草島進一 これまでの歩み
1965.2.22 山形県鶴岡市鳥居町に生まれる。
鶴岡市立朝暘第五小学校 卒業
鶴岡市立鶴岡第二中学校 卒業
鶴岡南高等学校卒
明治大学農学部に進学。
明治大学農学部卒業。
西武系流通業「アクロス」に就職するが、1年で退社。
その後、山と渓谷社「OUTDOOR」「夢の丸太小屋に暮らす」などのアウトドア雑誌をおこなっていた編集プロダクションでアシスタント。
その後、有機野菜の宅配「らでぃっしゅぼーや」などを運営する日本リサイクル運動市民の会の「くらしの木」編集部で編集部員として就職。3年半努める。
1995年1月17日、29歳のときに阪神淡路大震災がおこり、1月23日、神戸入り。御影公会堂での炊き出しで山田和尚(バウ)さんに出逢い、意気投合。神戸の現地で被災地救援活動を続け、ついに会社を辞め、ボランティアグループ「神戸元気村」副代表として3年間被災地救援活動に没頭。
当初は、避難所などの被災者救援。その後、仮設住宅の孤独死対策「ベルボックス」事業など。
その後の主な被災地支援活動先は、日本海重油災害(97年)、中越大震災(04年)、中越沖地震(07年)、能登半島地震(07年)、岩手・宮城内陸地震(08年)。被災された住民宅や避難所巡回といった被災者目線での現場活動を軸にしながら、地域にとってのよりよい復旧・復興を目指すため、政策提言などを行なう。
また平時は、全国の災害支援NPO/NGOやボランティアとの交流も重ね、鶴岡市および山形県内の防災活動に取り組む。
1998年に鶴岡市に戻り、環境NGOウォーターワッチネットワークを設立、代表。1999年より鶴岡市議会議員(市民派・無所属)
現在3期目、10年目。
羽黒山伏1週間の修行「秋の峰」に2003年、2007年、2008年 入る。
三度位 太多須嬉を授かる。山伏名「進佑」
2008年10月13日出羽三山神社神前にて結婚。
草島進一 市民活動のあゆみ
▲1991年より長良川河口堰反対運動に参加。東京グループとして長良川デイなどの司会やカヌーデモなどに参画。週末の度に長良川グループで清流でカヌーをするのが唯一の楽しみだった。
1994年には釧路川へ1週間の単独カヌートリップを行う。
▲1995年 阪神淡路大震災
3日のつもりで神戸元気村(代表 山田和尚)副代表として3年間活動。被災地現地で150日のテント生活、公園で生活しながら24時間態勢で被災者救援、復興支援活動に従事。
▲1997年 日本海重油災害 Save the coast! ホームページを立ち上げ、ホームページによるボランティアコーディネートを行う。その後、4ヶ月間三国、加賀の現地にて活動。(1997年1月毎日新聞 余録に掲載、他)

▲1998年2月、故郷である山形県鶴岡市に月山ダムによる水源切り替えから、本来ある地下水の水道を守る運動を展開するために帰郷。環境NGOウォーターワッチネットワーク設立。(山形新聞、朝日新聞に掲載)
▲1998年4月より、鶴岡市湯野浜海水浴場で調査型のビーチクリンアップ(海岸清掃)を開始。以後、毎年アースデイ(4月22日)と秋の国際クリーンアップデイ(9月から10月)の2回開催を毎年続けている。
デビッドブラウアー氏(米国アースアイランドインスティチュート代表 と。Earth Island Journal に掲載されたものから。2000年没)

