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地域開発論について


昨日、このところ取り組んできたパドル(議会報告)完成!鶴岡市内のみなさんには鶴岡タイムスに折り込まれて配布されます。一人でも多くの方が読んでくださる事を祈る。今、やはり僕の大いなる関心事はこれからのこの地域の次をどうするかということ。K大学への投資によるバイオベンチャーによる産業集積ということが今、鶴岡の重要施策になっているわけだけれど、僕としては、こうした投資や地域開発にこそチェックアンドバランスを果たさなければと感じている。

また、議会では何度も提言しているのだけれど、今でも750兆円の借金のあるこの国、そして、高齢社会化の進行のもと、右肩下がりの経済の中で、ここでは何をやるのかということが問われる。
 特に鶴岡で、何をやるのか。バイオベンチャーの産業集積事業は、一体どうとらえるべきなのか。

地域開発論を今、いろいろと勉強中。右肩あがりの時は全総などに従ってそれこそ列島改造論などといって巨大開発が続いた。とにかく予算がつくように手をあげて、補助金を獲得し開発する。五十嵐敬喜先生のゼミで相当学ばせて頂いたが、無駄で住民にとってはそれこそ「アメニティの破壊」たる公共事業が続いてそして、巨大が金が投資される事業なのにもかかわらず地域経済には何のメリットがなかったりもした。それが「外来型開発。そこで、そのオルタナティブとして「内発的発展」が問われている。

「内発的発展」とは、「地域の企業・組合などの団体や個人が自発的な学習により計画をたて、自主的な技術開発をもとにして、値域の環境を保全しつつ資源を合理的に利用し、その文化に根ざした経済発展をしながら、地方自治体の手で住民福祉を向上させていくような地域開発」と 宮本憲一 先生(大阪市立大学名誉教授)は定義する。

第一に、地域開発が大企業や政府の事業としてでなく、地元の技術、産業、文化をどだいにして、地域内 の市場を主な対象として、地域の住民が学習し、計画し、経営するものであること。その意味で、「反体制的」と自称するほど自発的エネルギーをもつ必要があること。

第二に、環境保全の枠の中で開発を考え、自然の保全や美しい町並みをつくるというアメニティを中心の目的とし、福祉や文化が総合され、なによりも地元住民の人権の確立を求める総合目的をもっていること。

第三に、産業開発を特定業種に限定せず、複雑な産業部門にわたるようにして、付加価値があらゆる段階で地元に帰属するような地域産業連関を図ること。

第四に、住民参加の制度をつくり、自治体が住民の意思を体して、その計画によるように、資本や土地利用を規制しうる自治権をもつこと。


これは、宮本先生が1982年に定義したものだが、今後の地域政策の確かな大切な軸だと思う。また、この中のアメニティというところをもう一度考えるならば、やはり僕としてはこの鶴岡の、だんだん最近は隠されつつあるが、ずっと問題視し続けてきた水の問題を問わなければいけないと感じるのだ。

ダムの水が鶴岡市内にひかれて、確実に鶴岡がもちつづけてきた大きなアメニティが損なわれた。月山を起点とする赤川扇状地の伏流水や地下水を飲み続けてきた「つながり」が断たれたのだ。毎日の暮らしにとって「水」が有するアメニティというものは、今、水道水の1000倍もの金をかけてガソリンより高い水を買う時代になって、もっと語り合い、定義づけをしないといけないと強く考えている。
 信州大学の中本先生は、日本の緩速濾過のスローウォーターの大家であるが、2年前の水郷水都全国会議 鶴岡大会で、「北欧では塩素が全くはいらない水道水を飲んでいるし、塩素が毒ということは常識になっている。だから、地下水や湧水ベースの水源地は宝もののように大事にして保全し、持続可能な利用を考えるし、緩速濾過浄水法が主流なのだ」と。塩素漬けの水を奨励し、「水源開発」と称して地下水源や湧水を放棄しどんどんダムと急速濾過の水に変えているのは日本ぐらいの話なのではないか。
 鶴岡ではダム水に切り替えた2001年10月以降、確実に暮らしが変わった。地下水が豊富にあっても14本も行政が井戸をつぶし、わざわざダム水を水道管で流し、水道料金がこの5年間で2倍にも高騰し、その上、市民の多くが飲料水にはペットボトルの水やスーパーのイオン水やピュアウォータを買い求めなくてはいけない。そして高額な浄水器メーカーの格好の営業先になっている。冬蛇口の水は顔を洗えないくらい冷たい。(2度とか3度)夏はぬるく「寿司のネタがしまらない」と苦情の電話を頂戴した。
 宮本先生が指摘した環境問題とはもっともっと深刻な公害の事なのだけれど、僕は鶴岡で起きているアメニティの変化というものこそ、今の時代、とらえ直しそれに答えていくような政治のあり方でなければと感じている

今発売号のSOTOKOTO8月号に「LOHASな政治」として登場してしまった。お恥ずかしいが、ちょっとだけLOHASについて。
「SOTOKOTO ソトコト」誌は、エコロジーや環境を軸にした情報誌。もとブルータスの副編集長さんが手がけているだけにクールな雑誌でもある。

LOHAS (Life stile of health and sustainability)な政治の第一歩とは、まずは、僕らの「眠っていた感覚を取り戻すことではないか。美しさやかけがえのないものにまずはもう一度きづき直していくところからはじまるのではないか。そしてその人々にかけがえのない快感をもたらす美しさやアメニティを破壊する開発行為や真に公益ではなく、道路公団談合事件のように私益にはしったりする行為の理不尽に真っ向から立ち向かう政治の事ではないか。
 そして現場主義で行動し、考えながら、0から1を生み出す、カルチャークリエイティブな政治ではないか。

なーんて、格好よすぎるか。