし、差別や言論弾圧がまかりとおっていた国のありようを憂い、真の民主主義を叶えようと信念を持ち行動した日本の民がつくった憲法なのだということを克明に伝えてくれる内容でした。

そのドキュメンタリーでコメンテーターをなさっていた古関先生については、以下のHPでご覧いただきたいと思います。


http://www.magazine9.jp/interv/koseki/koseki.php

「米国につくらされた。米国がつくった憲法だから改正しなければならない」と安倍首相は指摘し、「改正こそ自民党結党のミッション」などと言っているようですが、果たしてそうなのでしょうか。

 私は、ごまかし、まやかしの政治はもうこりごりだ。と思っています。


今日、国民投票法案の公聴会があったと聞きました。「最低投票率」について、自民党推薦の有識者は「最低投票率を設けると、ボイコット運動によって改憲不能になる可能性がある。民主主義?のためにも最低投票率を設けないほうがいい」と発言。
 野党推薦の有識者 山口二郎先生は、「最低投票率」を設けるべき。投票しない民意も民意。憲法改正には、大多数の国民の意思を反映しなくてはいけない。と発言したとのことです。

 ひとにぎりの人々の政治にするため、ひとにぎりの人々の動員による投票で憲法まで変えてしまおうという横暴がうかがえます。
 
さきのサンプロでの若宮氏の指摘。「憲法とは時の政府が、勝手な横暴ができないようにたがをはめるものなのだ」

 安倍政権。憲法を変えて、「たが」を破壊し、「横暴」や「過ち」を繰り返す羽目になるような気がしてなりません。

連休中、1998年に主催した「地球のヒーロートーク」の映像を改めてじっくりと観ました。今は亡き、デビッドブラウアー氏や山下弘文氏の映像をはつらつとした笑顔、言葉。 あれから10年たちます。当時、ゴールドマン賞を受賞した、山下さんが、懸命に取り組んでいた諫早湾の干潟の問題もダム問題も、、この国では全く解決に至っていないのです。とっくの昔に、方向転換している国がたくさんあるのにです。

「ひとにぎりのひとたち」の横暴による巨大公共事業、それはダムも原発も、戦争も核兵器も全く同じ構造なのではないでしょうか。
 政官業の癒着をより強固に、突き進むことが「美しい国」なのでしょうか。ハードパワーが「美しい」のでしょうか。

多様性や民主主義、国民に、自然を享受する権利も保障する懐の深さこそ、私たちの心を動かす「美しさ」をつくりだすのではないでしょうか。

真実の声に耳を傾けたいものです。