▲1998年8月、日米コミュニティエクスチェンジ主催の日米NPO交流プログラムで、米国バークレイの環境NGO、世界中のダム問題に取り組むインターナショナルリバーズネットワーク(IRN http://www.irn.org)に1ヶ月間インターン。キャンペーンやロビー手法などを学ぶ。その後半月にわたり西海岸のNPOを取材。その中で、米国で最も最初にダム反対運動をおこない最強の環境保護活動家として知られていた、アースアイランドインスティチュート(http://www.eii.org)代表のデビッドブラウアー氏に出会い取材。情報交換をおこなう。
▲1998年10月 旭硝子財団のブループラネット賞受賞で来日したデビッドブラウアー氏、諫早湾干潟干拓反対運動をおこなっていた山下弘文氏らを招聘し、ダムや干潟の問題など環境NGOのエンパワーメントの場として「地球のヒーロートーク」を主催。
▲1999年3月14日、鶴岡市内で「どうなる月山ダムの水道料金!水はおいしいの?」を開催。月山ダム工事事務所、山形県企業局、鶴岡市水道部、新潟大学 鷲見一夫 教授、ジャーナリスト保屋野初子氏らを壇上に上げ、150人の市民の前で5時間の徹底討論。その1ヶ月後、市議会選挙に出馬しトップ当選。毎回の議会で水源切り替え問題を問いつつ、地下水源の調査、広域水道問題の分析を東海大学 柴崎達雄教授、ジャーナリスト保屋野初子氏、五十嵐敬喜法政大学 教授らとおこなう。
▲2000年10月、鶴岡水道住民投票の会を立ち上げ、月山ダムの広域水道への水源切り替えの是非を問う住民投票直接請求署名活動を展開。直接請求署名12,745筆を集める(18.2%)しかし、議会が否決。
(朝日新聞 山形新聞などに掲載、2001年度に入り、NHKクローズアップ現代に取り上げられる。水道問題については「世界」岩波書店 2003年4月号の小特集「水は誰のものか」で「政治の場でもっと水を語ろう」というインタビュー記事5P。週間金曜日、読売ウィークリーなどに掲載。
▲2001年10月に水源が切り替わるが、その後も「鶴岡コモン(共有の)ウォータープロジェクト」として、井戸所有の飲食店の水を市民が汲めるシステムの構築、従来の水源地に井戸を掘り(トヨタ財団2001年度市民活動助成事業)、地下水の文化を継承する活動を継続している。
▲2003年より、山形県内で唯一ダムのない河川、随一の清流である最上小国川に計画された「最上小国川ダム」問題に着手。2004年、ダム建設現場でおこなわれた「東北自然を守る集い」赤倉温泉大会での行動を基に「最上小国川の真の治水を考える会」を設立し、事務局長として活動。 大熊孝 新潟大学教授、 今本博健 京都大学名誉教授、アウトドアライター 天野礼子氏、水源連、遠藤氏らを現地に招き、現地調査、代替プラン作成などをおこなう。
▲2006年7月24日 今本博健 京都大学名誉教授「最上小国川の穴あきダムは真の治水策か!?」を開催。穴あきダムの問題点を真正面から指摘する。
▲2006年10月28日 民主党 菅直人 代表代行、今本博健 京都大学名誉教授、大熊孝 新潟大学教授らを招聘し、「最上小国川の“真の治水”を求めて」 開催。穴あきダムに替わる、河川改修や温泉街の都市計画を再構築する「真の治水」プランを提示する。
▲2006年 10月31日に代替プランを県庁土木部宛提出。
▲2007年 8月 国会野党議員への漁協陳情をサポート
▲2007年11月30日、県が広報した「日本一環境にやさしい穴あきダム」という記述などに抗議と公開質問状を提出
▲2008年11月9日、最上町にて緊急フォーラム「山形の守るべき宝とは」開催。
京都大学 元防災研究所所長 今本博健氏、ジャーナリスト天野礼子氏、熊本県 矢上雅義氏を招き。
○2008年4月1日現在、地下水からダム水へ切り替わった鶴岡市の水道は水道料金は2倍となり水質が低下している。今後破綻が想定され、大きな問題を抱えたままである。
水道問題についての著作としては、2008年「どうなっているの?日本と世界の水事情 神田浩史 他著」に「ダムの化身「広域水道」に呑み込まれた山形県鶴岡市水道のいきさつとゆくえ」をジャーナリスト保屋野初子氏と共著した。
また、「文芸春秋」2007年11月号で「藤沢周平 風の果ての町で水危機」 ジャーナリスト高杉晋吾氏が
鶴岡の水問題をとりあげている。
△2007年4月22日 森のムッレ教室のシーブ夫妻、ナチュラルステップジャパンの高見幸子さんとともに鶴岡で「365日野外保育園」のフォーラムを開催。
△2008年3月3日 スウェーデンエコ自治体運動の先駆けであるグンナルブルンディーン氏、レーナリンダル氏を鶴岡に招聘「環境と経済が両立した、持続可能な産業・まちづくりとは?」開催。
2007年より受講していたナチュラルステップのファシリテーターに登録される。
△2008年5月27から30日
スウェーデンエコ自治体協会、持続可能なスウェーデン協会 国際環境NGOナチュラルステップ、主催の
「第一回国際エココミューン会議」(SEKOM)に日本国内から唯一の市議会議員として参加。
71あるスウェーデンエココミューンの首長、議員ら。又持続可能な社会をめざす9カ国の議員や活動家とともに3日間の国際会議。ナチュラルステップ 代表のカール=ヘンリクロベール、マックスニーフらと情報交換。

△2008.7.24 ストックホルム在住 矢作ルンドベリ智恵子さんを鶴岡に招聘し、鶴岡でワークショップ
△「川の全国シンポジウム」京都大学 で山形のダム事情とナチュラルステップを紹介。

○被災地救援活動については
「神戸を活かし、ボランティアの文化を広げたい」という意志で
▲ 2004年7月に発生した新潟水害での現地ボランティアセンター立ち上げや実際の現場活動をおこない、後に、新潟大学大熊孝教授とともに災害現地検証・調査をおこなう。
▲ 2004年10月23日に発生した中越大震災 発生直後から現場に入り「中越元気村」を代表として設立。神戸の経験を生かし、プライバシー対策やエコノミークラス症候群対策として「テントプロジェクト」を展開。全国から700張りのテントを集め、被災者に提供する。又、除雪のスノーバスターなどの活動を10ヶ月現地に通いつつ活動。
▲ 2007年5月、能登地震の救援、7月の中越沖地震、柏崎で「元気村ネットワーク」代表として活動。柏崎市災害対策本部と協働して避難所の快適性をアップするための活動をおこなった。
▲ 中越地震の活動現地ルポ「市民の力の見せどころー被災地でゼロから1をつくろう」を岩波書店「世界」2005年1月号に投稿・掲載。2004年12月23日 読売新聞・論点に「災害ボランティア・調整役の専門家が不可欠」を投稿・掲載。
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